第41話 小さな疎外感
それから二週間ほど、四人の関係はうまくいっていた。
少なくとも、ひまりはそう思っていた。
昼休みになれば美咲の机に紗奈と琴音が集まり、そこへひまりも椅子を持っていく。放課後に駅前へ寄ることもあったし、四人のグループでどうでもいい動画を送り合うことも増えた。美咲との間にあった妙なぎこちなさも、時間が経つにつれて薄れていった。
「見てこれ。」
琴音がスマートフォンを差し出す。
「何?」
「紗奈。」
「ちょっと、やめて。」
「ねがお〜。可愛い〜。」
画面には机へ突っ伏して眠っている紗奈が映っていた。
「いつ撮ったの?」
「今日の三時間目。」
「授業中じゃん。」
「先生の目の前で寝てたから。」
「消して。」
「美咲にも送った。」
「最悪。」
「私にも送って。」
「ひまり!」
笑い声が上がる。
そんな日が続いた。
遼とひまりが話さなくなったわけでもない。廊下ですれ違えば話したし、授業中に消しゴムを借りることもあった。昼休みに遼たちのところへ行く日もある。
ただ、学校では美咲たちと過ごす時間の方が長くなった。
代わりに、夜が増えた。
最初は週に何度かだった電話が、いつの間にかほとんど毎日になっていた。
『今日さ、琴音が授業中寝てて。』
「知ってる。」
『何で?』
「昼休み聞こえてた。」
『絶対わざと聞いてるじゃん。』
「声でかいんだよ。」
『秋月くんたち何話してたの?』
「榊が購買の焼きそばパンにキレてた。」
『何で?』
「値上がりした。」
『平和だね。』
「そっちもだろ。」
そんな話を一時間近くする。
何か相談があるわけではない。ひまりが苦しくなったわけでもない。ただ電話して、話して、眠くなったら切る。
電話をする理由そのものが、なくなっていた。
そして理由がなくなってからの方が、回数は増えた。
『眠い。』
「寝れば。」
『まだ寝ない。』
「じゃあ起きてれば。」
『雑。』
「どうしろっていうんだよ。」
『なんか喋って。』
「何かって何。」
『何でも。』
遼は呆れながら、その日あったことを話す。
電話の向こうから、ときどき欠伸が聞こえる。
『聞いてるよ。』
「寝てるだろ。」
『起きてる。』
「じゃあ今俺何の話してた?」
『……榊くん。』
「だいぶ前だよ。」
『惜しい。』
「寝ろ。」
『やだ。』
「何で。」
『切れるじゃん。』
その言葉のあとだけ、遼は少し黙った。
『秋月くん?』
「いるよ。」
『よかった。』
そういう夜が増えた。
学校では、美咲の隣にいる。
夜になると、遼の声を聞く。
ひまりにとっては、それで何の問題もなかった。
美咲と遼は違う。
どちらかを選んでいるつもりもなかった。
だから、その日の昼休みも何も考えていなかった。
「それで秋月くんがさ。」
弁当を食べながら、ひまりが言った。
「それ絶対寝てたって言うんだよ。」
紗奈が笑う。
「いや、それは寝てたでしょ。」
「起きてたって。」
「会話覚えてないのに?」
「ちょっと意識飛んでただけ。」
「それを寝てたって言うんじゃない?」
琴音も笑った。
「で、結局十二時半くらいに――」
「待って。」
美咲が言った。
ひまりが止まる。
「何?」
「十二時半?」
「うん。」
「何時から電話してたの?」
「えっと……十一時くらい?」
「そんなに?」
「昨日はね。」
美咲は箸を置いた。
「昨日は?」
ひまりはそこでようやく気付いた。
「あ。」
紗奈と琴音も黙る。
「最近、また電話してるの?」
「……うん。」
「へえ。」
「でも。」
「毎日?」
「毎日っていうか……。」
「どのくらい?」
ひまりは少し迷った。
嘘をつくほどのことではない。
「最近は、ほとんど毎日。」
美咲は数秒、何も言わなかった。
「そっか。」
「美咲。」
「何?」
「言ってなかったっけ。」
「聞いてないよ。」
「ごめん。」
「何で謝るの?」
またそれだった。
ひまりは言葉に詰まる。
「別に電話くらい好きにすればいいじゃん。」
「うん。」
「私に報告する必要もないし。」
「……うん。」
美咲は弁当を食べ始める。
琴音が視線を落とした。
紗奈だけが美咲を見ている。
「でもさ。」
美咲が言った。
「何で学校ではこっちにいるの?」
「え?」
「いや、ちょっと不思議だっただけ。」
「どういうこと?」
「秋月くんとそんなに仲いいなら、学校でもずっと一緒にいればいいじゃん。」
「美咲。」
紗奈が小さく呼ぶ。
「何?」
「その言い方はちょっと。」
「別に嫌味じゃないよ。」
美咲は笑った。
「本当に不思議なだけ。」
「私、美咲たちとも一緒にいたいから。」
「うん。」
「秋月くんとは……そういうのじゃないし。」
「そういうのって?」
「だから。」
ひまりの声が少し小さくなる。
「美咲と秋月くんは違うじゃん。」
「違うよ。」
美咲はすぐに答えた。
「全然違う。」
そこで会話が途切れた。
琴音が弁当箱の端を箸でつついている。
紗奈が口を開いた。
「まあ、ひまりが誰と電話しててもいいじゃん。」
「だからそう言ってるじゃん。」
美咲が答える。
「私、やめてなんて一回も言ってないよ。」
「うん。」
「ならいいけど。」
「……ごめん。」
ひまりがまた言った。
美咲が顔を上げる。
「だから何で謝るの?」
ひまりは答えられなかった。
その日の放課後、ひまりは遼のところへ来なかった。
美咲たち三人と帰った。
遼はそれを見ても、もう以前ほど気にならなかった。
夜になれば電話する。
そう思っていた。
そして実際、十一時を少し過ぎた頃にスマートフォンが鳴った。
『もしもし。』
「うん。」
『今日さ。』
「何。」
『……いや、何でもない。』
「何だよ。」
『美咲とちょっと変な感じになった。』
遼はベッドへ座り直した。
「また?」
『またって言わないでよ。』
「ごめん。」
『私が悪いのかな。』
「何があったの。」
『電話のこと。』
「電話?」
『秋月くんと毎晩話してるの、知らなかったって。』
「ああ。」
『私、言った方がよかったのかな。』
「何で?」
『分かんない。』
「別に言う必要なくない?」
『……そうだよね。』
「夏川と俺が電話してるだけだろ。」
『うん。』
「藤沢に隠してたわけでもないし。」
『うん。』
「ならいいじゃん。」
ひまりはしばらく黙った。
『秋月くんってさ。』
「何。」
『すぐ、いいじゃんって言うよね。』
「駄目なの?」
『ううん。』
電話の向こうで、ひまりが少し笑った。
『楽。』
遼は何も言わなかった。
『美咲はさ、ちゃんと聞いてくれるんだよ。』
「うん。」
『何でそうしたの、とか。本当はどう思ってるの、とか。』
「いい友達じゃん。」
『うん。すごくいい子。』
「じゃあ大事にしろよ。」
『してるよ。』
「ならいいじゃん。」
『ほら、また言った。』
ひまりが笑う。
遼も笑った。
翌日の昼休み。
ひまりが弁当箱を持って美咲の席へ行くと、机は三つ並んでいた。
美咲と紗奈と琴音。
「あ。」
琴音がひまりに気付く。
「ひまり。」
「何?」
「ごめん、机。」
「ああ。」
「今動かすね。」
琴音が立とうとする。
「いいよ。」
「え?」
「狭そうだし。」
「一個入るでしょ。」
「大丈夫。」
ひまりは笑った。
「今日、秋月くんたちと食べる。」
美咲がひまりを見る。
「そっか。」
「うん。」
「じゃあまたね。」
「うん。」
ひまりは笑って、教室の後ろへ向かった。
美咲も笑っていた。
ひまりが離れてから、琴音が机を見た。
「別に入ったよね。」
「入ったね。」
紗奈が答える。
美咲は弁当箱を開けた。
「本人があっちで食べたいんでしょ。」
「でも。」
「いいじゃん。」
美咲は箸を取った。
「好きな方で食べれば。」
教室の後ろでは、ひまりが椅子を置いていた。
「今日こっち?」
榊が聞く。
「うん。」
「女子会は?」
「今日は男子会。」
「お前女子じゃん。」
「細かい。」
「そこは細かくねえだろ。」
ひまりが笑った。
遼も笑った。
それから数日、昼休みは同じ形になった。
美咲、紗奈、琴音。
遼、榊、ひまり。
誰かが決めたわけではなかった。
誰もひまりに、来るなとは言っていなかった。
それでも一度三つずつに分かれた机は、次の日も最初から三つずつ並べられた。
そして、その次の日も。
週末を挟んだ月曜日。
移動教室へ向かうため、ひまりが教科書を鞄へ入れていた。
顔を上げる。
美咲たちの席は空だった。
「……あれ?」
廊下を見る。
三人が歩いている。
少し先にいた琴音が振り返った。
ひまりと目が合う。
「あ。」
琴音が立ち止まった。
美咲と紗奈も振り返る。
「ひまり、行くよ。」
「うん。」
ひまりは急いで教科書を持つ。
三人のところまで小走りで追いついた。
「置いてかれたかと思った。」
笑いながら言う。
「ごめん。」
琴音が言った。
「普通に忘れてた。」
「ひど。」
「ごめんって。」
「美咲も?」
ひまりが冗談っぽく聞く。
「何が?」
「私のこと忘れてた?」
美咲は少しだけ考えてから、
「ひまり、最近秋月くんたちと行くこと多かったじゃん。」
と言った。
「ああ。」
ひまりは笑った。
「そっか。」
それで話は終わった。
四人で廊下を歩く。
紗奈と琴音が前。
美咲とひまりが後ろ。
以前と同じだった。
ただ、ひまりは知らなかった。
三人が教室を出るとき、美咲がひまりを見ていたことを。
まだ席にいるのを知っていたことを。
そして美咲自身も、それを「置いていった」とは思っていなかった。
最近は、そういうものだから。
それだけだった。




