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第40話 三人、四人

 翌朝、遼が教室へ入ると、ひまりはもう来ていた。


「おはよ。」


「おはよう。」


 いつも通りだった。


 ただ、ひまりはそれだけ言うと美咲たちの方へ戻っていった。


「それでさ、琴音が昨日――」


「だから私のせいじゃないって。」


「絶対琴音のせいじゃん。」


「紗奈も見てたでしょ?」


「私は知らない。」


「裏切った!」


 三人の笑い声にひまりの声が混ざる。


 遼は鞄を置きながら、その様子を眺めた。


 昨日の電話では、あれからしばらくどうでもいい話をした。


 文化祭のこと。


 テストのこと。


 ひまりが最近気になっているという駅前の店のこと。


 前の学校については、それ以上何も話さなかった。


「秋月。」


 榊が前の席へ座る。


「数学の課題やった?」


「やった。」


「見せて。」


「嫌だ。」


「何でだよ。」


「自分でやれ。」


「冷たくね?」


「昨日の琴音と同じこと言ってるじゃん。」


「琴音?」


「いや、何でもない。」


「何だよそれ。」


 榊は首を傾げながら教科書を取り出した。


 朝のホームルームが始まる。


 遼がもう一度前を見ると、ひまりは美咲の隣で笑っていた。


 昨日より、少しだけ元に戻ったように見えた。


 昼休みも、ひまりは美咲たちと食べた。


 今日は誰も誘わなかった。


 チャイムが鳴ると自然に四人が集まり、机を寄せただけだった。


「ひまり、それ何?」


 琴音が弁当箱を覗き込む。


「唐揚げ。」


「一個ちょうだい。」


「やだ。」


「昨日の英語見せてあげたじゃん。」


「それ紗奈でしょ。」


「そうだった。」


「最低。」


 ひまりが笑う。


 美咲も笑った。


「琴音、私の卵焼きならあげるよ。」


「いる。」


「即答。」


「卵焼き好き。」


 美咲が自分の弁当箱から卵焼きを取る。


 その横で、ひまりが箸を伸ばした。


「じゃあ私も。」


「ひまりは駄目。」


「何で?」


「唐揚げくれないから。」


「じゃあ交換。」


「交渉成立。」


 何でもない会話だった。


 遼は榊と昼食を取りながら、時々そちらへ視線を向けた。


「秋月。」


「何。」


「今日夏川こっち来ないな。」


「うん。」


「寂しい?」


「何で。」


「いや。」


 榊はパンの袋を開ける。


「最近三人だったから。」


「元々二人だっただろ。」


「まあそうだけど。」


 榊はパンを一口食べる。


「女子と飯食うの、最初は落ち着かなかったけど慣れるもんだな。」


「そうだな。」


「でも二人の方が静かでいいわ。」


「それ本人に言うなよ。」


「言わねえよ。」


 遼は少し笑った。


 また前を見る。


 ひまりと目が合った。


 一瞬だけだった。


 ひまりが小さく笑う。


 遼も少しだけ笑い返した。


 それだけで、ひまりはまた美咲たちとの会話へ戻った。


「……。」


「何?」


 榊が聞く。


「何でもない。」


「そう。」


 榊は興味を失ったようにパンへ戻った。


 放課後。


 美咲たちは駅前へ寄るらしかった。


「ひまりも来る?」


「行く。」


「やった。」


 琴音が笑う。


「四人久しぶりじゃない?」


「久しぶりってほどでもないでしょ。」


「最近ひまり忙しかったじゃん。」


「ごめんごめん。」


「誰のせいだか。」


 琴音が冗談っぽく言う。


「え?」


「何でもない。」


「何それ。」


「ほら行こ。」


 紗奈が二人の間へ入り、ひまりの背中を押した。


「早くしないと混むよ。」


「待って、鞄。」


 四人が教室を出ていく。


 美咲は最後に一度だけ遼の方を見た。


 目が合った。


 遼は何となく会釈した。


 美咲も少しだけ頭を下げ、そのまま廊下へ消えた。


「帰る?」


 榊が聞く。


「うん。」


 二人も教室を出た。


 その日は、それで終わった。


 翌日も。


 その次の日も。


 ひまりは美咲たちと過ごす時間が増えた。


 昼休みは四人。


 放課後も四人。


 授業の合間も、紗奈や琴音がひまりの席へやって来る。


 少し前まであったぎこちなさが、嘘のようだった。


 遼とも普通に話した。


「秋月くん、消しゴム貸して。」


「またなくしたの?」


「家にはある。」


「それはなくしたって言うんだよ。」


「明日返す。」


「今日返せ。」


「細かい男はモテないよ。」


「返さない奴よりマシだろ。」


「それはそう。」


 笑う。


 ただ、それだけだった。


 電話も来なかった。


 一日。


 二日。


 三日。


 遼は気にしなかった。


 そもそも毎日電話する約束などしていない。


 ひまりが美咲と元通りになったのなら、それでいい。


 自分が望んでいたことでもある。


 四日目の夜。


 遼はベッドへ寝転びながらスマートフォンを見ていた。


 時刻は十一時を少し過ぎている。


 何となくメッセージアプリを開く。


 ひまりとのトーク画面。


 最後のやり取りは四日前だった。


『おやすみ』


『おやすみ』


 それだけ。


 遼は画面を閉じた。


 しばらくして、また開く。


 何か送ろうかと思った。


『起きてる?』


 そこまで打って、消した。


 別に用事はない。


 美咲と仲直りできたのなら、それでいい。


 スマートフォンを伏せる。


 眠ろうと目を閉じる。


 数分後。


 また手を伸ばした。


 通知はなかった。


「……何やってんだ。」


 小さく呟く。


 自分でも少し気持ち悪かった。


 電話が来ないだけだ。


 それまでだって、ひまりと話さない日は普通にあった。


 なのに。


 あの夜。


『いてくれてよかった』


 そう言われたことを思い出す。


 教室で袖を掴まれたことを思い出す。


 自分の名前を呼ばれたことを思い出す。


 頼られている。


 榊にそう言われた。


 それが、いつの間にか当たり前になっていたらしい。


 遼はスマートフォンを机へ置いた。


 今度こそ眠った。


 翌日の昼休み。


「今日、秋月くんたちと食べようかな。」


 ひまりが突然言った。


 美咲が顔を上げる。


「いいんじゃない?」


「いい?」


「何で私に聞くの。」


「いや、最近こっちだったから。」


「好きな方で食べればいいじゃん。」


「そっか。」


 ひまりは弁当箱を持って立ち上がった。


「じゃ、行ってくる。」


「いってらっしゃい。」


 美咲は笑った。


 ひまりも笑い返す。


「秋月くん。」


 声がした。


 遼が顔を上げる。


「今日こっちいい?」


「いいよ。」


「俺にも聞けよ。」


 榊が言う。


「榊くんはいいって言うでしょ。」


「何で分かるんだよ。」


「顔。」


「どういう顔だよ。」


 ひまりが笑いながら椅子を持ってくる。


 遼は自分の弁当箱を少し横へずらした。


「久しぶり。」


「四日じゃん。」


「数えてんの?」


 ひまりが言った。


 遼の手が一瞬止まった。


「いや。」


「今、四日って言ったじゃん。」


「適当。」


「怪しい。」


「うるさい。」


 ひまりは楽しそうに笑った。


 榊が二人を見る。


「何の話?」


「秋月くんが私とご飯食べてない日数数えてた。」


「数えてない。」


「四日って即答した。」


「たまたまだろ。」


「へえ。」


「何だよ。」


「別に。」


 ひまりは弁当箱を開けた。


 その顔は笑っていた。


 遼も箸を取る。


 胸の奥にあった小さな引っ掛かりが、いつの間にか消えていた。


 そのことに気付いて。


 今度は別の引っ掛かりが生まれた。


 自分は。


 ひまりが戻ってきたことに、安心している。


「秋月くん。」


「何。」


「今日卵焼きある?」


「あるけど。」


「一個。」


「やだ。」


「何で。」


「夏川も唐揚げ一個。」


「交換?」


「交換。」


「交渉成立。」


 ひまりが弁当箱を少し近付ける。


 遼も自分の弁当箱を動かした。


 榊が呆れたように二人を見る。


「お前ら、それ女子の方でやってなかった?」


「何で知ってんの。」


「声でけえから聞こえてた。」


「盗み聞き。」


「同じ教室だろ。」


 また笑い声が起きた。


 教室の前では、美咲も笑っていた。


 紗奈が何かを話している。


 琴音が笑う。


 美咲も笑う。


 けれど一度だけ。


 話の途中で、美咲の視線が後ろへ向いた。


 ひまりが笑っていた。


 遼も笑っていた。


 榊も何かを言っている。


 三人とも楽しそうだった。


「美咲?」


 琴音に呼ばれる。


「ん?」


「聞いてた?」


「聞いてたよ。」


「じゃあ私、何て言った?」


「……ごめん。聞いてなかった。」


「ほら。」


 琴音が笑う。


 美咲も笑った。


 もう一度、後ろを見ることはなかった。


 その日の夜。


 十一時を過ぎても、遼のスマートフォンは鳴らなかった。


 遼は一度だけ画面を見る。


 通知はない。


 昨日までなら、そのまま置いていた。


 けれど今日は。


 遼はひまりとのトーク画面を開いた。


 少しだけ迷ってから、文字を打つ。


『起きてる?』


 送信する。


 画面を閉じようとした、その直後。


『起きてるよ』


 返事が来た。


 遼はその文字を見つめた。


 そして。


 通話ボタンを押した。

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