第32話 普通に期末でタヒぬ笑
美咲が教室を出ていったあとも、遼はしばらくその方向を見ていた。
最近、ひまりと夜連絡取ってる?
どうしてそんなことを聞いたのだろう。
考えれば理由はいくつか思いつく。最近ひまりと話す時間が増えたから。遼が寝不足だから。あるいは、ひまりが何か口を滑らせたのかもしれない。
けれど、それ以上考える気にはならなかった。
取ってないよ。
口から出た言葉は、自分でも驚くほど自然だった。
秘密にすると約束した。それを守った。ただそれだけだ。
「秋月。」
榊が教室へ戻ってくる。
「藤沢と何話してた?」
「別に。」
「また別にかよ。」
「大したことじゃない。」
「ふーん。」
榊は前の席へ座る。
「てか夏川さんたちは?」
「知らない。」
「珍しいな。」
「何が。」
「最近お前に聞けば夏川さんの居場所分かるじゃん。」
「GPSじゃないんだから。」
「でも見てるだろ。」
「見てないって。」
「はいはい。」
榊は笑いながらパンの袋を開けた。
その日の午後、ひまりはいつも通りだった。
美咲とも普通に話している。美咲も昼休みのことなどなかったように笑っていた。
遼は少しだけ安心した。
何も変わっていない。
放課後。
「秋月くん。」
ひまりが小走りで追いついてくる。
「今日一緒に帰ろ。」
「美咲は?」
「用事あるって。」
「そっか。」
二人で校門を出る。
しばらくは学校の話をした。数学の小テスト。榊が授業中に当てられて答えられなかったこと。神谷が体育で派手に転んだこと。
駅へ向かう途中、遼は思い出した。
「今日、美咲に聞かれた。」
「何を?」
「夜連絡取ってるかって。」
ひまりの足が少しだけ遅くなる。
「……え。」
「取ってないって言ったけど。」
「ほんと?」
「うん。」
ひまりは明らかにほっとした。
「よかった。」
「何で聞いたんだろ。」
「分かんない。」
「夏川、何か言った?」
「言ってないよ。」
「じゃあ何で。」
「……最近一緒にいること多いからじゃない?」
「それだけ?」
「たぶん。」
ひまりは少し考えていたが、すぐに笑った。
「まあ、バレてないならいいや。」
「そんな困る?」
「困る。」
「何で。」
「言ったじゃん。美咲、絶対いろいろ言うから。」
「心配してるだけだろ。」
「分かってるよ。」
少しだけ強い声だった。
遼はひまりを見る。
「怒った?」
「怒ってない。」
「怒ってるじゃん。」
「怒ってないって。」
「じゃあいいけど。」
少しだけ沈黙が続いた。
ひまりが前を向いたまま言う。
「美咲さ。」
「うん。」
「最近、ちょっとしつこいんだよね。」
「大丈夫って?」
「それも。」
ひまりは小さく息を吐く。
「昨日も帰ってから連絡来たし。」
「何て。」
「今日は早く寝なよ、とか。明日無理なら休みなよ、とか。」
「普通じゃん。」
「分かってる。」
また同じ言葉だった。
「分かってるんだけど。」
「うん。」
「ずっと心配されてると、ずっと病人みたいじゃん。」
遼は何も言わなかった。
「学校では普通にしてたいの。」
「そっか。」
「普通に笑って、普通に遊んで、普通に文化祭やって。」
「もう終わったけどな。」
「あ、そうだった。」
ひまりが笑う。
「じゃあ普通に期末で死んで。」
「それは普通なの。」
「高校生だから。」
「嫌な普通だな。」
少しだけ空気が戻った。
「だから。」
ひまりが続ける。
「秋月くんと話してると楽。」
「またそれ。」
「だって、フラバのこと聞かないじゃん。」
「聞いてほしい?」
「嫌。」
「じゃあ聞かない。」
「そういうとこ。」
ひまりが笑った。
その笑顔を見て、遼も笑った。
駅へ着く。
「じゃ、また夜ね。」
「今日も?」
「ダメ?」
「いいけど。」
「十一時。」
「はいはい。」
「寝ないでよ。」
「努力します。」
「約束。」
「昨日から約束多いな。」
「いいじゃん。」
ひまりは笑いながら改札へ消えていった。
その夜も、十一時を少し過ぎた頃に電話が来た。
『もしもし。』
「うん。」
『何してた?』
「勉強。」
『嘘。』
「何で。」
『秋月くんが十一時まで勉強するわけない。』
「失礼だな。」
『じゃあ何の教科?』
「……英語。」
『今考えたでしょ。』
「バレた。」
『何してたの。』
「動画見てた。」
『やっぱり。』
ひまりが笑う。
昼間の少し尖った雰囲気はもうなかった。
「夏川は?」
『ベッド。』
「勉強は。」
『したよ。』
「何の教科。」
『数学。』
「ほんと?」
『ほんと。』
「何ページ。」
『……覚えてない。』
「嘘じゃん。」
『やったもん。』
「怪しい。」
『ほんとだって。』
二人で笑う。
しばらくして、会話が途切れた。
以前なら沈黙になると、ひまりの呼吸を気にしていた。
寝たのか。
フラバしていないか。
苦しくなっていないか。
今は違う。
ただ繋がっているだけだった。
『秋月くん。』
「何。」
『今日、美咲に嘘ついたんだよね。』
「うん。」
『ごめんね。』
「何で夏川が謝るの。」
『私が言わないでって言ったから。』
「俺が勝手に言っただけじゃん。」
『でも。』
「別にいいよ。」
『……ほんとに?』
「うん。」
『嫌だったら言ってね。』
「何を。」
『秘密にするの。』
「嫌じゃない。」
『そっか。』
「うん。」
少し間が空く。
『私も嫌じゃない。』
「何が。」
『秘密。』
「そっか。」
『むしろ、ちょっと好き。』
「秘密が?」
『うん。』
「何で。」
『二人しか知らないことあるの、なんかいいじゃん。』
遼は答えなかった。
『秋月くん?』
「分かる。」
『でしょ?』
「うん。」
嬉しかった。
同じことを思っていた。
自分だけではなかった。
『学校でさ。』
「うん。」
『秋月くんと目合うと、ちょっと面白い。』
「何が。」
『昨日あんなに喋ったのに、みんな知らないんだなって。』
「性格悪いな。」
『秋月くんもでしょ。』
「俺は違う。」
『絶対嘘。』
「証拠は。」
『今日目合ったとき笑ってた。』
「夏川も笑ってたじゃん。」
『じゃあ同罪。』
「何の罪だよ。」
ひまりが笑う。
遼も笑った。
『ねえ。』
「何。」
『これからも秘密にしよ。』
「電話?」
『うん。』
「別にいいよ。」
『学校では普通。』
「うん。」
『夜は電話。』
「うん。」
『なんか変だね。』
「今さらじゃん。」
『それもそうか。』
ひまりがまた笑った。
その夜は、一時近くまで話していた。
翌朝。
遼が教室へ入ると、ひまりはもう来ていた。
美咲と話している。
遼を見る。
一瞬だけ目が合った。
ひまりがほんの少しだけ口元を緩める。
遼も同じように笑った。
それだけ。
「おはよ。」
榊がやって来る。
「おはよ。」
「お前今日も眠そうじゃん。」
「そう?」
「何時に寝た?」
「一時。」
「アホだろ。」
「眠くなかった。」
「授業で寝んなよ。」
「大丈夫。」
「昨日も言ってたじゃん。」
榊が呆れたように笑う。
ホームルームが始まる。
担任が連絡事項を読み上げている間、遼は何となくひまりの方を見た。
ひまりは前を向いている。
何も変わらない。
普通のクラスメイト。
そのはずだった。
昼休み。
美咲とひまりは二人で教室を出ていった。
遼は榊と購買へ向かう。
廊下を歩いていると、少し先に二人の姿が見えた。
「秋月。」
「何。」
「今日カレーパンな。」
「勝手に買えば。」
「一個しかなかったら譲れよ。」
「嫌だよ。」
「友達だろ。」
「こういうときだけな。」
「昨日も聞いたぞ、それ。」
「毎日言うよ。」
榊が笑う。
その前で、美咲がひまりに何かを言った。
声は聞こえない。
ひまりの足が止まる。
美咲も止まった。
何か話している。
「秋月?」
「うん。」
「何見てんの。」
「別に。」
歩き続ける。
二人へ近付くにつれて、声が聞こえてきた。
「だから、そういう意味じゃなくて。」
美咲だった。
「じゃあどういう意味?」
ひまりの声。
いつもの明るさがなかった。
「最近ちょっと変だから。」
「何が。」
「ひまりが。」
「普通じゃん。」
「普通じゃないよ。」
二人とも遼たちには気付いていない。
榊が歩く速度を少し落とした。
「……何か揉めてる?」
小声だった。
遼は答えない。
「前より私に何も言わなくなったじゃん。」
「言うことないから。」
「ほんとに?」
「ほんと。」
「昨日もちゃんと寝た?」
「寝たよ。」
「何時?」
「何でそこまで言わなきゃいけないの。」
ひまりの声が少し大きくなる。
美咲が黙った。
遼も足を止めた。
「……ごめん。」
美咲が言う。
「でも心配だから。」
「それ。」
「え?」
「それが嫌なの。」
ひまりは美咲を見ていた。
「ずっと心配、心配って。」
「だって。」
「私、そんなに変?」
「そういう意味じゃないよ。」
「じゃあ普通にしてよ。」
「普通にしてるじゃん。」
「してない。」
ひまりの声が震えた。
「ずっと見張られてるみたい。」
美咲の表情が止まった。
「……見張ってないよ。」
「分かってる。」
「じゃあ。」
「分かってるけど嫌なの!」
廊下に声が響いた。
何人かが振り返る。
ひまりもそれに気付いたのだろう。
急に黙った。
「……ごめん。」
小さく言う。
美咲は何も言わない。
「ちょっと一人にして。」
ひまりは美咲の横を通り過ぎた。
こちらへ歩いてくる。
そこで初めて、遼たちに気付いた。
「あ。」
ひまりの足が止まる。
遼と目が合う。
その顔に、いつもの笑顔はなかった。
「……聞いてた?」
遼は少し迷った。
「ちょっと。」
「そっか。」
ひまりはそれだけ言った。
榊が困ったように美咲を見る。
「藤沢、大丈夫?」
「うん。」
美咲は笑おうとした。
「大丈夫。」
その言葉に、ひまりの眉がほんの少し動いた。
けれど何も言わなかった。
そのまま遼の横を通り過ぎる。
数歩。
遼は振り返った。
ひまりは一人で歩いていく。
「秋月?」
榊が呼ぶ。
「悪い。」
「え?」
「先行ってて。」
遼はひまりを追った。
「おい。」
後ろから榊の声がした。
それでも止まらなかった。
「夏川。」
呼ぶ。
ひまりが振り返る。
「何。」
「どこ行くの。」
「分かんない。」
「じゃあ俺も行く。」
「購買は?」
「別にいい。」
「榊くん待ってるじゃん。」
「一人で行けるだろ。」
ひまりは少しだけ遼を見る。
「……来るの?」
「うん。」
「そっか。」
二人で歩き始めた。
後ろには、美咲と榊が残っている。
遼は振り返らなかった。
ひまりも振り返らなかった。
階段を下りる。
人の少ない一階の廊下へ出る。
「秋月くん。」
「何。」
「私、最低かな。」
「何で。」
「美咲、悪くないのに。」
「うん。」
「心配してくれてるだけなのに。」
「うん。」
「なのに、うざいって思った。」
遼は少し黙った。
「思うくらいいいんじゃない。」
「いいの?」
「口に出したわけじゃないだろ。」
「似たようなこと言った。」
「でも本当に嫌だったんじゃん。」
「……うん。」
「じゃあ仕方ないだろ。」
ひまりは立ち止まる。
「またそれ。」
「何。」
「秋月くん、私のこと怒らないね。」
「怒る理由ないし。」
「美咲にあんなこと言ったのに?」
「俺は美咲じゃないから。」
ひまりは遼を見ていた。
「そっか。」
「うん。」
少しして、ひまりが笑った。
弱い笑顔だった。
「やっぱ秋月くんがいい。」
遼は何も答えなかった。
ただ、その言葉が胸の奥へ落ちていくのを感じた。
美咲と喧嘩した直後なのに。
ひまりが傷ついているのに。
自分が選ばれたことが。
また、嬉しかった。




