第31話 嘘
それから、夜の電話はまた続くようになった。
ただ、以前とは少し違っていた。
フラバしたから電話するのではない。
眠れないからでもない。
十一時を過ぎると、何となく電話が掛かってくる。
「もしもし。」
『もしもし。』
「今日も?」
『今日も。』
「元気じゃん。」
『元気だよ。』
「じゃあ寝れば。」
『まだ寝たくない。』
「何で。」
『話したいから。』
それだけだった。
昼間にも話している。
学校では同じ教室にいるし、昼休みに一緒に食べることもある。帰り道が重なれば駅まで歩く。
それでも、夜になると電話する。
最初の頃は、ひまりが眠るまでだった。
最近は違う。
どうでもいい話を一時間近くして、それから眠る。
『今日さ、美咲が授業中寝てたの。』
「見た。」
『先生に当てられて起きた瞬間、教科書逆さだったんだよ。』
「そこまでは見てない。」
『めっちゃ面白かった。』
「本人に言った?」
『言った。怒られた。』
「そりゃそうだろ。」
『でも秋月くんも笑うでしょ。』
「ちょっと。」
『ほら。』
ひまりが笑う。
こうしていると、フラバのことなど忘れそうになる。
電話の向こうにいるのは、ただの女子高生だった。
『ねえ。』
「何。」
『秋月くんって、好きな人いる?』
「急だな。」
『夜だから。』
「理由になってない。」
『夜ってこういう話する時間じゃん。』
「知らないよ。」
『いる?』
遼は少し考える。
「どうだろ。」
『何それ。』
「分かんない。」
『好きかどうか分かんない人はいるってこと?』
「……まあ。」
『え。』
声が少し大きくなる。
『誰?』
「言わない。」
『同じクラス?』
「言わない。」
『美咲?』
「何で。」
『仲良さそうじゃん。』
「どこが。」
『たまに話してる。』
「夏川の話しかしてないよ。」
一瞬、沈黙した。
「何。」
『私の話してるの?』
「たまに。」
『何話すの。』
「言わない。」
『気になる。』
「じゃあ今度美咲に聞けば。」
『それは嫌。』
「何で。」
『恥ずかしいじゃん。』
「じゃあ諦めろ。」
『けち。』
ひまりが笑う。
遼も笑った。
『でも。』
「うん。」
『好きな人いるんだ。』
「いるとは言ってない。」
『分かんない人がいる。』
「そう。」
『ふーん。』
「何。」
『別に。』
「夏川は?」
『何が?』
「好きな人。」
『いない。』
即答だった。
「神谷は?」
『また神谷くん。』
「いい奴じゃん。」
『いい人だよ。』
「じゃあ。」
『いい人と好きな人は違うでしょ。』
「そういうもん?」
『そういうもんです。』
「へえ。」
『何その反応。』
「勉強になります。」
『恋愛初心者?』
「夏川は経験豊富なの。」
『……普通。』
「怪しい。」
『うるさい。』
少し間が空いた。
『でも今は、ほんとにいないよ。』
「そっか。」
『うん。』
なぜわざわざ言い直したのだろう。
遼は少し気になったが、聞かなかった。
その夜も、ひまりが眠るまで通話は続いた。
翌朝。
「秋月。」
榊が遼の顔を見るなり言った。
「お前最近ずっと眠そうじゃん。」
「そう?」
「そうだろ。」
「寝てるよ。」
「何時間。」
「五時間くらい。」
「少な。」
「普通じゃない?」
「俺は七時間寝たい。」
「健康優良児。」
「お前がおかしいんだよ。」
榊は自分の席へ座る。
「夜何してんの?」
「スマホ。」
「ゲーム?」
「まあ、いろいろ。」
「エロ動画?」
「何でだよ。」
「高校男子が夜中までスマホ触る理由なんて、ゲームかエロだろ。」
「発想が終わってる。」
「じゃあ何。」
「YouTubeとか。」
「それなら寝ろよ。」
「うるさいな。」
遼は笑った。
嘘をつくのにも慣れてきた。
そこへひまりが入ってくる。
「おはよー。」
「おはよ。」
ひまりはいつものように美咲のところへ行く。
遼の方は見なかった。
昨夜、一時間以上話していたことなど最初からなかったように。
それが少し面白かった。
秘密というのは、こういうものなのかもしれない。
昼間は知らないふりをする。
夜になると、二人だけになる。
遼はそれが気に入っていた。
昼休み。
「秋月くん。」
ひまりがやって来る。
「今日一緒に食べよ。」
「美咲は?」
「神谷くんたちと購買行った。」
「じゃあ待ってれば。」
「嫌なの?」
「別に。」
「じゃあいいじゃん。」
ひまりは前の席へ座る。
「今日ね、卵焼き作った。」
「自分で?」
「うん。」
「昨日卵しか作れないって言ったから?」
「見返してやろうと思って。」
「それ卵じゃん。」
「あ。」
「結局卵じゃん。」
「……うるさい。」
遼は笑う。
「食べる?」
「いいの。」
「一個だけ。」
「じゃあ。」
ひまりが弁当箱を少し前へ出す。
「ほら、早く取って。」
「はいはい。」
自分の箸が、ひまりの弁当箱の中に入る。
「どう?」
「普通。」
「えー。」
「普通にうまい。」
「最初からそう言ってよ。」
「褒めると調子乗るじゃん。」
「乗らないし。」
「彼氏いませんって自己紹介する人が?」
「まだ言う?」
「一生言う。」
「最悪。」
ひまりが笑う。
そのときだった。
「何食べてんの?」
美咲が戻ってきた。
「卵焼き。」
「ひまりの?」
「うん。」
美咲が二人を見る。
「……仲良すぎじゃない?」
「そう?」
ひまりが答える。
「そうでしょ。」
「卵焼き一個だよ。」
「そういう話じゃなくて。」
美咲は自分の席を持ってくる。
「最近また距離近くなってない?」
「気のせいじゃん。」
「そうかな。」
「そうそう。」
ひまりは何でもないように弁当を食べる。
遼も何も言わなかった。
美咲はしばらく二人を見ていたが、やがて別の話を始めた。
放課後。
遼が榊と教室を出ようとすると、後ろからひまりが追いかけてきた。
「秋月くん。」
「何。」
「今日、駅まで一緒に帰れる?」
「いいよ。」
「おい。」
榊が言う。
「俺は?」
「あ。」
ひまりが笑う。
「榊くんも一緒でいいよ。」
「ついでみたいに言うなよ。」
「違う違う。」
「俺が先約だったんだけど。」
「じゃあ三人。」
「そうしようぜ。」
三人で学校を出る。
榊がいるせいか、ひまりは夜の話をしなかった。
文化祭の打ち上げをするか。
期末試験が近い。
冬休みはどこへ行くか。
そんな普通の話だけだった。
駅前へ着く。
「じゃあ俺こっち。」
榊が手を上げる。
「また明日。」
「またねー。」
「じゃあな。」
榊が人混みへ消える。
ひまりと二人になる。
「榊くん、面白いね。」
「今さら?」
「ちゃんと話したの最近じゃん。」
「そうだっけ。」
「うん。」
「結構いい奴だよ。」
「知ってる。」
「何で。」
「見てれば分かる。」
「夏川、人のことよく見てるじゃん。」
「秋月くんに言われたくない。」
ひまりが笑う。
改札の前まで来る。
「じゃあね。」
「うん。」
「また夜。」
ひまりが小さな声で言った。
「うん。」
「十一時くらい。」
「分かった。」
「出てね。」
「寝てたら?」
「起こす。」
「最悪。」
「じゃあ起きてて。」
「はいはい。」
ひまりが笑う。
そのまま改札へ入っていく。
遼はその背中を見送った。
「また夜。」
その言葉が妙に嬉しかった。
約束になっている。
ひまりが苦しい夜だけではない。
何でもない夜にも、自分がいる。
それなら。
もうフラバなんてなくてもいい。
遼はそう思った。
今度は、心からそう思えた。
夜十一時。
約束通り電話が来た。
「もしもし。」
『もしもし。』
「時間ぴったり。」
『偉い?』
「何が。」
『約束守った。』
「普通だろ。」
『褒めてよ。』
「偉い偉い。」
『雑。』
いつものやり取り。
遼はベッドへ横になる。
『今日さ。』
「うん。」
『美咲に言われた。』
「何を。」
『秋月くんと仲良すぎじゃないって。』
「ああ。」
『どう思う?』
「別に普通じゃない。」
『だよね。』
「うん。」
『……普通だよね。』
「何。」
『何でもない。』
少し沈黙。
『でもさ。』
「うん。」
『美咲、気付くかな。』
「電話?」
『うん。』
「どうだろ。」
『最近、秋月くん眠そうだし。』
「それで分かるか?」
『榊くんは?』
「今日聞かれた。」
『え。』
「夜何してるのって。」
『何て言ったの?』
「スマホ。」
『電話って言ってない?』
「言ってないよ。」
『よかった。』
明らかに安心した声だった。
「そんな隠したい?」
『うん。』
「何で。」
『だって。』
少し間が空く。
『取られそうだから。』
「何を。」
『この時間。』
遼は黙った。
『美咲に知られたら、毎日はやめなって言われそう。』
「まあ言いそう。」
『先生に知られたらもっと面倒。』
「先生には言わないだろ。」
『でも何かの拍子に。』
「そんな心配しなくても。」
『だから秘密がいい。』
「うん。」
『秋月くんも嫌じゃないでしょ?』
「何が。」
『毎日電話。』
「嫌なら出てないよ。」
『そっか。』
「うん。」
『よかった。』
また沈黙。
しばらくして、ひまりが小さく言った。
『ねえ。』
「何。」
『もし美咲に聞かれても、言わないでね。』
「言わないよ。」
『絶対?』
「絶対。」
『約束。』
「約束。」
ひまりが小さく笑う。
『じゃあ安心。』
その言葉を聞いて、遼も笑った。
何も悪くない。
誰かを傷つけているわけでもない。
ただ話しているだけ。
ひまりも楽しんでいる。
自分も楽しい。
だから、秘密にすることにも問題はない。
そう思った。
翌日の昼休み。
遼が一人で教室に残っていると、美咲がやって来た。
「秋月くん。」
「何?」
「ちょっと聞いていい?」
「うん。」
美咲は遼の前の席へ座った。
いつもの軽い調子ではなかった。
「最近さ。」
「うん。」
「ひまりと、夜連絡取ってる?」
遼は美咲を見た。
一瞬だけ、昨夜の声が蘇る。
『絶対?』
『絶対。』
『約束。』
遼はほとんど迷わなかった。
「取ってないよ。」
美咲は遼の顔を見ていた。
「ほんと?」
「うん。」
「そっか。」
それだけ言って、少し笑った。
「ならいいや。」
美咲は立ち上がる。
「変なこと聞いてごめん。」
「別に。」
「じゃ。」
教室を出ていく。
遼はその背中を見送った。
嘘をついた。
昨日までとは違う。
誤魔化したのではない。
聞かれたことに、はっきり嘘で答えた。
それでも、不思議と罪悪感はなかった。
約束を守っただけだ。
ひまりとの。
それだけだった。
遼はそう思った。
美咲がなぜ、その質問をしたのか。
それを考えることもしなかった。




