第25話 めちゃくちゃ濃いよ
着信が来たのは、その数秒後だった。
「もしもし。」
『もしもし。』
「無理だった?」
『……無理でした。』
「早かったな。」
『うるさい。』
少し拗ねたような声だった。
「一人で寝る練習は。」
『明日から頑張る。』
「今日言ってたじゃん。」
『今日は練習の練習。』
「何それ。」
『準備期間みたいな。』
「便利だな。」
『でしょ。』
ひまりが笑う。
遼も笑った。
その声を聞きながら、遼はベッドへ横になった。
「何かあった?」
『何かって?』
「フラバ。」
『ああ。』
少し間が空く。
『ないよ。』
「そう。」
『普通に寝られないだけ。』
「じゃあ何で電話したの。」
『ダメ?』
「ダメとは言ってない。」
『じゃあいいじゃん。』
「まあ。」
ひまりは少し黙った。
『……何かね。』
「うん。」
『静かだと考えちゃうんだよね。』
「何を。」
『いろいろ。』
「便利な言葉だな。」
『秋月くんに言われたくない。』
「俺そんなこと言う?」
『言うよ。すぐ「別に」とか「何となく」とか言うじゃん。』
「そうだっけ。」
『そう。』
ひまりは笑った。
『だから、声聞いてた方が楽。』
遼は天井を見る。
「俺の?」
『秋月くんに電話してるんだからそうでしょ。』
「まあ。」
『何その反応。』
「いや。」
嬉しかった。
昨日とは少し違う。
今日はフラバしていない。
怖いことを思い出したわけでもない。
それでも、ひまりは自分へ電話した。
それなら。
フラバなんて関係ない。
そう思った。
「じゃあ何話す?」
『何でもいい。』
「一番困るやつ。」
『じゃあ秋月くんが面白い話して。』
「無茶振りじゃん。」
『一個くらいあるでしょ。』
「ない。」
『人生薄いなぁ。』
「夏川に言われたくない。」
『私の人生めちゃくちゃ濃いよ。』
ひまりがそう言って笑った。
遼も笑いかけて、少しだけ止まる。
ひまりも気付いたらしい。
『……今のなし。』
「うん。」
『変な空気になった。』
「自分でやったんだろ。」
『助けてよ。』
「どうやって。」
『何か面白いこと言って。』
「だから無理だって。」
『使えない。』
「切るぞ。」
『ごめんなさい。』
二人で笑った。
そのまま、話題は学校のことへ移った。
期末試験。
冬休み。
クリスマス。
『秋月くん、クリスマス何するの?』
「知らない。」
『彼女は?』
「いない。」
『知ってる。』
「何で聞いたんだよ。」
『確認。』
「夏川は。」
『美咲と遊ぶかも。』
「神谷は。」
『また神谷くん。』
「何で毎回怒るんだよ。」
『怒ってないけど。秋月くん、私と神谷くんくっつけたがるよね。』
「別に。」
『ほら出た。別に。』
「本当に別にだから。」
『じゃあさ。』
「うん。」
『私が神谷くんと付き合ったらどうする?』
遼は黙った。
『秋月くん?』
「何。」
『今考えたでしょ。』
「考えるだろ。」
『どうする?』
「どうもしない。」
『ほんと?』
「夏川の勝手じゃん。」
『ふーん。』
「何。」
『つまんない。』
「何て言ってほしかったんだよ。」
『別に。』
「真似すんな。」
『別にー。』
ひまりが楽しそうに笑う。
遼は少しだけ眉を寄せた。
神谷と付き合う。
想像する。
昼休みに二人で話す。
一緒に帰る。
夜に電話する。
もしフラバが起きたら。
神谷に電話する。
そこまで考えたところで、嫌になった。
「夏川。」
『ん?』
「神谷のこと好きなの?」
『え。』
「いや、さっきの。」
『ああ。』
少し間が空く。
『別に。』
「真似すんなって。」
『ほんとだよ。普通に友達。』
「そう。」
『安心した?』
「何で。」
『何となく。』
「してない。」
『ふーん。』
「何だよ。」
『何でもない。』
ひまりの声が少し楽しそうだった。
それから一時間ほど話した。
眠気が強くなってくる。
『秋月くん。』
「何。」
『今日もこのままでいい?』
「いいよ。」
『即答じゃん。』
「眠いから。」
『それだけ?』
「それだけ。」
『そっか。』
布団が擦れる音。
『じゃあ、おやすみ。』
「おやすみ。」
しばらくすると、ひまりの呼吸がゆっくりになった。
遼も目を閉じる。
今日は何も起きていない。
それでも電話が来た。
その事実が嬉しかった。
昨日まで自分の中にあった嫌なものが、少しだけ薄くなった気がした。
やっぱり、フラバなんて関係ない。
ひまりは普通に自分と話したくて電話している。
自分も普通にひまりと話したい。
それだけだ。
そう考えると、安心して眠ることができた。
翌日。
昼休みになると、ひまりが遼の席へやって来た。
「眠い。」
「知ってる。」
「誰のせい。」
「夏川。」
「またそれ。」
ひまりは前の席へ座る。
「昨日何時まで繋がってた?」
「知らない。」
「朝見なかったの?」
「見てない。」
「雑。」
「寝てたんだから仕方ないだろ。」
「秋月くんって意外と寝るよね。」
「人間だからな。」
「私も人間。」
「知ってる。」
ひまりが笑う。
「ひまり。」
美咲の声がした。
「何してんの?」
「秋月くんと話してる。」
「それは見れば分かる。」
美咲がこちらへ歩いてくる。
「昨日も電話した?」
ひまりが一瞬黙る。
「……した。」
「また?」
「ちょっとだけ。」
遼はひまりを見る。
二時間近くは繋がっていたはずだった。
「ちょっとって何時間?」
「覚えてない。」
「寝落ち?」
「うん。」
美咲は小さく息を吐いた。
「ひまりさ。」
「何。」
「最近、秋月くんに頼りすぎじゃない?」
ひまりの笑顔が少しだけ薄くなった。
「そう?」
「そうでしょ。」
「でも別に、秋月くんがいいって言ってるし。」
「秋月くんがよくてもさ。」
美咲は遼を見る。
「毎晩付き合わせるのは違くない?」
「毎晩じゃないよ。」
「昨日も一昨日もでしょ。」
「……二日じゃん。」
「そういう話じゃなくて。」
ひまりが少し黙る。
遼は二人を見ていた。
美咲の言っていることは分かる。
普通なら、そう思うだろう。
「俺は別にいいよ。」
遼が言う。
美咲がこちらを見る。
「でも秋月くん、学校あるじゃん。」
「寝てるから。」
「電話繋いだまま?」
「うん。」
「それ意味ある?」
「夏川が寝られるなら。」
美咲は少しだけ眉を寄せた。
「……秋月くん、優しすぎない?」
「そう?」
「そうだよ。」
「美咲。」
ひまりが少し不満そうに呼ぶ。
「別にいいじゃん。」
「よくないって言ってるわけじゃないよ。」
「じゃあ何。」
「だから。」
美咲は少し言葉を探した。
「ひまり、この前自分で何とかできるようになりたいって言ってたじゃん。」
「言ったけど。」
「だったら毎回秋月くんに電話してたら意味なくない?」
ひまりは黙った。
遼も何も言わなかった。
正しい。
昨日まで自分も、同じようなことを考えていた。
一人で眠れるようになった方がいい。
一人でフラバから戻れるようになった方がいい。
その方が、ひまりのためになる。
「……分かってるよ。」
ひまりが小さく言った。
「ならいいけど。」
美咲の声はいつもと変わらなかった。
責めているというより、本当に心配しているだけなのだろう。
「今日、一緒に帰ろ。」
「うん。」
「駅前寄ろうよ。」
「いいよ。」
美咲が笑う。
ひまりも少し遅れて笑った。
それで話は終わった。
美咲が自分の席へ戻る。
ひまりはまだ遼の前に座っていた。
「怒られた。」
「心配してるんだろ。」
「分かってるけど。」
少し口を尖らせる。
「秋月くんも迷惑だった?」
「別に。」
「ほんと?」
「嫌なら出ないって。」
「だよね。」
ひまりは少し安心したように笑った。
その顔を見た瞬間、遼は言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
一人で寝る練習した方がいいんじゃない。
美咲の言う通りだろ。
本当は、そう言うべきだった。
分かっていた。
けれど。
「眠れなかったら電話すれば。」
代わりに、そう言った。
ひまりが遼を見る。
「いいの?」
「うん。」
「美咲に怒られるよ。」
「言わなきゃいいじゃん。」
口にしてから、遼は少しだけ止まった。
ひまりも一瞬だけ目を丸くする。
それから。
「……悪い人だ。」
小さく笑った。
「夏川が言うなよ。」
「私まだ何もしてないもん。」
「昨日電話しただろ。」
「秋月くんが出たんじゃん。」
「掛けたの夏川だろ。」
「出たの秋月くん。」
「じゃあ今日から出ない。」
「それは困る。」
「どっちだよ。」
ひまりは笑った。
遼も笑った。
そのまま予鈴が鳴り、ひまりは自分の席へ戻っていった。
遼は教科書を机へ出す。
何もおかしなことは言っていない。
眠れないなら電話すればいい。
それだけだ。
美咲に言う必要もない。
二人の間のことなのだから。
そう思った。
それなのに。
授業が始まってからも、
『言わなきゃいいじゃん』
自分が言ったその一言だけが、何度か頭に浮かんだ。
放課後。
ひまりは約束通り美咲と帰った。
遼は榊と駅へ向かった。
「秋月。」
「何。」
「今日、藤沢と何か話してたろ。」
「夏川のこと。」
「ああ。」
榊は少し考える。
「また何かあった?」
「電話してるって話。」
「電話?」
「夜。」
「へえ。」
榊が遼を見る。
「結構してんの?」
「たまに。」
「ふーん。」
「何。」
「いや。」
榊は前を向く。
「お前ら、もう付き合えばいいじゃん。」
「何でそうなるんだよ。」
「普通そうなるだろ。」
「ならない。」
「夜中に電話して寝落ちしてんだろ?」
「まあ。」
「十分じゃん。」
「何が。」
「知らねえけど。」
榊は笑った。
「ただ、藤沢が心配するのも分かるけどな。」
「何で。」
「夏川さん、最近お前に寄りかかってる感じするだろ。」
遼は黙った。
「悪いって意味じゃねえよ。」
榊は続ける。
「でもお前がいないと無理、みたいになったら面倒じゃん。」
「面倒?」
「お互いに。」
「……そうかな。」
「そうだろ。」
榊は笑う。
「友達でも彼女でも、一人に全部乗っけたら重いって。」
「榊、たまにまともなこと言うな。」
「たまには余計だろ。」
二人で笑った。
それでも。
遼の中には、別の言葉が残っていた。
お前がいないと無理。
美咲も似たようなことを言っていた。
それは良くないことなのだろう。
頭では分かる。
なのに。
もし本当にそうなったら。
ひまりが、自分がいないと眠れなくなったら。
自分がいないとフラバから戻れなくなったら。
自分がいないと。
そこまで考えて、遼はやめた。
夜十一時。
スマートフォンは鳴らなかった。
十一時半。
何も来ない。
十二時。
まだ来ない。
美咲の言うことを聞いたのだろうか。
今日は一人で寝るつもりなのかもしれない。
それがいい。
その方がいい。
遼はスマートフォンを伏せた。
目を閉じる。
五分ほどして、また画面を見る。
何もない。
十二時二十分。
遼はLINEを開いた。
ひまりとのトーク画面。
最後のメッセージは、夕方に届いたスタンプだった。
指が入力欄に触れる。
何を送る。
眠れた?
起きてる?
今日は大丈夫?
どれも違う気がした。
遼は画面を閉じた。
自分から掛ければいい。
普通に話したいだけなら。
昨日もそう考えた。
でも、掛けなかった。
今日も掛けない。
ひまりから来るのを待っている。
なぜ。
答えは、もう少しだけ分かっていた。
自分から電話をすれば、ただ話したいだけだ。
ひまりから電話が来れば。
必要とされている。
その違いだった。
遼はスマートフォンを枕元へ置いた。
十二時四十二分。
画面が光った。
『起きてる?』
遼はすぐに手を伸ばした。
そして、返信する前に。
自分が笑っていることに気付いた。
昨日と同じだった。
違うのは。
今日はもう、その理由も分かっていた。




