第12話 LINE
ひまりとLINEを交換してからといって、何かが大きく変わったわけではなかった。
翌朝もひまりはいつも通り教室へ入り、美咲の席へ向かい、途中で何人かに声を掛けられては立ち止まり、朝のホームルームが始まる頃になってようやく自分の席へ座った。遼とも目が合えば「おはよ」と笑ったが、それ以上のことはなく、昨日二人で帰ったことをわざわざ話すこともなかった。
変わったことがあるとすれば、スマートフォンの中にひまりが増えたことくらいだった。
昼休み、遼が購買から戻る途中でポケットが震えた。
『秋月くん』
教室へ入る直前だった。
『今どこ』
遼は廊下から教室の中を見る。ひまりは美咲たちと机を囲んで弁当を食べていて、スマートフォンを机の下へ隠すように持っていた。
『教室の前』
送る。
すぐにひまりが顔を上げた。
目が合う。
笑う。
そしてまたスマートフォンを見る。
『ほんとだ』
遼はそのまま教室へ入り、自分の席へ戻った。
『何だったの』
そう送ると、少しして返信が来た。
『別に』
『暇だった』
遼は画面を見る。
『目の前に美咲いるじゃん』
『いる』
『じゃあ暇じゃないだろ』
『秋月くんにも送りたかったの』
意味が分からなかった。
顔を上げると、ひまりはもう美咲と話していた。何か面白いことを言われたらしく、口元を押さえながら笑っている。
「何ニヤニヤしてんの。」
突然、榊が前の席へ座った。
「してない。」
「してた。」
「してない。」
「LINE?」
「うん。」
「誰。」
「夏川。」
榊が少しだけ目を見開いた。
「いつ交換したの。」
「昨日。」
「へえ。」
それだけ言って、榊は遼のスマートフォンを覗こうとする。
「見るな。」
「何話してんの。」
「何も。」
「何もって何だよ。」
「今どこって聞かれた。」
「お前、教室にいるじゃん。」
「俺もそう思った。」
榊は少し考えてから、ひまりの方を見る。
「それさ。」
「何。」
「普通に脈あるんじゃない?」
「ないだろ。」
「何で言い切れるんだよ。」
「夏川だし。」
「ああ。」
それだけで榊も何となく納得したようだった。
ひまりは誰にでも距離が近い。LINEを交換したくらいで特別な意味があるとは思えなかったし、実際、クラスの半分くらいとはすでに連絡先を交換しているのかもしれない。
その日の放課後も文化祭準備が続いた。
昨日の発作のことを話す者はもうほとんどいなかった。例の看板は教室の後ろで乾かされ、本人も「芸術作品だから触るなよ」と笑っている。ひまりも普通に作業へ参加し、神谷と一緒に必要な材料を確認したり、美咲と飾りを作ったりしていた。
ただ、昨日までと少しだけ違うこともあった。
「ひまり、それ取って。」
「ん。」
「ありがと。」
「どういたしまして。」
「……今日大丈夫?」
美咲が何気なく聞く。
「大丈夫だよ。」
「ならいいけど。」
それで会話は終わった。
以前ならもう少し顔色を見たり、無理するなと言ったりしていた気がする。けれど今日は、本当にただ確認しただけだった。
ひまりも気にしていない。
むしろ、その方が楽そうに見えた。
昨日、自分で言っていた通りなのだろう。
慣れてもらった方が楽。
その言葉を思い出しながら、遼はガムテープを切った。
作業が終わったのは六時過ぎだった。
「今日は解散!」
神谷の声で、生徒たちが一斉に帰り支度を始める。
「秋月くん。」
ひまりが近付いてきた。
「今日も一緒に帰る?」
「いいよ。」
「あ。」
その直後、美咲がひまりの肩を掴んだ。
「今日は私がいます。」
「そうだった。」
「そうだった、じゃない。」
「じゃあ三人?」
「秋月くん困るでしょ。」
「別に。」
「ほら。」
「何がほらなの。」
結局、三人で昇降口まで歩いたが、美咲は別の友達を見つけると、「ごめん、今日こっちと帰る」とあっさり離れていった。
「薄情者。」
ひまりがその背中へ言う。
「明日ねー。」
美咲は振り返りもせず手だけ振った。
校門を出る。
「二日連続だね。」
「何が。」
「一緒に帰るの。」
「ああ。」
「嫌?」
「別に。」
「秋月くん、別にってよく言うよね。」
「そう?」
「言う。」
ひまりは少し真似するように低い声を作った。
「別に。」
「そんな言い方してない。」
「してるしてる。」
笑いながら歩く。
昨日より会話は多かった。
文化祭のこと。担任のこと。美咲のこと。榊のこと。駅前に新しくできた店のこと。どれも大した話ではなく、ひまりも昨日の発作には触れなかった。
「私さ。」
しばらくして、ひまりが言った。
「転校してきたとき、秋月くんちょっと怖かったんだよね。」
「俺?」
「うん。」
「何で。」
「全然喋らないし、ずっと外見てるし。」
「また窓の話。」
「あと人のことめっちゃ見る。」
「それ夏川だけが言ってる。」
「榊くんも言ってたじゃん。」
「そうだった。」
「ほら。」
ひまりは笑った。
「でも今は?」
何となく聞く。
「今?」
ひまりは少し考える。
「変な人。」
「悪化してるじゃん。」
「あはは。」
「怖いよりひどい。」
「でも、いい意味で。」
「変な人にいい意味ある?」
「あるある。」
「例えば。」
「んー。」
ひまりは歩きながら少し考えていたが、結局「分かんない」と笑った。
駅前で昨日と同じように別れた。
「じゃあまた明日。」
「うん。」
「LINEするね。」
「宣言するものなの?」
「するの。」
ひまりは手を振り、人混みへ消えていった。
その日の夜。
遼が風呂から上がると、スマートフォンに三件の通知が来ていた。
『秋月くん』
『起きてる?』
『寝た?』
時刻は十時四十分だった。
『起きてる』
送ると、すぐに既読が付いた。
『よかった』
『何してた?』
『風呂』
『お風呂長くない?』
『普通』
『返信なかったから寝たかと思った』
『十分くらいじゃん』
『十分は長い』
遼はベッドへ座りながら返信する。
『何かあった?』
今度は少し間が空いた。
『何もないよ』
続けて、
『暇だっただけ』
昨日から何度目かの言葉だった。
『美咲は?』
『もう寝るって』
『早いな』
『健康優良児だから』
『夏川は寝ないの』
『まだ眠くない』
それからしばらく、どうでもいい会話が続いた。
好きな食べ物。
文化祭が終わったら何をするか。
テストが嫌だという話。
榊は本当に一か月寝られるのかという話。
気付けば十一時半を過ぎていた。
『そろそろ寝る』
遼が送る。
『えー』
『明日学校』
『知ってる』
『夏川も寝ろ』
『はーい』
少しして、猫が布団へ潜り込むスタンプが送られてきた。
『おやすみ』
『おやすみ』
遼はスマートフォンを充電器へ繋ぎ、ベッドへ横になった。
数分後。
また通知音が鳴った。
ひまりだった。
『秋月くん』
遼は画面を見る。
続きが来ない。
『何』
既読が付く。
一分ほど待っても返信はなかった。
『どうした?』
今度は既読も付かなかった。
寝たのだろうか。
スマートフォンを置こうとしたところで、画面が光った。
『ごめん』
それだけだった。
遼は少し起き上がる。
『何が?』
また間が空く。
『なんでもない』
『ほんとに』
続けて笑っているスタンプが送られてくる。
遼はそのスタンプをしばらく見ていた。
昼間のひまりと同じ顔だった。
何もないと言うなら、それ以上聞く必要はない。
『分かった』
そう返す。
今度こそスマートフォンを置いた。
けれど眠りにつくまでの間、最後の「ごめん」だけが、何度か頭の中に浮かんだ。




