第二話「懐かしき名前たち」
第二話「懐かしき名前たち」
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作業場での最初の仕事は、自己紹介だった。
忠清殿が、私たちを順番に見た。
「名を聞かせてもらおう。」
私が先に名乗った。
「堀田健吾と申します。」
忠清殿の目が、わずかに動いた。
次に阿部が名乗った。
「阿部誠です。理論担当です。」
また、忠清殿の目が動いた。
稲葉が続いた。
「稲葉光司です。実装は任せてください。」
忠清殿は、静かに何かを考えるような顔をした。
最後に久世が名乗った。
「久世恵子です。チームの取りまとめをしています。
よろしくお願いします。」
忠清殿は、しばらく黙っていた。
その沈黙が、少し長かった。
堀田。阿部。稲葉。久世。
私は苗字の一致にすでに気づいていた。
だが他の三人は気づいていない。
忠清さまが四人の名前を聞いて静かに考え込む様子を見て、
他の三人は忠清さんの沈黙の意味が分からず、少し戸惑っている。
私だけが、その沈黙の重さを理解した。
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酒井忠清。
これらの老中たちと共に政を動かした男。
歴史小説では悪役として描かれた男。
その名前を、まさかここで聞くことになるとは思っていなかった。
久世が忠清さまに聞いた。
「私たちの苗字に何かございますか?」
忠清殿がようやく口を開いた。
「……懐かしい名前だ。」
それだけだった。
だが、その一言に、三百年以上分の重みがあった。
私は少しうれしくなった。
覚えていたんだな、と思った。
この人は、かつての合議の場で共に政を動かした者たちの名前を、
三百年経っても懐かしがっていた。
なんて血の通った人間なのだろうか。
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黄泉ネットの具体的な話が進んでいく。
忠清殿と田中殿のやり取りが始まった。
私はその様子を眺めながら、考えていた。
生前、私は忠清殿について、本の中でしか知らなかった。
「樅ノ木は残った」の冷徹な権力者。
歴史書の下馬将軍。
だが、今目の前にいる男は、
かつての老中たちの名前を聞いて、
静かに「懐かしい」と言った。
権力の亡者が、そんな言葉を使うだろうか。
私は思い切ることにした。
「忠清さま。」
「なんだ。」
「私は生前、歴史小説が好きでして。」
忠清殿は黙って聞いていた。
「大老酒井忠清さま。存じ上げております。光栄なことです。」
少し間があった。
「……ほう。」
「はい。ただ、その、本の中で描かれていた忠清さまと、
今目の前にいる方が、少し違う気がしまして。」
「ほう。どのように書かれているのか、少し気になるな。
いずれ、教えていただきたいものだな。」
すこし表情が崩れたように感じた。
自分がどのように書かれているか気になるのか。
冷徹な人間が、そのような事気にするとは思えない。
自分の中の忠清像にヒビが入っていくのを感じた。
「……今度じっくり、お話させていただきたく存じます。」
「うむ。今は、この仕事を頼む。」
そう言うと、とても姿勢よく泰然と踵を帰して去っていった。
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その夜。
私は紙を取り出した。
メモを書き始めた。
「忠清殿と仕事ができることを、有難く感じている。
生前、本の中でしか知らなかった人物と、今ここで共に働いている。
しかも、私たちの苗字を聞いて、懐かしいと言った。
本の中の忠清像と、目の前の忠清殿。
どちらが本物なのか。
いや、どちらも本物なのかもしれない。
これからこの方と仕事をしながら、
少しずつ分かってくることがあるかもしれない。
感じたことを、この先も書き留めておこう。
この人のことを、もっとよく知りたい。」
私はメモを閉じた。
黄泉の国の書庫に、まだ読んでいない本があるかもしれない。
仕事の合間に探してみよう。




