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この景色の先には  作者: 汐見かわ
海と島と
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8/31

3-1

 ひいおじいちゃんが用意をしてくれた食事を食べ終えて、ふと壁に貼られているポスターを眺めながら思った。

『健康は国のため!』と書かれている。

 健康が国の為になるなんてあんまり関係ないと思うんだけど、病院のポスターなんてそんなもんか。往診をすると言っていたので、今日はここの診療所は使わないってことで良いのかな。ひいおじいちゃんは21歳と言っていた。結婚もしてないって言ってたし、おじいちゃんはまだ生まれてないみたい。そして今は何年何月なんだろう。

 スマホを取り出し、ネットに繋げようとしてはたと気が付いた。右上のマークが「圏外」になっている。まぁ当たり前だけど、ネットは使えないらしい。使えるのはカメラ機能と録音と録画くらいかな。

 私は診療所の中をスマホで何枚か撮影をした。古めかしくレトロで良い雰囲気。元の時代に帰れたらおじいちゃんに見せよう。みんなに見せたらどう思うかな。ひいおじいちゃんの名前は川本省吾で若先生って呼ばれてたよって。姉と良く似てたよ。まぁまぁイケメンだったよって伝えないと。伝えないと……。

 ……私、戻れるよね?

 家族のことを思うと急に不安になってきて心細くなった。このまま帰れなかったら私はどうしたら良いのだろう。

 戻れないことを想像すると恐ろしく、もう自分の味方はこの世に誰も存在しないんじゃないかとさえ思う。

 雀か何かの鳥の鳴き声が診療所のすぐ近くで聞こえ、悪い方に考えることはそこでやめた。とりあえずうさぎを探さないと。きっと何かきっかけがあるはず。スマホをポケットに入れて、前髪を少し整えた。

 そういえばすぐそばに小さな林があった気がするけど、それは今もあるのかな。気晴らしに少し周りを散策してみようか。

 よいしょと立ち上がると、食べ終えた食器が目に入った。さすがにこのまま置いておくのは失礼だよね……。虫がたかっても嫌だし。台所に持って行けば良いのかな。トレーを持ち上げると食器の乗ったトレーは思ったよりもずしりと重かった。漆が塗ってあるのか表面はつやつやとして木目は見えない。トレーというよりお盆という呼び方が相応しいのかもしれない。

 お盆を持ちながら硬くて滑りにくい引き戸を少しずつ開けるとまぶしい朝の光の中で真っ青な青空と海、そして海に浮かぶ島々が遠くに見えた。

 陸から見えている風景はあまり変わらない。海も島もそこにあるものは同じだった。


「わぁ……綺麗……やっぱりいる場所は同じなんだ」


 視線を海から陸地へと向けると、小さな家や畑が広がっていた。建物の壁や屋根はほとんどが茶色か紺色の屋根瓦で全体的にくすんでいる。その地上の土くさい光景が空と海の青色を鮮やかに見せ、よりいっそう海の向こうの島々の存在が力強く見える。


「あれ……? でも何であそこの山は赤いんだろう」


 一番手前の、うさぎが多くいた島の山という山が赤く染まっていた。

 ぼんやり島を眺めていると、着物を着た女性がちょうど家の縁側にいて、大きなカゴをもって外に出ようとしていた。あの人が若先生のお母さんかもしれない。盆を持った私に気が付くと、着物の女性はにこりと私に向かって微笑んだ。


「おはよう。あなたが夏実さんじゃね。省吾(しょうご)の母です。お体の具合はどうですか?」


 大きなカゴを抱えながらそう言って私の持つお盆に視線を向けた。


「お盆はそこに置いておいて下さいね。東京の方のお口に合いましたじゃろうか?」

「朝ご飯ありがとうございました。ごちそうさまでした」

 

 標準語の中に広島弁が少し混ざり、小柄で黒髪を結った上品な女性だった。和服を着て落ち着いた身なりだけど、もしかすると私の母よりも若いのかもしれない。カゴの中にはしっとりと濡れた洋服が入っているようでこれから洗濯物を干す作業なのかもしれない。


「あの……迷惑じゃなければ干すの手伝います」

「まぁ! 本当ですか? 嬉しいわぁ、ではお願いしますね」


 うふふと柔らかく微笑まれて、少しドキりとしてしまった。ああ、若先生はお母さん似なんだ。何で私にはこの遺伝子があんまり、いやほとんど流れていないんだろう。そうしたら可愛い女子になれたかもしれないのに。

 お盆を縁側に置くと、上品なお母さんの後をついて行った。

 平屋の家をぐるりと反対に回った方に大きなV字型の木が付けられた物干し台と木でできた物干しが置いてあった。家のベランダにあるものよりもずいぶん大きく高さもあった。

 私は洗濯なんて洗濯機のスイッチしか押したことないけど、たぶんこの時代の人は手洗いだよね。毎日重労働だ。

 上品なお母さんは地面にどさりとカゴを置くと、一番上にカゴに入っていた花柄の浴衣を干し始めた。私も慌てて浴衣の端を持ち、物干しに通した。浴衣を干したその奥には赤い島と青い海が建物の隙間から見えている。


「あそこに見える島はどうして赤いんでしょう?」


 にこやかだったお母さんの顔が少し強張った……気がした。


「そうじゃねぇ……どうしてなんじゃろうねぇ」


 すぐに柔らかい表情になり、次の洗濯物をカゴから取り出している。


「あそこは陸軍の施設がありますけぇ……」

「え……軍……ですか?」


 洗濯物を取り出ししわしわになっているズボンの端を私に渡し、人差し指を自分の唇に添えた。


「あの島のことは見んこと、言わんこと、話さんこと。ええね?」


 何で……うさぎがたくさんいる海水浴場もあるのどかな島なのに。

 上品なお母さんはそれ以上は何も言わずに忙しそうに洗濯物を干し続けた。

 

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