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この景色の先には  作者: 汐見かわ
川本診療所
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2-1

「誰だ、泥棒か?」


 目の前に立っている男の人は若く、お父さんでもおじいちゃんでも、(あきら)おじさんでもなかった。誰?

 月明かりの逆光で顔は良く見えなかったけれど、声からしてかなり警戒しているのがわかる。私のことを泥棒だと思って排除しようとしている。あたりの空気が緊張で張りつめ、息をするのもためらうほどだった。


「泥棒かと聞いている。名を名乗れ」


 手には先が3つに分かれているフォークのような刃物がついた棒を持っている。なぜ私が泥棒だと疑われているんだろう。状況がわからない。

 とりあえず両手をあげて抵抗をする意思は無いことを伝えないと。

 両手をあげると同時に私の方に切っ先を近づけられた。すごく怖い。


岩隈夏実(いわくまなつみ)……泥棒……ではないです」

「泥棒でないなら何だ」


 何だと言われても。この人の方こそおじいちゃんの家で何をしているの? 怪しいのはそっちなのに。これは強盗なんじゃないの? そう思った時から心臓がやけに大きく脈打っている。

 男は真っ直ぐに私を見ている。農具と思わわれる切っ先を私に向け、ピクリとも動かない。次に勝手に動いたら刺されるかもしれない。

 背中にじっとりとかいた汗が風に吹かれ、少し冷たく感じた。とにかく相手を刺激しないようにしないと……。


「私は……泥棒ではないです。この家の……おじいちゃんの家に遊びに来た東京の親族です」

「何だって? 岩隈(いわくま)と言ったか?」

「はい。岩隈(いわくま)……夏実(なつみ)


 ずっと私の方に向けていた切先を下へ向けた。今しかない。声を出さないと。


「お母さん! お父さん! 助けてっ!」


 ありったけの大声を出し、その場から一歩を踏み出した。


「ちょ……大声を出すなっ!」


 サンダルが足から脱げそうになったことに気を取られた一瞬のすきに腕を掴まれひねり上げられると、持っていた刃物は放り出して両手でがっちりとつかまれた。ものすごい力で硬く、びくともしない。これはどうやっても絶対に力でかなうはずがないと一瞬でわかってしまった。怖い。助けて。


「やだっ! 離してっ――」

 

 両腕から逃れようと無我夢中で抵抗をしていると口を抑えられた。


「落ち着け! 小娘に手荒な事をする趣味はない! とりあえず事情を話してみろ。孤児か?」

「え?」


 孤児? 何の話をしているの? 私が孤児だって言っているの? 強盗犯ではないの?

 ふっと体の力を抜くと、男の人も掴んでいた私の腕を離した。口は押えられたままだった。


岩隈(いわくま)の苗字は親族にはいないと思う。自信がないが……明日の朝、母に聞く。こんな時間だ。手荒なことはしないから大声を出すのはやめてもらえるか? 大声を出さないと約束するなら手は放す」


 私はゆっくりうなずいた。


「わかった。約束だからな」


 急に静かで落ち着いた声でそう言われ、あっけにとられてしまった。この人は何者なの?

 口を覆っていた手が離れると唇のまわりをおおっていた体温が無くなり、皮膚をなでる空気が冷たく新鮮に感じられる。

 

「こんな時間に一人で強盗に入るなんてよっぽど困っているんだな?」

「違、私――」

省吾(しょうご)さん、何か声が聞こえましたか?」


 家の中から声が聞こえた。女の人の声。母の声じゃない。

 

「急患です。診療所で休ませます」

「まぁ、大変。手伝いは必要ですか?」

「いえ、一人で大丈夫です。母さんは休んで下さい。見たところ普通の風邪です。明日には治ります」

「……わかりました。何かあれば呼んで下さいね」

「はい」


 人が床を踏みしめる音が小さくなり、やがて聞こえなくなった。虫やカエルの鳴き声がそこかしこから聞こえる。


「さてと、ここだと母が寝られないだろうから場所を移動しよう」


 省吾と呼ばれた男の人はくるりと背中を向けて歩き出した。そしてすぐに振り返った。


「このまま逃げても良いが、他の家に入ったらこうじゃ済まないぞ。即警察行きだ。明日、朝食くらいは食べさせてやることができる」


 すっかり私を泥棒だと思っているみたい。どういうこと? 泥棒はそっちじゃないの? 何でお母さんやお父さんは出できてくれないの?

 月明かりの下、男の人の後をついていくにつれ、どうも様子がおかしいことに気が付いてきた。

 私がいた母屋の裏手には今は使われていない廃墟があるはずだけれど、その場所には元々あった廃墟と同じくらいの大きさの建物があった。「川本(かわもと)診療所」と書いてある看板がかかっている。「川本」は母方の実家の苗字だ。

 ガラスの引き戸を開けると少し開けた空間に長椅子が2つ置いてあり、正面に少し高さのある台も置いてある。これは受付なんじゃないかな。

 天井につるしてある電球のつまみをひねると辺りが淡い光でぼんやりと明るくなった。小さな待合室の奥に「診療室」と書かれた木札のかかっている部屋がある。私のいる場所は小さな病院の待合室のようだった。

 昔、母から聞いたことがる。母方の実家は昔は代々医者の家系だったけれど、おじいちゃんが医学部に受からなかったので医者の家系は途絶えたと。


「やけに素直だな。前に来た強盗はわーわー騒いで大変だった。それにしても……君、不思議な色合いの恰好をしているなぁ。東京では今それが流行っているのか?」


 今、私が着ている紫色のシアーシャツのことを言っているのかな?

 男の人は長椅子に座ると、腕を組み背もたれに寄りかかった。


「あの……川本(かわもと)さん? ですか?」

「ん? そうだが?」


 ここはおじいちゃんの家、母の実家である川本だ。この人はおじいちゃんではない川本?

 私達が使わせてもらっていた仏間に飾ってある額縁の写真の数々を思い出した。

 おばあちゃんのカラー写真の隣にある白黒写真で着物を着た、鼻筋の通っている、ぱっちりとした少したれ目の優し気な顔。姉がショートカットの中学生時代、おじいちゃんに「ひいおじいちゃんの若い時に似てるなぁ」と言われていた。

 目の前にいる男の人はひいおじいちゃんじゃないのかな。


「もしかして、ひいおじいちゃん?」


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