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現実ではないようなふわふわとした気持ちでいる。頭がぼーっとする。受け入れられないってこういう状態のことを言うのかもしれない。
そんな紙切れ1枚で人の生死が大きく動いてしまうの? ひいおじいちゃんはあの島で何をするの? 戦うの? 誰と?
「そこの扉を閉めてもらえますか」
「は、はい」
お母さんに急にそう言われ、私はすぐ後ろにある玄関の引き戸をあわてて閉めた。自分が思っているよりも案外すんなりと戸は動き、ピシャリと大きな音を立ててしまった。
直後、お母さんはその場にひざをついて両手で顔を覆った。
「あぁ何てこと! あんなところへ!」
床を叩き声を出すのをこらえるように息を詰まらせ泣いていた。穏やかで上品なお母さんがこんな風に大声を出して人前で泣くだなんて、私は映像でも見ているような気になった。
何でそんなに泣いているの? 召集されるってことはこの家で生活できないの? 生きて帰って来られないの? 兵役につくってそういうことなの? 私、何にも知らない……。
でも、元の時代には着物を着たかなり年をとったひいおじいちゃんの写真が仏間に飾られてあった気がするから、戦争では死なないってことだよね? 未来が変わったりしないよね?
私は急に不安になり黙って立ち尽くすしかなかった。自分の前で大泣きしている人に声なんて掛けられない。掛ける言葉もみつからない。
「……母さん、そんなに泣かないで下さい。軍医としての務めになるでしょう。確信はありませんが、あそこで何が起きているのか少し思い当たる節があります。自分の知識が役に立つかもしれない。それも全て夏実がきっかけです」
ひいおじいちゃんにそう言われ、ぽんと軽く肩を叩かれた。
「……私?」
「そう。あの機械の中の写真を見てもしかしてと心当たりがある。今、苦しんでいる人を少しでも楽にできるかもしれない」
泣いていたお母さんははっと顔を上げ、そしてひいおじいちゃんを見た。つけていた化粧も涙で溶けてしまっていた。
「今日はいろいろあって疲れた。夕飯にしよう。夏実も家でいっしょに食べよう。人数は多い方が楽しい。それに悪いことばかりじゃない。他の地域から来た優秀な軍医や科学者もいるはず、見識を広められる機会かもしれない」
ひいおじいちゃんはそう言って力なく笑った。その顔が切なくて、私は何て声を掛けて良いのかやっぱりわからなかった。たぶんこれは強がって言っているんだなと思う。親に泣かれるってこと以上にこんなに心をえぐられることってない。
「そうですね……ご飯も炊いてありますし、ごめんなさい。取り乱しました。みっともないところをお見せしましたね。お夕飯にしましょう。この家での夕飯もあと何日もすればしばらく食べられなくなりますしね」
お母さんは大きく深呼吸をして涙や頬をぬぐい、よいしょと床に手を付いて立ち上がった。着物の裾を直し、初めて会った上品で落ち着いた奥様の印象に戻った。
「夏実もさあ、入って」
ひいおじいちゃんが家に入るように促してくれたけど、大事なものをまだ回収していない。そう、ひいおじいちゃんは戦争で死なない。だって写真が残ってたもの。今はそう思うことしかできない。
「私、スマホを取って来ないと」
「ああそうだった。家を出てすぐ右側の茂みの中だ」
「ちょっと取って来る」
玄関の引き戸を開け、そのまま閉めずに開けっ放しにして門のところまで小走りに走った。まだ兵士が潜んでいてどこかで見張っているかもしれないと少し警戒をしながら門まで来ると、ひいおじいちゃんの言っていたとおりに右手に低木と手入れがされていない雑草が密集している小さな茂みがあった。辺りを見渡し、人がいないことを再度確認をして茂みの中をじっと見た。黒い液晶の画面が見え、見慣れた透明のケースに入ったスマホが置いてある。
ああ、良かったぁ。
スマホを手に取ると、見た目のわりにはずっしりと重い久しぶりの感覚を手にして自分はやっぱりこの時代の人間ではないんだなと肌で感じた。
黒い画面にひびが入っていないか太陽の光を当てて確認をし、指で画面をなぞった。表面の保護シートには自分の指のあとだけが見えている。ホームボタンを触り顔認証が起動をして画面のロックが解除された。画面をスワイプしても普段使っているそのままの画面で特に変わったところは無さそうだった。電源の残量はあと22%の表示がある。
地面を踏む足音がして顔を上げるとひいおじいちゃんが私の側に近寄ってきていた。
「あったか? さっきのように何かあった時に手に持っていたら面倒だからな。なるべく草の生い茂るところに置いていたんだが……大事なものなんだろう? 壊れたりしていなかったか?」
「うん……」
ひいおじいちゃんは兵士が家に来る前からスマホをこの場所に隠しておいたんだ……。
手元に無いとずっと不安だったし、気持ちが落ち着かなくなるけどひいおじいちゃんや芳子さんと一緒に過ごす時間を差し置いて優先するようなものでもないような気がしてきた。ただのモノだし。何回もスマホの事をひいおじいちゃんに聞いていた自分が少し恥ずかしく思えてきた。
「さぁ機械も無事だったようだし、家に入ろう――」
ひいおじいちゃんが一点を見つめて固まった。
何事かとその視線の先を見ると、白いうさぎが後ろ足で立ってこちらを見ていた。




