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この景色の先には  作者: 汐見かわ
芳子さん
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15/31

5-2

 芳子(よしこ)さんに連れられてしばらく歩くと見覚えのある道にさしかかった。うさぎが飛び出してきた低木があった道だ。念のため低木付近を覗き込んで見てみたがうさぎの姿はなかった。


「もしかしてここでうさぎを?」

「そう。ここから出て来てすごい速さで逃げられて……最後に見たのがあの船」

「そう……」


 芳子さんは地面につかないようスカートをめくりながら低木の回りやその近くの木の回りを探してくれた。うさぎの毛や足跡などの痕跡は一切見当たらなかった。


「急に出て来るうさぎなんて不思議ね。島には渡れないし……」

「でもあそこにうさぎが行ったとしたら島に行かないことには――」

「おーい!」


 坂の上の方から声が聞こえ、振り返るとひいおじいちゃんが手を振りながら駆け寄ってきた。


「まったく! どこに行ってたんだ!」

「ひいお……じゃなくて若先生」

「外に出て行ったと聞いてからこの時間まで帰って来ないで! 夏実、君はこの辺の土地はわからないだろう? 行方不明になったら大変だぞ」

「……すみません」

「あ、橘高(きったか)さん。これは失礼」


 ひいおじいちゃんは私の後ろでスカートの裾と髪型を急いで直していた芳子さんへ声を掛けた。


「こんにちは。若先生」

「もしかして橘高さんが送ってくれましたか? お気遣いありがとうございます」


 そう言って頭を下げて丁寧にお辞儀をした。私と接する様子とは何だかずいぶん違う気がする。

 

「体調が優れなかったと聞きまして。付き添っていたんです。困っている人を助けるのは当然のことですわ。先生にはこの前のお礼もお伝えしたいなと思っていましたし」

「この前……? ああ、風邪の」

「すっかり元気になりまして。あのまま鼻水が止まらず出続けたらどうしようかと。夜も眠れずずっと鼻をかみ続ける毎日かと思うと苦しくて」

「お若いですし、そんなことは起こらないと……」

「とにかく! お世話になったのでそのお礼に参りました」


 芳子(よしこ)さんはスカートの裾を持ち、片足を少し後ろへひいてお辞儀をした。バレリーナみたい。こんなお辞儀をする人は初めて見た。

 

「ああ、はい。それは……良かった。では我々はこの辺で――」

「いえ、夏実さんはお困りの様子。私も一緒に参ります」


 え? 私もひいおじいちゃんも芳子さんの方を向いて固まった。

 助けてくれるのはありがたいけど、そこまでしてもらう理由がないっていうか、習い事もサボることが確定してしまったわけだけど。船の時にも助けてくれたのに、さらに手伝ってくれるというの?

 ひいおじいちゃんが頭をかきながら少し言いづらそうにぼそぼそと言った。

 

「いやぁ、橘高(きったか)さん。申し出は有難いのですが、橘高さんにそこまでしてもらうわけにはいかないというか……お父さんに私が怒られちゃいます。それにこの子、夏実には不可解な点がたくさんあって……」


 両手で肩をつかまれ、芳子さんの前にぐいと押し出された。目の前に私がいるのに、彼女は私ではなく、後ろにいるひいおじいちゃんの方を真剣に見つめている。


「そんなの関係ありません。私は夏実を助けたい。困った時はお互いさまと父も常々言っております。巡り巡って自分に返ってくると。それにもしかしたら橘高でないと顔が利かないようなこともあるかもしれませんし。例えば軍とか……」


 それきりひいおじいちゃんは黙ってしまった。

 長い沈黙の後、ひとつ大きくため息をすると


「わかりました。不確かで理解が及ばないこともあります。このことは他言無用でお願いします。絶対にです」

「もちろん」

「では診療所に」


 ひいおじいちゃんは先を歩いてすたすたと坂道を登って行った。

 ひいおじいちゃんの後ろ姿が小さくなったところで横にいる芳子さんが小さく「よし」と言っていた。何がよしなんだろう?


「あの……何かありがとう」

「いいのよ。気にしないで。私は私で嬉しいから」


 ふふんと鼻を鳴らし、芳子さんは小走りで坂道を上って行った。その足取りはとても軽やかでスキップをしているように見えなくもない。パワフルな人だなと感心してしまう。

 私はというと、うさぎを追いかけて走ったり兵士に問い詰められたり疲れてしまった。この緩やかな坂道を登るのも少し苦しい。このままうさぎが見つからなかったらどうしようと、ひいおじいちゃんの家まで続く坂道の先を見てため息が出てしまう。

 私は一体これからどうなるんだろう。

 道の端に並んでいる高い木の落とす影が太陽の熱を遮っているようだった。海から吹く風は穏やかで、耳をすませば遠く打ち寄せる波の音が聞こえてくるような気もした。

 目の前に見える赤い島は近いようで遠い。

 重い足を動かしてやっとのことで診療所に戻って来た私は、待合室の長椅子に腰をかけた。診療所の中は少し涼しくうす暗い。腰を掛けると同時に、疲れがどっと出たのか全身から力が抜け出た感覚がした。この後すぐに動くことはできない。


「……で、橘高さんはどこまで事情を知っているんですか?」


 ひいおじいちゃんが私の方をちらりと見てから芳子さんに視線を向けた。


「うさぎを探していると。その……うさきがいたとかで島行きの船に乗ろうとしていました。たまたま私がそこにいたので、それを止めたんです」

「何だって?」


 ひいおじいちゃんにギロリと睨まれてしまい、私は何も言えなくなってしまった。やっぱり兵士に近付くのはまずいことだったんだ……。


「何でまたそんな無茶なことを……」

「うさぎが船に乗ったから! それを追いかけようとして」

「何なんださっきからそのうさぎってのは?」

「わかんない。私だって何が何だか……」

「まぁまぁ、まずは状況を確認させて下さいな。私は夏実さんがうさぎを探しているってことしか知らないのです」


 芳子さんが私とひいおじいちゃんの間に立ってくれ、ひりついた空気を中和してくれた。

 

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