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「えっと……夏実さんは診療所に入院をしているの? お世話って言うのは……?」
どう言うのが良いんだっけ? 変な風に思われてもいけないし。今朝の若先生とのやりとりを思い出していた。
『医専の友人の妹ってことにしてここで療養中ってことにしてある』
確かこんな風に言っていたはず。いせんって何だろう。とりあえず同じように説明をしてみることにした。
「いせんの友人の妹で、診療所で療養中……です」
「まぁそうだったの。ご学友の妹さんなのね。良かったぁ……いえ、その。良くはないわね。体調が優れないってことですもんね?」
芳子さんは胸に手を当ててほっとため息をついたと思ったら、慌てて私の顔を伺うようにして覗き込んできた。
体調は特にどこも悪くはないんだけど……。思い付いたことを適当に喋るとどこかで嘘がバレそうで怖い。疑われない程度の軽い体調不良ってどんなのがあるかな。かといって芳子さんに嘘はつきたくもないし。
「少し前はお、お腹が少し痛かったんですけど、今はすっかり良くなって……元気になりました」
「それは良かった。川本先生は若いのにしっかりされていて素晴らしい先生ですものね。少し前まで学生さんだとは思わないくらい。堂々としてますし、誰にでも親切で優しいですし。私も前にちょっとした鼻風邪を診てもらったら――」
芳子さんは急に明るく喋り出した。とりあえず私の説明で納得がいったらしい。良かった。
「ここから診療所までの道はわかります?」
「ちょっと……わからないです」
「じゃあ診療所まで送りましょう」
「本当ですか! ありがとうございます」
汚れを落としすっかり綺麗になった足をサンダルに通し立ち上がった。芳子さんは側にあった傘を再び手に持って先を歩き出した。
「あ、使った桶を片付けないと」
「あら、そうね。すっかり忘れてたわ。気持ちが焦ってしまったみたい」
ほんの少し照れ笑いをした芳子さんから傘を渡されると、両手で持った桶を少し傾けながら言った。
「水を流すからもう少し離れて下さいな。濡れちゃう」
「は、はい」
少し離れた場所に行くと、桶の水をざあと流した。縁側の下の辺りに浅い水たまりができたが、ほとんどの水は砂利の下へと吸い込まれていった。彼女は足早に井戸の場所まで行き、手にしていた桶は井戸に立てかけた。腰に手を当てて背中を後ろ少し反るとワンピースのポッケからハンカチを取り出し手を拭きながらまた私の元へと戻って来た。
その一連の所作が豪快で、お嬢さんというより屋台の店主のようだなと思った。
「さ、行きましょうか」
私から傘を受け取ると芳子さんはさっそうと歩きだした。心なし機嫌が良さそうに見える。
砂利の敷き詰められている庭から門の方へ行こうとしていた時、縁側の奥の部屋から人が出てきた。
「芳子さん、お出かけですか?」
「川本診療所まで」
「ピアノのお稽古には間に合うんでしょうね」
「さあ」
そう声を掛けられた芳子さんはふんとそっぽを向いて立ち止まることなく、先へと行ってしまった。
奥からは「まぁ」という呆れにも似た声が聞こえた。私はおどおどと家の中の人と芳子さんの背中を交互に見るだけで、どうすることもできなかった。私も悪いことに加担しているような気分になる。でも、芳子さんについていくしかない。
声を掛けてきた人は芳子さんのお母さんなんじゃないの? 習い事をさぼろうとしている? そんなことして大丈夫なのかな。 私もどうしても気が乗らない時は塾をさぼったこともあったけど。
庭を抜け、門を出たところで芳子さんに声を掛けた。
「あの……何かごめんなさい。習い事あったのに」
「ピアノのこと?」
「これから練習があるんじゃ……」
「良いの良いの。だって別に横で見ていてくれるわけじゃないもの。自主練習とか言ってほとんど私が一人で弾いてるだけだし。あの人うちで出すカステラが目当てなんだわ」
「あ、さっきのカステラ」
「そう。本当は先生に出すカステラだけどもう食べちゃったし無くなってるから。びっくりするんじゃないかな」
「後で怒られたりしない?」
「怒られるとは思うけど、これくらいのことをすれば先生をかえてくれるかもしれないし。もっとすらっとしてモダンで……大阪あたりにいる先生が良いわね。もう、鼻息の音が気になるのよ」
全く悪びれる様子もなく、ずんずん歩き進む芳子さんがおかしかった。こういう人、私の学校にいたら女子に人気がありそう。生徒会長とか運動会の応援団とかして。後輩からラブレターとかもらったりさ。
思わずぷっと少し噴き出して笑うと、不思議そうな顔をして私をみつめている。
「何かおかしい?」
「うん。おかしい。肝がすわってるなぁって。かっこいいなぁって」
「そうかな? みんな私のことは箱入りの浜だんなのお嬢さんって思ってるみたいだけど」
「ううん、そんなことない。こうして見ず知らずの私を助けてくれてるし、きっと立派な人になる。そう思うよ」
「なぁにそれ」
芳子さんは笑ってそっぽを向いたけど、嬉しそうにしていた。
風がワンピースの裾をひらひらとなびかせ、太陽の光が地上に降り注いでいる。忘れそうになるけど、今、この時代は戦時中。この人の未来が辛くない明るいものだと良いなと願わずにはいられなかった。




