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「一緒にいた女性はあの島で雇員として働いているんです。帰って来る度に元気が無いから心配で。何があったのか聞いてみたのですけど、何でもないの一点張り。強く口止めされているみたいね。せめて見送りだけはしようと思って」
雲の隙間から光が差し、地面を濡らしていた雨が止んできた。
「あの赤くなっている島を見た? おかしいでしょう? 前はあんな色なんてしていなかったのに。漁船も出ないなんて。この辺りの人はみんなおかしいって気付いてる。でも、誰も何も言わないし言えないの。あなた、この辺りの人じゃないわね。島に行きたいのは何か理由があって?」
女性は地面をみつめていた視線を私に向けた。私を疑っているとか、怪しいと思っているとかそういう風には見えなかった。
この人に正直に話したところで信じてもらえるかどうか……。ただ私は誰かにすがりたくて、今置かれている状況を人に話してしまいたい気持ちもある。でも、他人に喋っても良い内容でもない気がする。返答に困ったけど、嘘をつくのも違うなと思った私は不審に思われない範囲で答えることにした。
「うさぎを……探していて。あそこならもしかしているんじゃないかと……そのうさぎがいないと私は家に帰れなくて……」
「うさぎ? 小学校で飼ってたと思ったけど、それとはまた違ううさぎのことかしら? あの島に動物なんているのかしら……? ああ、晴れてきたみたい」
女性は手のひらを上に向け空を仰いだ。同じように空を見上げると、真っ白な雲の隙間には青空が広がっている。雨はすっかりやんだ。太陽もじきに見えそうなくらいに空は明るい。
「船は今日も島に無事に着くわね。またここに戻って来る時はやつれて……また島に行って。その繰り返し。島に行かなくなる時は……。安江さん大丈夫かしら……」
船に乗って行った年配の女性のことかな。
女性は空を見上げていた顔を私に向け眉間にしわを寄せた。綺麗な形の眉がくしゃりと曲がってしまっている。この人はさっきの女性を心から心配しているんだ。
綺麗に結われている三つ編みが、さしてきた陽によって明るいこげ茶色になった。セミの鳴き声がすぐそばにある木から忙しなく聞こえてきた。
「せきが出るみたいで……。普通のせきじゃないみたい。安江さんも仕事が決まった時……最初は喜んでたんだけど、このところ元気がなさそうだし。一体あそこでは何が起きているのかしらね。そういう場所なんだけどあなたは本当に行こうとしているの?」
「え……」
何を言っているのかわからなかった。
あの島には軍の施設があって、港からは島に行く船が出て……戻って来る人はせきをして……。
私、あの島のこと何も知らない。だって社会の授業で習ってないし、母もおじいちゃんも何にも言っていなかったし。
「さ、雨もやんだし行きましょうか。港にもたくさん軍の関係者がいるし近付かない方が良いわ。こんな話を聞かれたら大変」
女性はふふといたずらっぽい笑みをほんの少ししてから傘をたたんだ。
「あなたどちらから来たの? 広島? でもなまりが無いのね。私の母は倉敷だけどそれでもほんの少しなまりはあったわね。あら?」
私の足元を見て女性は動きを止めた。
サンダルでずっと走ったり歩いたりしていたため、足先は土埃で汚れていた。自分でも今の今まで気が付かなかった。若い女性に汚い足を見られていると思うと気恥ずかしくなって両方の足指はもじもじとさせてしまった。
「家がここから近いから桶を貸してあげましょう。足を洗うと良いわ」
「いえ、そんな……大丈夫です」
両手を振って慌てて遠慮をした。
あまり人とは接点を持たない方が良いんじゃないのかな。知らない時代の知らない人にお世話になるなんて、この女性や私のこの先の未来が変わってしまうんじゃないかと不安もある。そういう設定は物語の中でよく見る気もする。もう、ひいおじいちゃんとそのお母さんと接してしまったから手遅れかもしれないけど……。
「何でかしらね……あなたを見ているとなぜだか放っておけないの。おせっかいかもしれないけど、私がそわそわしてしまって。ただ桶を貸すだけだから、そんなことは人に貸したうちに入らないわ」
そこまで言われたら断る理由も無いのでお言葉に甘えることにした。それにこの辺りの土地もよくわからないし、ひいおじいちゃんの家に戻る道も教えてもらおう。
「じゃあ……ついて行きます」
「これも何かの縁だわ。お名前は聞いて無かったかしら?」
「岩隈夏実です」
「夏実さんね。素敵なお名前。私は橘高芳子。夏実さんとは年齢も近そうね」
にこりと微笑んでから橘高さんは先を歩き始めた。
あれ? 「橘高」ってどこかで聞いたことのある苗字。「あっ」と声が出そうになったのをとっさにこらえて思い出していた。
『橘高さんにも挨拶した方が良いかな』
スーパーに寄った時の車中でお母さんが言ってたな。挨拶をするような近い間柄の親戚の人なのかな?
もしかして天井に飾られていたいくつかの写真の中にいた人なのかもしれない。写真はしっかりと見ていないので記憶には無いけど。
天井には一体誰の写真を飾っていたの? 帰ったらおじいちゃんに聞いておかないと。目の前にいる芳子さんの背中を眺めながらそう思っていた。




