第四章「闇夜の泡影」③
『行きなさい。――行け!』
ボルトの読み通り、敵戦力を順調に制圧していくメンバー。激しい銃撃戦。その乱戦の末……
『ウルフ・ファイブよりウルフ・ワン。ポイント・デルタ・ワンに到着』
セイヴから通信が入った。
『こちらウルフ・ワン。状況を報告しろ』
『見張りはマシンガンを装備した兵士が2名』
『やれるな』
『――問題ない』
間を置いて、再びセイヴの声。
『ポイント・デルタ・ワン、クリア』
天日とボルトが到着した時には、すでに2本のロープが2階の窓にかけられていた。足元に二つの人影が転がっている。首筋に裂傷があり、流れ出した血が雨水に薄められ、コンクリートの上をゆるやかに広がっていた。
「大丈夫か」
肩で息をする天日を見て、ボルトが声をかけた。
「大丈夫です。――体力には、多少自信が――」
言いかけたが、説得力の欠片もないことに気づき、天日は自嘲を浮かべた。ヘッドプロテクターのおかげでボルトには悟られなかったが、ボルトの表情もまた同じように遮られ、天日には判らなかった。
『ウルフ・ワン、現着。内務省タワーに突入する』
『ディアー・ワンからウルフ・ワン。了解。ナビゲーション開始します』
マリィから内部のマップデータが送信され、ヘッドプロテクターのバイザーにルートが展開された。特殊な切断工具で窓を抉り、2階へ侵入する。今のところ、まだ敵に感知されている様子はない。
「敵の数は多くない。タワー内部には多く見積もっても30人前後だろう。警備ドローンが無効化されている以上、全フロアを固めるのは不可能だ。俺なら各階のエレベーター付近に戦力を集中させる」
ボルトは歩きながら、抑えた声で戦術を共有した。
「人質は21階の大ホールに収容されている。索敵を警戒しつつ21階まで上がり、そこで二手に分かれる。俺とアナスタシアで天日を40階のコントロールセンターへ連れていく。セイヴとシモンは大ホールへ向かえ。合図があるまで身を潜めろ。我々の接敵と同時に、人質の解放に踏み切ってもらう」
先頭はセイヴが務めた。安全を確認し、後方に合図を送り、全員が順に続く。足音を殺し、息を詰め、ひたすら慎重に進んだ。
「クリア」
エレベーター付近を迂回するかたちで2階フロアを通過し、目的の非常階段に到達した。ボルトは上層階にテロリストが集中配置されている可能性が高いと読んでいた。マンパワーの問題から下層階は手薄にならざるをえない。壁沿いに進めば、螺旋状の階段が姿を隠してくれる。物音と光にさえ気をつければ、むしろ盲点になる。
実際その読みは正しかった。一度も会敵することなく、21階に辿り着いた。
『ウルフ・ワンからディアー・ワンへ。ポイント・デルタ・ツーに到着』
ヘッドプロテクターの防音機能がある程度の声を遮断してくれるとはいえ、全員が自然と声を落としていた。
ボルトの合図で、セイヴとシモンがフロアへ消えていった。
天日、ボルト、アナスタシアの三人はさらに階段を上る。30階に差しかかった頃、セイヴから通信が入った。
『ウルフ・ファイブよりウルフ・ワン。ポイント・デルタ・スリーに到着』
一拍の間。
『――しかし、妙です。フロアに敵がいません』
『了解。一旦その場で待機』
『赤外線スキャンをかけていますが――武装した人影は見当たらない。人数も、人質の数と一致しています』
『待機を継続。特殊な迷彩装備の可能性がある』
ボルトの指示は変わらなかった。
『ディアー・ワンよりウルフ・ワン。ダクトを通じて偵察ドローンを送り込んでみたらどう?』
マリィが割って入った。
『許可する。指示を頼む』
『ディアー・ワンよりウルフ・ファイブ。届いた? 座標を送ったわ。このダクトなら大ホールに通じている。移動できる?』
『了解。やってみる』
しばらく通信が途絶えた。ボルトたちはその間も、足音を殺して階段を上り続けた。
『ウルフ・ファイブよりディアー・ワン。座標に到着。ドローンを起動する』
『了解、コントロールはこちらで引き取るわ。戻って』
すぐに偵察ドローンの映像が共有された。大ホールの天井付近から見下ろすアングル。座り込む人質たちの姿が映り込んでいる。
『――確かに。人質しかいないわね』
「どういうつもりだ」
ボルトが足を止めた。腕を組み、片手を顎にあてて沈黙する。数秒後、思い立ったようにバイザーを跳ね上げ、シャフトの手すりから身を乗り出すと、上層階を見上げた。
「……やってくれる」
姿勢を戻し、バイザーを下ろした。
「ウルフ・ワンより各員へ。作戦を変更する。人質は囮だ。敵は戦力を上層に集中させている。――正面から迎え撃つ気だ。ウルフ・ファイブとウルフ・シックスはエレベーターで直接40階へ向かえ。ディアー・ツーはここで待機。合図を出す。ウルフ・セブン、ついてこい」
言い終えるや、ボルトは肩に掛けていたカービンを構え、一気に階段を駆け上がった。アナスタシアがその半歩後ろに続く。
乾いた銃声が天日の耳を劈いた。マズルフラッシュが闇を裂き、その残光は天日のいる34階の踊り場まで届いた。光や音だけではない。――テロリストが階下に向けて放った弾丸が手すりの鉄骨を掠め、火花を散らした。天日はすでに壁に張りついていた身体を、さらにめり込ませるように押しつけた。
しばらくして銃声が止んだ。
「天日、上がってこい!」
ボルトの声に促され、天日は壁から身を剥がして階段を駆け上がった。
「いいか、絶対に俺から離れるな。俺の後ろからついてこい」
天日は頷き、短く息を整えた。今更になって臨場感が押し寄せてくる。首筋を汗が伝い、鼓動が耳の奥で叩かれるように鳴っている。
ボルトが非常口の扉を蹴り開けた。間髪入れずにアナスタシアが飛び出す。即座に敵弾がエンハンススーツを掠めたが、アナスタシアは意に介さず、サブマシンガンを掃射した。ひとしきり撃ち終えると通路を横切り、反対側の壁に身を滑り込ませた。ボルトも扉の陰から銃口を覗かせ、援護射撃を重ねる。身を晒すのは撃つ瞬間だけだ。
応戦していた敵の銃声が、やがて途絶えた。
「クリア」
アナスタシアが制圧を告げ、通路の奥へ駆け込んだ。
「続いてエレベーターホールを制圧する」
「了解」
アナスタシアがマガジン残量を確かめながら応答した。
敵は40階に戦力を集中させている。コントロールセンターに辿り着くには、エレベーターホールの先に広がるエントランスロビーを突破しなければならない。
すでにエレベーターホールは目の前だ。二人は先ほどと同じ要領で、通路の角を盾にし、戦闘態勢に入った。視認できる敵影は多くない。当然、こちらにも気づいている。わずかでも壁から身を出せば、即座に弾幕が飛んでくる。
それでも二人は隙を突いては反撃を続けた。しかし敵の銃撃は途切れず、膠着状態が続いた。
「突撃しますか」
アナスタシアが言った。
「待て」
ボルトが制する。その直後――敵の後方で、エレベーターの到着音が響いた。扉が開き、二つの影が飛び出した。
「大佐!」
セイヴとシモンが敵の背後を突いた。セイヴがライフルで牽制し、シモンがカービンで制圧する。不意を突かれたテロリストたちは振り返る間もなく、次々と崩れ落ちていった。
「クリア――よし!」
シモンが最後の一人を仕留め、制圧を報告した。アナスタシアが空になったマガジンを放り投げ、新しいものに差し替える。過不足のない洗練された動作だった。
「行くぞ」
ボルトの声で四人が一斉に走り出した。天日もその後に続く。
*
通路の先にエントランスロビーが広がっている。
吹き抜けの天井を太い石柱が支え、来客用のソファや展示用のオブジェが所狭しと並んでいる。平時であれば荘厳に見えたであろう空間も、今や戦場の塹壕と化していた。家具、柱の裏、あらゆる遮蔽物に敵が潜んでいるのが、ボルトたちには気配で分かった。20人近くはいるだろう。待ち伏せる側にとっては格好の狩場だ。
しかし、セイヴ、シモン、アナスタシアの三人は一切の躊躇なくロビーへ突入した。瞬間、先ほどまでとは比較にならない密度の銃声が空気を引き裂いた。弾丸が石柱を削り、壁を穿ち、文字通りの弾雨となって降り注ぐ。
なおも三人は足を止めない。足を止めないことこそが最大の防衛手段だと言わんばかりに、素早いフットワークで散開し、それぞれの障害物の陰に吸い込まれるように消えた。
ボルトもロビーの入口から半身を晒して、応戦に加わる。天日がこの場にいなければ、大佐といえど先陣を切るのがボルトその人だろう。天日はそう思いながらも、硬く分厚いボルトの背中に隠れ、膝を曲げて息をひそめていた。
しかし敵の弾幕は途切れるどころか、外に降る雨の如く激しさを増し、こちらの攻勢を封じ込める。
『慎重ね。仕掛けてこない』
アナスタシアが呟く。
『時間稼ぎか』
ボルトが応じた。
『大佐、ここは自分たちが引き受けます』
『俺たちが前に出て注意を引く』
セイヴの通信に重なるようにシモンが続いた。
『頼んだ』
ボルトは1秒と迷わなかった。普段の飄々とした雰囲気は微塵も感じさせない。仲間の命を賭す提案を、感情を挟まず受け入れる冷徹さ。それこそが、皆がこの男に命を預ける理由に違いなかった。
『3、2――GO!』
号令を発したのはセイヴ。三つの影が豹のように物陰から飛び出した。ロビーを縦横に走り回りながら、一層激しく掃射する。方々で被弾した敵の叫びが上がり、倒れる人影が見えた。吹き抜けの天井からシャンデリアが墜落し、ガラスの破片が辺り一面に散乱した。
「天日、行くぞッ」
混乱に乗じて打って出た。ボルトは片手で強引にカービンを掃射し、もう一方の手は天日の腰に添えている。弾幕から天日を庇うように、体を盾にして走った。天日はただ前へ、前へと脚を運ぶことだけに意識を注いだ。
『――っ』
イヤーデバイスから、詰まったような呻きが漏れた。息遣いだけでそれがアナスタシアだとわかった。直後、激しい爆発音とともにロビー中央に白煙が立った。照準を惑わすための発煙弾だ。
「止まるな!」
天日の心境を見透かしたように、ボルトが叫んだ。
「アナスタシアさん――」
ボルトの制止に反して天日は体を翻そうとした。だが、ボルトの異常な腕力がそれを許さなかった。
『行きなさい。――行け!』
デバイスから聞こえるアナスタシアの声は、喉がつぶれたように細い。だが覚悟のこもった声だった。
『お願い……私たちの戦いを、無駄にしないで』
サブマシンガンの連射音が直接耳に届き、デバイス越しの音と重なって聞こえた。まだ撃っている。まだ、戦っている。
天日は唇を噛んだ。自分の不甲斐なさを固形化したような何かが、喉の奥からせり上がってくる。同時にどこからか湧き上がる使命感がそれを中和した。
今はそれでいい。
ボルトのカービンが辺りの埃を巻き上げ、天日はその煙幕に紛れるように身を低くして走った。
ロビーを抜けた勢いに任せて、コントロールセンターへ続く通路に転がり込む。喉が焼け、心臓は肋骨を押し上げるように鼓動している。
「――天日、大丈夫か」
さすがのボルトも呼吸を整えていた。弾の切れたカービンが床に転がっている。代わりにハンドガンへ手を掛けていた。ロビーを横断するあいだ、ずっと天日を守り続け、カービンの弾倉は枯れ果てたようだった。
「僕は大丈夫です。――行きましょう」
僕は。天日はその言葉にあえて抑揚をつけた。だがその矛先はボルトではなく自分自身に向けたものだ。慣れない手つきで脇のホルスターからハンドガンを抜いた。
「そこで待っていろ」
ボルトの指示に従い、天日は屈折した通路、手前の壁に背を預けた。
ボルトは速度を落とさなかった。むしろ加速した。廊下を蹴る足音が二歩、三歩と刻まれ――突き当たりの角に差しかかった瞬間、地面を蹴った。
側転――から宙返り。ボルトの体が壁の向こうへ跳び出す。
銃声。敵の一斉掃射。壁を叩く弾丸の衝撃が天日の足元まで伝わり、コンクリートの粉塵が視界を白く煙らせた。だが宙を回転するボルトに弾は当たらない。天地が反転したボルトの体は、弾道の想定を根こそぎ裏切って、狙点がすべて空を切る。
逆さまのまま、ボルトのハンドガンが光った。
おそらく3回。
――銃声が止んだ。
着地。その音に重なって、壁の向こうで何かが崩れ落ちた。
「クリア」
天日が角を曲がると、3人の敵が通路に倒れていた。いずれも急所を撃ち抜かれている。ボルトは弾倉を確認し、何事もなかったようにコントロールセンターの扉へ歩を進めていた。
天日はボルトに倣い、倒れた敵に銃口を向けたまま後を追った。
ご拝読ありがとうございます。
アナスタシアやボルトのの滲み出る人格、鬼気迫る緊張感が伝わると幸いです!!
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