第三章「水底の握手」②
「――一応言っておくけど、それが『できない』のがあれの『うり』なのよ。ハッキングするなんてまず無理。絶対に無理なの。そんな映画みたいに都合よくできてないの」
テロリストに占拠された市街の防衛システム。奪還作戦は手詰まりにみえたが……
「さて、本題に入ろう」
天日を含む全員がテーブルを囲んでいた。ボルトがテーブルの上のコントロールパネルに手を置くと、部屋の中央にホログラムが立ち上がった。アジアリージョン上海シティの立体マップ。その中心部に、ひときわ高い塔がそびえている。
「内務省タワー」
ボルトの指が塔を示した。
「アジアリージョンの防衛システムの中枢だ。監視衛星との通信ハブ、警備ドローンの統合管制、シェルター開閉制御、市民の避難誘導。――この街のセキュリティに関わるほぼすべてが、あの建物の40階にあるコントロールセンターを経由している」
ボルトが指を弾くと、ホログラムがズームした。タワーの断面図が現れ、各階のレイアウトが透過表示される。
「今から約2時間前、そのタワーが占拠された」
天日は反射的にマリィを見た。マリィの顎が微かに引かれる。知っていた、というよりも、確信していたことが裏づけられた――そういう表情だった。あの路上でマリィの口から漏れた「まさか」の中身が、今ようやく形を結んだ。
「犯行グループの詳細は不明。ただし、相当に組織的だ。占拠と同時にタワーの防衛システムが掌握され、市街の警備ドローンや監視系統が彼らの制御下に移った」
「――僕たちを撃ったドローンも」
天日が言った。ボルトが頷く。
「そういうことだ。本来なら市民を守るはずの防衛インフラが、丸ごと武器に転用された。たちが悪いのは、外部からのオーバーライドがことごとく弾かれていることだ」
誰も口を開かなかった。空調の微かなハム音だけが揺れている。
「幸い、国防庁管轄の装備は無事だ。機密回線も傍受されていないことは確認している」
ボルトが壁のディスプレイを示した。兵装のリストが映し出されている。天日には型番の意味は分からなかったが、リストの短さくらいは読み取れた。
「それって、ここにある試作品や骨董品のことを言ってるの?」
マリィが驚くのも無理はなかった。中央区には軍の施設はなく、リグ・ベータ社は世界的軍事企業とはいえ、オフィスに置かれた装備など程度が知れている。まともに使えるものといえば、防弾防刃機能に加えて身体性能を向上させるエンハンススーツくらいのものだ。
「使用許可は取っている」
「そういうことを言ってるんじゃ……まあ、いいわ。相手の戦力は?」
「実はそれがよく解らん」
「『解らん』って――まさか」
場が静まった。その理由はボルトの適当な言い草にではなく、含意された事実にあった。
「そうだ。境界が襲撃された。ジャマーも使っているんだろう」
唖然としたマリィは、首を左右に振ると深く息を吐いた。境界はヴィタルマナ特区とオリジン区画をつなぐ検問施設であり、ヴィタルマナの移動はそこで検閲されている。それが落ちたということは、敵の正体も規模も把握できないということだ。
ボルトが大事を飄々と語るのは今に始まったことではない。マリィは冷静さを取り戻そうと、まだ乾ききらない髪を大雑把に手繰り上げ、バレッタで束ねた。
「骨董品で攻めるのは無理がありそうですね」
天日が言った。素朴な感想だったが、ボルトは苦笑を浮かべた。
「それで、どうするつもりなの」
「さてどうしようか」
「彼らの目的は?」
「まだ犯行の声明は出ていないが、単なる殺戮が目的とは考え難い。爆破の規模の割に死傷者の報告が少ないし、防衛システムを使えば民間人などどうとでもなる。あえてそうしていない」
「住民は意図的に避難させている、か」
「そうだ。奴らの目的はあくまで議会との交渉だろう。アジアリージョン上海シティの中央区民、4500人を人質に取って」
「馬鹿げてる」
吐き捨てるように言ったものの、マリィは背筋を悪寒が走るのを感じていた。
「しかしだ、効果は絶大だな。ここまで入り込まれては正直どうしようもない。恐れ入る」
ボルトはなおも飄々と語ったが、皆の顔色をひと通り窺うと、深刻な表情に切り替えた。
「だがな、こうなってしまっては軍として執れる選択肢がない。街にミサイルを落とすわけにもいかん。議会はすでに交渉を前提に対策を検討している。俺たちに下りてきた指示は――できる限り交渉の前提条件を良くしろ、ということだけだ」
「ずいぶん弱腰ね。――それで? 私は何をすればいいの」
半ば諦めたようなボルトの物言いに、マリィは挑むような口調で尋ねた。ボルトは眉の片方を糸で釣ったように持ち上げ、話を続ける。
「防衛システムのコントロールを取り戻してほしい。あのプログラムを設計した責任者は――確か」
今度はボルトのほうが皮肉を込めた語調で、マリィを見据えた。
「呆れた。――最初から私を作戦に巻き込むつもりだったのね」
マリィは鼻で笑い、勢いよくテーブルを叩いた。
「でもご愁傷さま。あのね――一応言っておくけど、それが『できない』のがあれの『うり』なのよ。開発者の私でさえできない。外部からハッキングするなんてまず無理。絶対に無理なの。そんな映画みたいに都合よくできてないの」
怒気の底に矜持を忍ばせて、マリィはボルトを睨んだ。
「だが、テロリストにはそれができたのだろう」
「煽ったって無駄よ。――おそらく何らかの方法で、正規の管理者権限を使って物理的にプログラムを改竄したはず」
互いに同じ帰結に行きついたようだ。二人は同時に溜息を吐いた。
全員が沈黙する中、先に口を開いたのはボルトだった。
「内通者か」
「いるわね、間違いなく。しかも一人や二人じゃない」
「じゃあ乗り込んで奪うしかないか」
ボルトの言葉にシモンが首を鳴らし、対照的にセイヴが肩を竦めた。アナスタシアは目を閉じ、腕組みをしたまま微動だにしない。
「正気? それこそ死にに行くようなもんじゃない。『石斧』で何しようっていうの」
冷笑を浮かべるマリィを余所に、ボルトはひとりテーブルを離れ、近くのソファに腰を沈めた。背もたれに体を預け、長い脚を組んで天を仰ぐと、手櫛で髪をかき上げた。
手詰まり。
その言葉が無言のうちに共有され、部屋の空気にじわりと溶け込んだ。
「……ひとつ、いいですか」
天日が口を開いた。
全員の視線が集まった。それまで透明人間のように空間に同化していた人間が、急に輪郭を持って現れた。――そんな感覚が走ったのだろう、シモンの眉がわずかに動いた。
「外からコントロールを奪えないなら――システムそのものを止めるのはどうですか」
「止める?」
ボルトが聞き返した。
「システムエンジニアリングは昔かじった程度で、詳しくはないのですが」
天日はそう前置きをしてから話した。
「――クラッシュさせるんです。システムに処理限界を超えるデータを送りつけて、強制的にダウンさせる。システムが落ちている間は監視も制御も死ぬはずです。その隙に物理的に突入して、管理者権限を使ってコントロールを取り戻す」
沈黙が降りた。だが今度の沈黙には重力がなかった。壁の向こうに穴が空いて、全員がその大きさを測っている――そういう間だった。
マリィが最初に反応した。
「……可能性はある」
声は低く、慎重だった。だがその目は、すでに回路をたどり始めている技術者の目だった。
「防衛システムの処理能力は有限よ。リージョン全体のデータを一括処理している以上、意図的に過負荷をかければクラッシュは理論上可能。でも――」
マリィが指を折り始めた。
「必要なデータ量が膨大。軍のバックアップ回線を全開にしても足りないわ。複数のデータソースを同期させる必要がある――」
「俺がやろう」
ボルトが言った。
「俺が軍に要請を出す。他に必要なものは」
マリィは一瞬だけ目を閉じ、それから天日を見た。
「データを送りつけるのは力技でなんとかなる。でも、システムがダウンしている間に40階まで到達して、物理的に干渉するためのハッキングプログラムが要る。今から即席で組んで――間に合うかしら――」
マリィは言いかけて、自分の言葉の重さに気づいたように口を噤んだ。
「それは、マリィさんにしかできない仕事ですね」
天日が静かに言った。
マリィは頷いた。
「私はここから動けない。プログラムの構築と、軍への技術的な折衝。データ送信のタイミング調整。全部ここでやるしかないわ」
「となると」
ボルトが天日を見た。その視線に含まれているものを、天日は正確に読み取った。それは信頼ではなく、まだ秤の上に載っている段階の品定めだった。ヴィタルマナであること。得体のしれない農業エンジニアであること。それらすべてを量りにかけて、結論が出る前にとりあえず傾いたほうに賭ける。――という目だった。
「――信用していいのか」
ボルトの視線はすでにマリィに移っている。質問の内容が技術の話ではないことに、当然マリィも気づいていた。
「ああ、もう。彼は今日境界を通ってここに来ているのよ。だとしたらマヌケすぎるわ」
マリィが発した言葉は本意ではなかった。だが、今腹の探り合いをしている余裕はない。ボルトが決断に足る言い訳を用意してやるのが精一杯だった。
ボルトの顔つきが変わった。
「シモンとアナスタシアは車と装備の準備を。セイヴは先行した部隊に作戦の変更を伝えてくれ」
三人は席を立ち、敬礼して持ち場に散っていった。ボルトは天日の前まで歩み寄り、手を差し出した。
「天日=エゼン」
「はい」
「聞いての通りだ。我々に同行してもらいたい。システムが落ちてから復旧するまでの時間は限られている。40階に着いた時点で、マリィの組んだプログラムを起動できる人間が現場にいる必要がある」
天日は少し考えた。問いの答えではない。憂わしげに唇を結んでいるマリィにどんな顔を向ければいいかを、考えていた。答えが出たわけではなかったが、口元は勝手に少しだけ甘えたような形を作った。あるいは、そう見えるように作った。どちらだったかは、天日自身にもよく分からない。
「分かりました」
ボルトは頷いた。短く、一度だけ。しかし、その視線は天日を真っ直ぐに捉えていた。
「よし。道すがら作戦を詰めよう」
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