第十四章「運命の選択」②
「いいも悪いもない。私は運命に干渉した。その上で運命が選んだ」
ディマンドが揺らした天秤が、シーソーのように揺れる。はたしてその結末は……‼
『ナノマシンネットワーク、最終段階への移行プロセスを検出』
間髪入れずにマリィからの通信が入った。
ディスプレイに映るプログレスバーが時を刻み始めた。
1%、2%。
ボルトが動いた。銃を構えたまま距離を詰めようとする。それを制止するディマンド。
「賭けてみるか?」
ボルトの照準を補佐するように胸に手を置く。
挑発ではない。そうしてみるのも一興だと、正気のままに言っている。しかし、警戒は解いていない。
7%、8%。
『天日くん。よく聞いて――進行速度から逆算すると発動までの到達時間は約180秒。その前にデバイスへの物理接触とアンチプログラムの実行を完了しないと――』
イヤーデバイスから聞こえる、マリィの口調は早口だったが、天日を焦らせないよう細心の注意が込められていた。
天日は腰のデバイスに触れた。
43秒。接近に必要な時間を含めれば、1分。2分の猶予。だが――ディマンドに隙はない。
12%、13%。
考えろ。天日は自分に言い聞かせる。
デッドマン・スイッチ。力ずくの選択肢は、ない。
ならば、対話で崩すしかない。
天日は一歩、前に出た。
「ディマンド」
呼びかけた。自分でも驚くほど、静かな声が出た。
ベネチアンマスクの切れ込みの奥で、目だけがこちらに動いた。
「――君か」
「一つだけ聞いていいですか」
19%。
「構わない」
「あなたは『どちらでも良かった』と言った。――なら何のためにこんなことをやっているんですか」
簡単な問いだった。だが、簡単さが刃になることを証明したのは、ディマンド自身だ。
ディマンドは、すぐには答えなかった。問いの真意を探っているようにも見えた。
それからゆっくりと口を開いた。
「何のため、か。――大義のためだと答えれば、君は納得するのか」
「しません」
「では、復讐だと答えれば?」
「それも違うでしょう」
ディマンドの体がわずかに揺らいだ。揺らいだのは体ではなく、その奥にある何かだった。天日にはそれが見えた。
「あなたは自分でも解っていない。大義なのか復讐なのか、それとも別の何かなのか。分からないまま、ここまで来てしまった。――違いますか」
「……面白いことを言う」
声色は崩れなかった。だが返答までの空白が一拍長い。
警戒。逆に言えば、隙だ。
「君は私を理解しようとしているのか?」
「いいえ」天日は首を振った。「僕はただ、知りたいだけです。あなたがこの先に何を見ているのか」
33%。
天日はもう一歩、前に出た。
ボルトが視線で制止しようとしたが、天日は承知の上で踏みでた。
「この先?」ディマンドが繰り返した。「この先には何もない。終わりがあるだけだ」
「それでいいんですか」
感化。
「いいも悪いもない。私は運命に干渉した。その上で運命が選んだ」
やれる。
距離6メートル。
「運命、か。――逃げたな、ディマンド――選択から」
ディマンドの足が床を擦り、半歩後ろに下がった。
ディマンドの呼吸が止まった。
その瞬間を、天日は見逃さなかった。
地面を蹴った。
6メートルの距離を、天日は全速力で詰めた。
エンハンススーツの補助が脚に推力を加え、2歩で射程に入る。
ディマンドの唇が離れる。制御を手放すリリースコマンドを発する気だ。
だが――刹那、ボルトがコンソールデスクに銃弾を叩き込んだ。弾け飛んだ破片がディマンドの足元を襲い、体勢が崩れる。
天日の手がディマンドの首元に届いた。
チョーカー型デバイスに、マリィのアンチプログラム実行用小型デバイスを押し当てる。――接続。
『デバイスの接触を確認。アンチプログラムを実行――』
マリィの声が響いた。
天日は勢いそのままに、ディマンドを押し倒した。デバイスを押し当て、喉に五指を喰い込ませた。首を絞める格好だった。
ディマンドが天日の腕を振り解こうとしがみつく。
天日はそれ以上に力を込めて抑え込む。
「何……を……」ディマンドの絞り出すような声。
「43秒です」
天日が言った。「43秒」もう一度言った。
『反撃開始よ』
アンチプログラムの進行状況が天日のゴーグルに表示された。
認証突破中。パターンマッチ。暗号解除。マリィが組み上げたコードが、ディマンドのシステムに食い込んでいく。
天日はナノマシンのプログレスバーの進行度を横目に見ながら、それを確認していた。
47%。
ディマンドが体を捩った。天日を引き剥がそうと、なおも必死の抵抗をみせる。
シモンが駆け寄り、覆いかぶさるように体を押さえつけた。
アナスタシアが銃口を至近距離で構え、動けば撃つと無言で告げた。
意味はない。だが、彼女の圧倒的なプレッシャーがその事実を吹き飛ばす。
52%。
『アンチプログラム完了まで20秒……進行度58パーセント。あと半分……お願い』
61%。
天日の額から冷たい汗が落ちた。
デバイスを離してはいけない。発声を許してはいけない。しかし、窒息させてもいけない。押し当てる手が震えている。恐怖ではない、ちょうどいい加減を、小刻みに調整している。その制御に天日は全神経を集中させていた。
71%。
『あと10、9』
マリィの声がカウントダウンを刻む。
78%。
『5秒。4――』
ディマンドの抵抗が弱まった。だがそれは諦めではなかった。マスクの奥の目が天日を見つめ、揺れている。
『2、1――っ』
83%。
天日はデバイスを押し当てたまま、息を吐いた。
ゴーグルのレンズに「コンプリート」の文字が点灯した。
『完了を確認。――降水確率よりは、マシだったみたいね』
43秒ジャスト。
マリィの安堵した声が天日の耳に届いた。
――だが。
ディスプレイに映るナノマシン実行プログラムのプログレスバーは――止まってはいなかった。
87%。88%。
「……何」
天日が呟いた。吐いた息を吸い戻す。
89%、90%。
『なんで、どうしてっ――停止しない……プログラムの上書きは完了しているのに――何か別のトリガーが……』
切迫したマリィの声に、天日の意識が囚われる。
その一瞬。ディマンドが天日の腕を振り解く――そして、不敵に笑った。咳が混じっている。
「素晴らしい。本当に。――だが、あと一手。一手足りなかった」
93%。
「私のナノマシンには、隠された発動条件がある。――外部からの制御を停止しても、一定時間内に解除コードが入力されなければ、自律的に発動する。フェイルセーフだ」
そう言いながら、ディマンドは気力の抜けたシモンを押しのけ、ゆっくりと体を起こした。
「解除コードは私の頭の中にだけある。無論、教えるつもりはない」
96%。
「切り札は、先に切った方が負ける」
98%。
ボルトが歯を食いしばった。シモンが床に拳を叩きつける。アナスタシアは照準を外した。
天日の手からアンチプログラムのデバイスが零れ落ちた。
「――カーテンコールだ」
ディマンドは高々と両手を拡げた。
その声は穏やかだった。最後の晩餐のように、穏やかで残酷な声だった。
99%、100%――。
部屋中のディスプレイが一斉に全面が真っ赤に染まった。
さながら墓碑銘のようだった。
――地下8階の作戦会議室では、マリィの口の端が僅かに歪んだ。
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