第十三章「欠けた蛙」②
「残業代もらい損ねたな――」
最有力戦略地点に到着したボルトたち。しかし、待ち受けていた者たちと、その結末とはは……‼
ポイント・チャーリー。想定通りその地点には隠し部屋があった。
重い防火扉がそれを示している。セイヴが電子ピックを当て、12秒で解錠した。扉が軋みながら開く。
扉の先に広がっていたのは、かつて何かの研究施設であったらしい大部屋だった。天井が高い。コンクリートの柱が等間隔に並び、壁際には使われなくなった機材が放置されている。
照明は非常灯のみ。赤い光が柱と柱の間に長い影を落としていた。
ボルトが最初に足を踏み入れ、数歩で気配を察した。
右手が上がった。
拳を握る。停止の合図。
あまりに静かすぎる――天日の首筋が粟立った。
その時、室内の照明が一斉に灯った。
白い光が目を灼き、全員が反射的に腕を翳した。視界が戻ったとき、部屋の奥に人影があった。
柱の陰、機材の裏、入口の死角。
待ち伏せの配置としては、教科書通りだった。
ここまでの散発的な配置は、囮だった。誘い込まれたのだ。
「散開!」
ボルトの叫びと同時に、銃声の壁が押し寄せた。
四方八方からくる同時射撃。
天日は身を投げ出し、最寄りの柱の陰に転がり込んだ。背中を硬いコンクリートが受け止める。
頭上を弾丸が掠め、柱の角が砕けて破片が頬をかすった。
シモンがコンクリートの陰から身を乗り出し、正確な射撃で二つの銃口を黙らせた。しかし別の方向から新たな射線が開く。クロスファイア。退路を断たれている。
アナスタシアのサイバネティック・フレームが唸りを上げた。全身に燐光が流れ、一段と激しく発光した。尋常ではない速度で機材の間を駆け抜け、敵陣の側面に回り込む。
その動きに敵の射線が引きずられた一瞬を、ボルトは見逃さなかった。
前に出る。サイバネティック・フレームの左腕を掲げ、弾丸を腕部の装甲で弾きながら距離を詰める。火花が散った。片手で握ったカービンで的確に相手の手足を狙い、戦闘能力だけを奪っていく。
セイヴは天日の斜め前方の柱に張り付き、冷静に戦況を俯瞰していた。敵の配置を読み、味方の射線を計算し、イヤーデバイスで情報を共有する。
「右奥、3人。高所に1人。機材の裏に2人以上」
その声は、戦場にいる人間のものとは思えないほど平坦だった。料理のレシピを読み上げるような口調。それがセイヴの戦い方だった。
自らの命を秤の片方に載せながら、もう片方に仲間の安全を載せ、常に後者を重くする。
天日も柱の陰から身を乗り出し、セイヴの情報を頼りに撃った。狙いは機材の裏にいる敵。1発目は外れた。2発目が相手の肩に当たった。
手応えがあった。
「よくやった」
隣の柱から、シモンの声が聞こえた。「悪くない」に続いて二度目の褒め言葉。それだけでも奇跡に近かったが、「悪くない」よりも上級な言葉がこの男の辞書にあることを天日は初めて知った。
戦闘は激しさを増した。
精鋭部隊なのか、先程までの一般警備とは次元が違った。連携が取れている。一人が牽制し、一人が回り込み、一人が退路を断つ。
軍の正規訓練を受けた者たちだと、ボルトは一目で見抜いていた。
「軍人か。厄介だな」
ボルトの脳裏にアルフレッド議長の失踪事件がちらついた。
アナスタシアが敵の背後に回り込み、2人を同時に無力化した。蹴りと掌底。その出力を乗せた一撃は、敵の防護服の上からでも意識を刈り取る。だが代償として、別の敵からの銃撃を左脇腹に受けた。エンハンススーツの防弾処理が衝撃を分散したが、完全ではない。
アナスタシアの顔が一瞬歪んだ。それでも足は止まらなかった。
シモンが吠えた。文字通りの咆哮。
柱の陰から躍り出て、至近距離の敵に体当たりをかました。
倒れた相手の銃を蹴り飛ばし、拳で顎を打ち抜く。背後から別の敵が迫る。振り向きざまに肘を叩き込み、続けて膝蹴り。
一連の動作は獣じみていたが、すべてが合理的だった。
その時――セイヴが柱から離れた。右側面から回り込もうとしていた敵を2人、射撃で足止めした。だがそのために自らの身を晒した。
「セイヴ、下がれ!」
ボルトが叫んだ。
ボルトの指摘はもっともだった。だがセイヴは聞かなかった。
セイヴには見えていた。右後方のライフルの銃口が。シモンに繋がる射線が。戦場で、セイヴだけが見えていた。
眼鏡の奥で、一瞬だけ目が細くなった。
銃声が重なった。
敵弾は、エンハンススーツの防弾層を貫通し、セイヴの胸部を穿った。だが、セイヴの放った弾丸も正確に敵を射抜いていた。
敵が倒れるのを見届けると、セイヴは膝から崩れ落ちた。
「――セイヴ!」
ボルトの声が室内に響いた。残りの敵をアナスタシアとシモンが制圧する間に、ボルトがセイヴのもとへ駆け寄った。天日もそれに続いた。
胸部のスーツが裂け、暗い染みが広がっている。
眼鏡が曇って、レンズの片方に亀裂が走っている。
呼吸が浅い。
「今止血を――」
「問題ない」
天日の言葉をセイヴは遮った。
いつもの、涼しげな声だった。
「……大佐。シモンは」
「大丈夫だ」
ボルトの声が震えた。天日がこの男の声に揺らぎを聞いたのは、初めてだった。
「なら……よかった」
セイヴは息を吐いた。安堵を示す吐息。吐息に混ざって魂の欠片も零れ落ちている。
眼鏡の奥の瞳が翳る。瞳孔の輪郭が滲んで、ボルトに向けられていた視線は、少しずつ曖昧になっていった。
「……いい朝だ」
言葉が出なかった。
「残業代……もらい損ねた……な……」
その口元がわずかに緩んだ。眠たそうにまぶたが落ちていく。
ボルトがセイヴの肩に手を置いた。
セイヴはそのまま、動かなかった。
室内の銃声は止んでいた。残った敵は全て無力化されていた。
アナスタシアが周囲を警戒しながらも、セイヴのもとへ歩み寄り、足を止めた。
目を閉じ、微動だにしなかった。
シモンが最後にやってきた。
彼はセイヴの前にしゃがみ込み、その肩を掴んだ。「おい」と声をかけて、体を揺すった。返事は返ってこなかったが、それでも揺すった。
「おい」
発するたびに声が掠れていった。
「おい、セイヴ!」
返事はない。
シモンの両腕がセイヴの体を抱え込んだ。大きな体が丸まり、額をセイヴの肩に押し付けた。巨躯が震え、周囲の空気さえも振動していた。
嗚咽が漏れた。
不愛想で、寡黙で、感情を表に出すことを弱さだと信じていた男の、剥き出しの慟哭。初めて見るシモンだった。
ボルトは数歩離れた場所に立ち、静かに目を閉じた。
左手が拳を握り、一筋の燐光が弱くその腕を伝った。――口には出さない。出さないことが、この人の責任の形だった。
アナスタシアは姿勢を正し、敬礼をした。
静かな弔いだった。
だがこめかみの筋肉が一度だけ引きつったのを、天日は視界の端でとらえていた。
天日も二人に倣った。ただ手を伸ばし、シモンの震える肩にそっと触れた。
シモンもそれを振り払わなかった。
天井から降り注ぐ照明の白い光が、セイヴの顔を照らしていた。
穏やかだった。
地下にいるのだから朝の良し悪しなど、どうでもいいことだ。だがセイヴはそう言ったのなら、いい朝にすればいい。軍人としての作法を、天日はもう理解していた。
どれほどの時間が過ぎたのか、その場の誰も分からなかった。おそらく数十秒。しかしその数十秒は、この作戦が始まってからのどの時間よりも長く感じた。
イヤーデバイスから、マリィの声が聞こえた。
『こちらディアー・ワン……状況を、報告して』
声が震えていた。デバイス越しに、すべてが聞こえていたのだろう。
ボルトが目を開けた。
『セイヴ=ガーリエル大尉――戦死』
短く、正確な報告。軍人の言葉だった。
しかしその声の底に走った亀裂を、天日は聞き逃さなかった。
通信の向こうで、マリィが小さく息を呑んだ音がした。
アウローラの声は聞こえなかった。
聞こえなかったのが、かえって辛かった。
「進もう」
ボルトが小さく言った。その声を聞いたシモンの嗚咽が止まった。止まった、というよりは、シモンが自分の意志で止めた。
セイヴの体を静かに床に横たえた。
眼鏡を外し、レンズを拭いて、彼の胸の上に置いた。
戦場で儀式をする余裕などないはずだった。だがシモンのその数秒間を、誰も急かさなかった。
シモンが立ち上がった。その目は赤かったが、乾いていた。
「行きましょう」
天日が言った。ボルトの代わりに言った。
四人はセイヴを残して、次のポイントへ向かった。背中に残る重さを振り切ることは、誰にもできなかった。振り切る必要もなかった。背負ったまま進めばいい。重い足を前に出し続ければいい。
蛙は前にしか跳べない。
本当かどうか分からない言葉が、今はただ、痛いほど正しかった。
*
次のポイントへの移動中、会話はなかった。
イヤーデバイスからはマリィの誘導が続いている。彼女の声だけが変わらない。変わらないことが、どれほどありがたいか。天日はそのことを噛み締めていた。
マリィもアウローラも、セイヴのバイタルモニタが途絶した瞬間を聞いていたはずだ。それでも声は揺れなかった。揺れないのではなく、揺れることを自分に許さなかったのだろう。
『第二戦略地点。ポイント・デルタまで残り380。200メートル先の丁字路を左折。――慎重に』
マリィの最後の一語に、わずかに祈りが滲んでいた。
丁字路を曲がると通路は一層狭くなり、やがて一枚の重厚な扉の前に出た。
これまでの隔壁とは造りが違う。
分厚い金属製の防爆扉。壁に埋め込まれた認証パネルが、赤いランプを点滅させている。
『ウルフ・ワンよりディアー・ワン。認証を突破できるか』
『やってる。少し待って』
マリィが認証プログラムを解析する間、四人は扉の前で息を整えた。
アナスタシアは左脇腹を軽く押さえていた。先ほどの被弾箇所だ。
天日が視線を向けると、アナスタシアは首を横に振った。
「大丈夫。骨には届いていない」
ボルトがそのやり取りに気づき、アナスタシアに尋ねた。
「サイバネティック・フレームの状態は」
「稼働率89パーセント。問題ない」
問題ない、と言う人間が本当に問題ないことは稀だ。だが今それを追及する余裕は、セイヴと一緒にあの部屋に置いてきた。
ボルトは扉の前に立ち、耳を当てていた。
金属の向こう側の気配を探っている。サイバネティック・フレームの左手が扉の表面に触れ、微弱な振動を拾っている。
「いる」
ボルトはその根拠を述べなかったが、その確信に、誰も疑問を挟まなかった。
『解析完了。ディアー・ツー、オーバーライド・デバイスに対応プログラムを送信したわ』
天日が認証パネルにデバイスを翳すと、ロックが外れた。赤いランプが緑に変わる。
ボルトの左手が扉に触れた。
サイバネティック・フレームの駆動音が悲鳴を上げ、迸る燐光が全員の顔を照らしす。
「……GO」
扉が開いた。
蛙が一匹、欠けていた。
ご拝読いただきありがとうございます。
セイヴは地味な立ち位置を担ってきましたが、チームの翼でもありました。しかし、その翼を失うことが、物語の重さに繋がると考えてしまいました……
↓Instagramでキャラクタービジュアル公開中
https://www.instagram.com/vitalmana2168/
↓TikTokでショートムービー公開中
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