第十一章「降水確率」④
「大丈夫。やれることをやるだけだよ」
作戦は決まった。しかし、要のアウローラは事態の急転に困惑していた。そこには静かに思考を巡らせる天日がいた。
天日がアウローラと合流したのは、ヴィタルマナ特区の外れにある小さなカフェだった。シン・シティの関係者が営む店で、人目を気にせず話ができる。
窓際の席で、銀髪が午後の光を受けて淡く輝いていた。
天日が近づくと、アウローラは立ち上がった。トクズタワーの水族館で見せた無邪気さは影を隠していた。
ヴィタルマナ特区のホテルで語り合った夜に近い、凛とした表情だった。
「声明のこと、詳しく聞かせてくださる?」
席に着くなり、アウローラは本題に入った。天日はディマンドの声明の全容を、議会の反応も含めて伝えた。アウローラは一言も挟まず、最後まで聞いた。
「……その話が本当ならば、お恥ずかしい限りです。『次こそは止める』――以前そう申し上げましたが、私はとうに機を逸しておりますね」
「アウローラのせいじゃない」
「解っています。でも、やはり悔しい」
彼女はカップに視線を落とした。琥珀色の液面が微かに揺れている。
「シン・シティのネットワークで、ディマンドの関係者に繋がる情報をいくつか掴んでいますわ。まだ断片的ですけれど」
「お互いの情報を照合すれば、輪郭が掴めるかもしれません」
天日もこれまでの調査に関する概要を話した。アウローラは頷きながら聞き、自身の端末にメモを取っていた。
「天日」
顔を上げたアウローラの瞳には、決意があった。
「ここからは私も大きく動きます。多少目立ってしまうかもしれませんが、保身を気にする段階は過ぎております。情報はすべて共有します。ただ――」
「ただ?」
「ディマンドを追い詰めた先に、何があるのか。それだけが、怖い」
天日は答えなかった。答えられなかった。
彼女の恐怖は、ディマンドへの恐怖ではない。ディマンドを止めるために、何をしなければならないか――その先にある選択への恐怖だ。
空の端に、薄い雲が一列に並んでいるのが見えた。次の雨を予感させる、細い線だった。
「大丈夫。やれることをやるだけだよ」
天日はかつてアウローラに言った言葉を、もう一度繰り返した。前とまったく同じ言葉なのに、色合いは全く違ってみえた。
「――ええ。そうですわね」
アウローラは静かに微笑んだ。運命を他者に委ねず、自ら切り開いていく。そういう人の表情は、ときとして裏腹だ。
木々を縫う風のように、彼女の笑顔は涼しく揺らめいていた。
*
数日後。マリィの解析が最初の成果を上げた。
「ナノマシンの流通経路を遡ったわ。製造元のコードネームは偽装されていたけど、部品の規格と製造番号を照合したら――ウムコント社に行き着いた」
作戦室のモニターにマリィが調査結果を展開した。
「ウムコント社?」
天日が聞き返した。名前は知っている。ブラフマナスパティ社の競合にあたる食品系のコングロマリットだ。ケミカルフード市場で高いシェアを持つ。
「正確には、ウムコント社の特殊研究部門。表向きは食品添加物の開発を行っているけれど、裏では軍事転用可能なナノテクノロジーの研究を進めていた形跡がある」
細い指がコンソールをなぞり、データの階層を掘り下げていく。
「ケミカルフードの製造ラインにナノマシンを混入させるには、製造工程への物理的なアクセスが不可欠。外部からの侵入ではなく、内部の協力者がいたと見るべきね。――それも、相当上の立場の人間が」
「感化の力」
天日はそう呟いた。だが、それはマリィの聞きたい答えを置いたに過ぎない。本当は別のことを考えていた。
「断定はできないわ。でも、あの規模の協力者を確保する手段として、もっとも合理的な説明ではある」
合理的。か――未知のものを推理の変数に加えれば、方程式はさらに複雑になる。分からないことが分かりました、では何の新店もない。むしろ存在しないものとして据え置いたほうが、解には早く辿り着ける。天日の中でその計算は終わっていた。
「ウムコント社か。裏付けが欲しい」
ボルトが腕を組んで考え込んでいた。
「ディマンドとウムコント社の繋がりを調べてみます」
セイヴが答えた。
75日のカウントダウンは、すでに始まっていた。
モニターの隅で、快晴に戻った予報が何事もなかったかのように表示されている。
嵐は去った。だが次の雨雲が、どこで生まれているかは誰にも分からない。
ご拝読ありがとうございます。
巻き込まれ型の主人公が、静かに事を動かし始める天日瞬間を描いています。今後の天日に注目して、明かされる伏線、そうでない伏線。それぞれ楽しんでいただければと思います!
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