第十一章「降水確率」③
「独断行動になる」
明らかになったディマンドの恐ろしいテロの全貌。日和見の議会の中で、揺れるボルトたちの作戦と、その決断は……
声明の真偽について、マリィはわずか20時間で暫定的結論を出した。
市中から回収したケミカルフードのサンプルを解析したところ、微細なナノマシンの存在が確認された。久視細胞判別機能の検証には時間を要するが、構造解析の初期段階で、声明の内容を否定する要素は見つからなかったという。
「楽観視できる材料はないわ」
マリィはそう言い切った。その一言が、作戦室の温度をまた一段下げた。
「ナノマシンの混入経路を特定する。合成食品の製造ラインと流通網を洗ってみるわ。時間がかかるけど」
「頼む」
ボルトが短く応じた。
議会については、非公開会議に関する情報が、セイヴの諜報ルートを通じて断片的に入ってきた。
予想通り、混乱の極みにあった。テロリストの要求を一蹴すべきだという強硬派と、人命を最優先に交渉のテーブルにつくべきだという穏健派が激しくぶつかり合っている。
だが議論の潮目を変えたのは、アジアリージョン代表ネリー=マントラの発言だった。
「ネリー議員が交渉支持の立場を明確にしたことで、流れが変わったようです」
セイヴが報告した。
「テロに屈する前例を作ることへの懸念よりも、全人類の過半数が人質になっているという事実のほうがはるかに重い、と。論理としては筋が通っています」
「筋が通っていることと正しいことは別だ」
ボルトは吐き捨てるように言った。
「議会が要求を受け入れれば、一時的にナノマシンの発動は回避できるかもしれん。だが、それで終わりじゃない。ディマンドが手札を捨てる理由がない」
天日は窓のない作戦室の壁を見つめていた。
ふいにアウローラの言葉が脳裏を蘇る。――報復による変革は、さらなる報復を生む。
ヴィタルマナ特区で、水族館で、レストランで。彼女は何度もそう言った。形を変え、言葉を変え、しかし核心は常に同じだった。
仮にディマンドの要求が通ったとして――境界が廃止され、人権法が撤廃されたとして。それは脅迫によって勝ち取った権利だ。その権利の上に、どんな共存が築けるだろう。オリジンの中に残る恐怖と憎悪は消えない。むしろ増幅する。そしてまた、誰かが銃を取る。
だが今、目の前にある現実はどうか。ディマンドは対話など求めていない。彼はすでに怨嗟の中に身を置く人物だ。3か月という猶予さえ、恐怖を熟成させるために計算された時間だろう。
「ディマンドを止めなければ、同じことが繰り返される。――それに、ナノマシンが存在し続ける限り、オリジンは永遠に人質のままだ」
やれることをやる。天日はアウローラに伝えた言葉の意味くらいは守ろうと思った。
「問題は、どうやって止めるかだ」
「ディマンドを捕らえて、ナノマシンのコントロールを奪う。声明を聞く限り、発動は遠隔操作です。つまり、制御系統が存在する。それを掌握できれば、ナノマシンを無力化できる可能性がある」
口にはしたものの、途方もないことを言っている自覚はあった。
居場所すら掴めていない相手を3か月以内に見つけ出し、制圧し、全人類規模のナノマシンネットワークを無力化する。雲を掴んで空を翔れと言っているのと大差ない。
「独断行動になるな」
ボルトの言葉とともに、作戦室に重い沈黙が落ちた。独断行動。その言葉が何を意味するか、解らないものなどこの場に一人もいなかった。
全員が正しく理解し、受け止めていた。
「殺せない。通信も遮断できない。捕らえた上で、生きたまま制御を奪う必要がある。――面倒な相手だ」
ボルトは淡々と制約を並べた。言い換えれば、それは生け捕りの作戦だった。
殺傷が許されない突入作戦。矛盾した注文だが、矛盾を飲み込むのが軍人の仕事だとでも言わんばかりに、ボルトの口調には迷いがなかった。
誰かの呼吸音だけが、やけに大きく聞こえた。
「残業代、ちゃんと出してくださいよ?」
セイヴが両手で髪を後ろに流した。深刻な空気に、わざと軽い石を投げ込む。この男はいつもそうだった。
「指示をくれ。やることがあるなら、やる。それだけだ」
シモンが寄りかかっていた壁から背を離した。言葉は素っ気ないが、以前のような棘はない。訓練を通じて天日と向き合い始めた男の、不器用な覚悟が滲んでいた。
アナスタシアはホルスターに手を伸ばし、かちゃりと音を立てただけだ。それが彼女の返答だと、天日にも解った。
「ナノマシンの仕様を解析するわ。制御プログラムの構造さえ分かれば、主導権は奪える可能性がある。ただし、ディマンドのデバイスに物理的に接触しないとハッキングはできない。――例によって、ね」
マリィはモニターから目を離さずに答えた。
「聞くまでもなかったですね」
蛇足だと解っていて、天日はあえて口にした。
ボルトが首を持ち上げ、呆れたような顔をした。その口の端が少しだけ歪んでいることに、天日は気づいていた。
「セイヴ、諜報網をフル稼働させろ。居場所の特定が最優先だ。マリィ、ナノマシンの解析とハッキングプログラムの構築。流通経路の洗い出しはセイヴと連携してくれ」
「了解」とセイヴ。「やるしかないわね」とマリィ。
「天日。お前はアウローラと連携して、ディマンドの足跡を追え。シン・シティのネットワークを使えば、セイヴの死角を補えるかもしれん」
「はい」
「シモン、アナスタシア。お前たちの出番はまだ先だ。護衛任務を継続しつつ、腕と装備を磨いて待て」
「了解」
二人の声が重なった。
「75日だ」ボルトの一言が作戦室の空気を締める。「3か月は交渉の最終期限だ。俺たちはそれより前に、すべてを終わらせる。75日。それがデッドラインだ」
サイバネティック・フレームの左手をテーブルに置いた。
燐光が指先を伝い、テーブルの表面に淡い紋様を描いた。誰も、異を唱えなかった。
*
その日の夜にはアウローラと連絡がついた。
予想に反して、彼女の声は落ち着いていた。あるいは、落ち着かせていたのかもしれない。
『ええ、私も漏れ伝え聞いております。断片的ですが』
議会の秘匿通信の内容さえも聞こえるアウローラのシン・シティの情報網。天日は評価を改めた。
『ボルト大佐から、あなたを頼るようにと』
協力の返事はもらえるだろう。だが、これから行う作戦を伝えたとき、アウローラが納得するかどうかは別の話だった。
『分かりました。私も、じっとしているつもりはありません。――天日、明日のご都合はいかがですか』
『ええ、僕はもちろん』
『では場所はこちらで用意します』
示し合わせたように、具体的な話には踏み込まなかった。
通信を切った後も、天日はしばらくイヤーデバイスに指を当てたまま動かなかった。
ご拝読いただきありがとうございます。
ボルトを慕う面々の気持ちのよい掛け合いを意識しました。粋な仲間達による、以心伝心のチームワークを楽しんでいただけると幸いです。
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