第六章「アウローラ=イェスニー」②
鎌のような軌道が夜空の三日月と重なった――
謎の男達に制圧された天日のもとに現れた影。闇夜に淡く光彩を放ち、神々しく煌めいていた。
闇を縫うように走る影が、手前の男たちを交わして空高く舞った。空中で体が弧を描き、回転の遠心力をそのまま踵に乗せて男の顎を刈り取る。鎌のような軌道が夜空の三日月と重なった。ガードする間すら与えない。鈍い音がして男の体が地面に崩れる。影はすらりと天日の前に降り立った。
「誰だ貴様!」
男の一人が叫んだ。
「国防庁アジアリージョン司令部所属。アナスタシア=タナトス少尉」
例によって過不足のない紹介を終えるよりも早く、アナスタシアは構えを取っていた。肩幅に足を開き、重心を深く沈める。顔の前に両手を掲げ、右拳を軽く握る。素人目にも判る――長い鍛錬の果てに体に刻まれた、美しい型だった。
サイバネティック・フレームが起動し、全身の神経に燐光が伝う。光が衣服を透かして闇に漏れる。先日の作戦で瀕死の傷を負った彼女もまた、ボルト同様――否、全身に移植手術を受けていた。天日も聞いてはいたが、実際に見るのは初めてだった。闇に浮かぶその姿は、どこか神々しさを帯びていた。
男たちの陣形が動いた。アナスタシアを囲むように散開する。
沈黙を切り裂いたのは、ナイフを手にした男だった。
駆け寄るなり、アナスタシアの胸部を目掛けて真っ直ぐに突き出す。素人の動きではない――だがアナスタシアは分かっていたと言わんばかりに体幹をわずかに捻る。男のナイフが空を裂いた。その手首に手刀が落ちる。衝撃で指が開き、ナイフが宙に舞う。ほぼ同時に、膝が男の鳩尾に突き刺さる。声にならない呻きを漏らし、路面に這いつくばった。
「やる――だが」
リーダー格らしい男が、短い合図を送った。
残る者たちが一斉に飛び掛かる。
アナスタシアも動いた。むしろ自ら距離を詰め、最も近い敵の懐に滑り込む。反応するより速く、手刀が首の側面を打った。頸動脈への一撃。膝から崩れる。その体がまだ地面に着く前に、アナスタシアの視線は次の標的に移っていた。
二人目が拳を振りかぶって突進してくる。アナスタシアは紙一重で顎を引き、拳が頬を掠めた。その腕を掴み、体を翻す。相手の勢いを利用した足払い――一回り大きな体が宙にふわりと浮き、背中からアスファルトに叩きつけられた。
しかし息をつく暇はない。
左右から二人が同時に迫った。挟撃。右にくる拳は顔面を狙っている。左からは蹴り、脇腹を捉えていた。二人の呼吸は揃っていた。インパクトの瞬間――アナスタシアが消えた。
敵にはそう見えたはずだ。
真上に跳んだ。予備動作はなかった。二人の攻撃が空白に交差する。アナスタシアは空中で体を捻り、両足を左右に振り分け、二つの顔面を同時に蹴り抜いた。――激しい衝撃音が路地裏の壁に反響した。
着地。再び構えをとる。呼吸ひとつ乱れていない。一連の攻防は、瞬きほどの間だった。
リーダー格の男だけが残った。
「『サイバネティック・フレーム』か。――実戦ではなかなかどうして。強化スーツでもなければ、どうにもならんな」
言葉とは裏腹に、男の手は腰に伸びていた。ナイフが閃き、アナスタシアめがけて投擲される。と、同時に男は走り出した。陽動と本命を重ねた一手。
ナイフは首の傾きだけで躱した。しかし男はそれを織り込んでいた。意識がそれた一瞬の隙。死角から渾身のストレートを放った。
だがそれも届かない。
パリング。からワン、ツーの素早いカウンターが、男の顔面を打ち抜く。首が鞭のようにしなり、体制が崩れた。アナスタシアは体を旋回させ、追い撃ちの蹴りを放った――が。
風切り音が路地裏に響いた。
男は紙一重で避けていた。しかしその顔に一切の余裕はなく、鼻からは一筋の赤い線が零れた。
「――仕方ない」
男が袖で血を拭う。声を張った。
「俺が時間を稼ぐ。撤退しろ――急げ!」
地面に伏していた仲間たちが、よろめきながらも立ち上がり、散り散りに走り出した。情けない足音が遠のいていく。
リーダー格の男が再びアナスタシアに仕掛けた。不格好なタックルだった。ダメージを与える意図ではない――時間を稼ぐための抱きつきだった。アナスタシアの腕に絡みつき、動きを封じようとする。
アナスタシアは腕を振りほどき、腹部に鋭い膝蹴りを叩き込んだ。男の体がくの字に折れた。垂れた頭部のこめかみに追撃のハイキックが刺さる。空気が裂ける音がした。
男の体が横殴りに吹き飛び、壁に背中を打ちつけてから崩れ落ちた。
「……っ」
男はゆっくりと立ち上がった。こめかみを押さえた手の隙間から、黒い血が伝い落ちている。ふらつきながらも周囲に視線を巡らせ、仲間が引いたことを確認すると――最後のナイフを投げつけ、踵を返して走り出した。
ナイフがアナスタシアに傷を刻むことはなかったが、僅かに時間を稼いだ。その隙に男の影が遠ざかっていく。追えば追いつけるだろう。しかし追うことはしなかった。
アナスタシアの全身を流れる燐光が、静かに収束していく。
「お怪我はないですか」
声はいつもの温度に戻っていた。
「大丈夫です。すみません――助かりました」
アナスタシアは天日を一瞥すると、視線を女性に移した。
「助けていただいて、ありがとうございました」
銀色の髪に、ネオンの色が移ろう。天日はその横顔を見て、あの夜の記憶を引き出した。
「確か――アウローラ=イェスニーさん。でしたよね」
女性は不意を突かれたように目を見開いた。灰色の瞳が天日を捉え、戸惑いの色に変わる。
「すみません。あの夜、中央区でテロのあった――ボルト大佐と一緒にいました。天日=エゼンと申します」
「そうでしたか……」
アウローラの表情が和らいだ。
「ええ、こうしてお顔を拝見するのは初めてですが、覚えております。重ねてお礼申し上げます」
彼女が深く頭を下げると、銀髪が肩から零れた。
天日は少し間を取るために服に付いた砂埃を払った。そして声を落として言った。
「――少し、お話を聞かせてくれませんか」
アウローラが顔を上げた。その瞳からは戸惑いが消え、代わりの何かが宿っていた。聞かれることを――語るべきことを知っている眼差しだった。
短い沈黙。ネオンサインが明滅し、路面の水溜まりに色彩が揺れた。
「――解りました」
アウローラはそう言って、静かに頷いた。
ご拝読ありがとうございます。
サイバネティック・フレームに換装した新アナスタシアの戦闘シーン、いかがでしたでしょうか。
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