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無窮のヴィタルマナ(旧)  作者: 誤日脱日
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第五章「マスクの男」②

「転職しない?」「――転職、ですか」

事件から一週間。九死に一生を得たボルトの一言が、天日(アメノヒ)の人生を変える。運命の分水嶺。その選択は……

 事件から一週間が経っていた。


 ボルトの命に別状はなかったが、アナスタシアは意識不明の重体が続いている。

 マスクの男の行方は依然として知れず、当該事務次官と数名の職員もマスクの男同様に行方不明。そして防衛システムへの不正アクセスには内務省事務次官のアカウントが使用されていた。――マリィからの続報は、おおむねそのような内容だった。


 国防庁の事情聴取が終わるまでホテルに缶詰――というのが名目だが、実態はただの休暇だった。

 マリィがこまごまとした手続きをすべて片づけてくれたおかげで、天日(アメノヒ)にはやることがなかった。


 暇を持て余した末に、マリィに頼み込んで作戦時の戦闘データログを閲覧させてもらった。「超特例だから」と3回は念を押されたが、許可は下りた。

 引き金を引けなかった穴埋めになるとは思えないが、何か役に立てることを探したかった。

 とは言え――特別な発見には至らなかったが、副産物として軍事系のシステム周りにそれなりに明るくなった。


 天日(アメノヒ)は戦闘データをまとめて、自分なりの考察をマリィ宛に送った。

 エンハンススーツの制御パターンをパーソナライズする案、防衛システムのセキュリティホールに関するいくつかの指摘。――農業エンジニアの領分からはずいぶん遠い内容だったが、気分転換にはちょうどよかった。

 「何が『かじった程度』よ」と、マリィは皮肉を言いながらも快く受け取ってくれた。


 *


 昼過ぎに通信が入った。


 マリィの用件は二つ。一つはアナスタシアの意識が回復したこと。もう一つはある場所に来てほしいということだった。

 天日(アメノヒ)は端末に表示された座標を確認すると、すぐにホテルを出た。


 指定された場所は軍の一施設だった。

 入口でIDを提示すると、知らない軍人が迎えに来た。その案内で目的の部屋に辿り着く。

 扉を開けると、中にはボルトとマリィの姿があった。

 ボルトは部屋の奥の椅子に深く腰を下ろしていた。

 天日(アメノヒ)の姿を認めると片手を挙げて「やあ」と言った。声の調子は平常時のそれに思えた。


「すまないね、後処理に手間取ってしまった。退屈させたかな」

「いえ、とんでもないです。久しぶりの長期休暇を満喫していました」

 天日(アメノヒ)は軽く頭を下げてからボルトの様子を窺った。実際に目で確かめて安心を得たかった。


「セイヴとシモンは問題ない。とっくに通常任務に戻っている。アナスタシアはまだベッドの上だがね。――一言目が『腹が減った』だったよ」

 ボルトはやはり先回りするように天日(アメノヒ)の聞きたいことを口にした。


「俺はまあ、このざまだ」

 右手でティーカップを持ち上げ、一口啜る。

 天日(アメノヒ)の視線は自然とボルトの左手に向いた。


「ああ、これか――」

 ボルトはテーブルの上にその左手を置いた。

 手の甲から指先に向けて燐光が流れる。青白く、脈を打つように明滅していた。

 皮膚と筋繊維の間を縫うように、幾筋もの電子回路が走っているのが判る。


「皮膚と筋肉はすぐに再生できたが、神経の損傷がひどかったらしい。再生医療にも限界があるそうでな。すぐ使えるようにしてくれと言ったら、半分機械の腕になって返ってきた」

 ボルトは左手の指を一本ずつ折り、開いてみせた。動き自体に違和感はない。


「サイバネティック・フレームというらしい。出力の加減にコツがあるが、もうだいぶ慣れた。このご時世、実装する機会がないものだから、軍医がずいぶん楽しそうに弄っていたよ。――これで俺も少しは軍人らしくなったかな」

 微笑みには自嘲が混じっていたが、声に陰りはなかった。

 サイバネティック・フレームのことは、戦闘データと一緒に目を通した、技官向けの資料の片隅に記載があった。


 天日(アメノヒ)はボルトの左手を見つめながら思考を巡らせた。

 サイバネティック・フレームは全身を機械化するよりも操作性に優れ、軽い。素材を選べば強化スーツに匹敵する強度を実現でき、再生医療との併用にも適している。

 もし戦争の時代が来れば、進んで手術を受ける軍人も出てくるだろう。

 ――ここ最近、戦闘データばかり眺めていたせいで、そんな物騒な発想が頭を過ぎった。


「あなたも座りなさい」

 マリィが傍らにある椅子の背もたれを二度叩いた。天日(アメノヒ)は礼を言って腰を下ろした。


「バル、話があるんでしょ」

 マリィが大佐を促す。「バル」はバレンチノの愛称らしい。


「――そうだった。天日(アメノヒ)がマリィに送ってくれた考察、見たよ。すぐにでも改善に回したい内容がいくつもあった。礼を言う」

 ボルトは深々と頭を下げた。


「いえ、お役に立てたならよかったです」

「ところで天日(アメノヒ)。先日のマスクの男――」頭を上げたボルトの表情から陽気さが引いていた。声の温度が一段下がる。「どう感じた」


 一拍の逡巡。

 あの男が言い残した言葉が、輪郭のはっきりしない不安として胸の底に沈んでいた。


「『別の機会にしよう』――男はそう言っていました。これで終わるとは思えません」

「だろうな」

 ボルトは短く頷き、背もたれに体を預けた。

 自らの左手を眺める。


「で、だ。天日(アメノヒ)にお願いがありまして」

 飄々とした口調に戻る。それが妙に嫌な予感を誘う。


「転職しない?」

「――転職、ですか」

「エンジニアとしてスカウトしたい。うちに来てくれないか」

「軍に。僕が?」

「そう、君だ」

「どうして僕が? それに――ヴィタルマナですよ、僕は」

 国防庁がヴィタルマナを雇用するとは考えにくかったし、それ以前に、ただの農業エンジニアを軍に入れて何の役に立つのかという疑問が過る。


「私が推薦したのよ。首を賭けて、って」

 マリィが口を挟んだ。

 天日(アメノヒ)が視線を向けると、不敵に笑った。相変わらずの仕草で、グラスデバイスのブリッジを中指で押し上げる。


「自覚がないようだから教えておくけど――ああ、誤解しないで。私はもちろん天日(アメノヒ)くんのことをよく知っているから迷ったわけではないのだけれど――ただ、あの防衛システムのプログラムはかなり複雑なの。手前味噌で恐縮だけど。少なくとも私の基準ではね。それを貴方は初見で理解して、ぶっつけ本番で対応した」

「修正プログラムはマリィさんが事前に用意してくれていたものですし、パッチの最適化だって――」

「わかる? それはね――はっきり言って異常。同じエンジニアとして、そのポテンシャルには少し嫉妬する」

 眉間に皺を寄せ、睨みつけるように天日(アメノヒ)を覗き込む。 冗談めかしてはいたが、声に嘘はなかった。褒められているのか責められているのか判然としない。天日はどう反応すべきか迷い、考えるふりをして沈黙を稼いだ。


「ふふ、やっぱり自覚ないのね」

「は、はあ……」

 マリィはそんな天日(アメノヒ)の反応を楽しんでいるようでもあったが、自分の技術をマリィが認めてくれていることは伝わり、不思議と悪い気はしなかった。


「軍人といっても、正確には民間人のままだ」ボルトが説明を引き取った。「ブラフマナスパティ社から親会社のリグ・ベータ社に転籍してもらう。そこから国防庁への出向というかたちをとる。もちろん、君たちが了承してくれればの話だがね」

「『君たち』と、言いましたか?」

「ああ、マリィも。彼女はすでに了承済みだが」

 天日(アメノヒ)はマリィに視線を移した。穏やかな微笑みだけが返ってきた。


「今回の件を受けて、議会の指示で軍と警察の共同でSCTD(特殊テロ対策課)を立ち上げることになった。暫定だがアジアリージョンは俺が指揮を執る」

 ボルトはティーカップをソーサーに戻した。乾いた音が部屋に落ちる。


「利権を貪り、ぬるま湯に茹ってきた上層部にとって、今回のテロは青天の霹靂だったらしい。そこで俺に白羽の矢が立った。――少しばかり戦果を上げた現場の人間は、スケープゴートとしても都合がいいんだろう」

 マスクの男が語った言葉が脳裏を天日(アメノヒ)掠める。


「とはいえ今の軍は、行儀がよくて試験で満点がとれる人間が胡坐をかいている。有事を想定すれば明らかに人材が足りていない。――それが実情だ。実戦経験などろくにない。平和の代償といえば聞こえはいいが」

 ボルトたちの戦闘を間近で見た天日(アメノヒ)には、にわかに信じがたい話だった。


「俺が君に聞くのは少し気が引けるが――天日(アメノヒ)、テロリストの目的は、解っているだろう」

 その問いは、ヴィタルマナでなくとも答えられる単純かつ明白なものだ。


「――ヴィタルマナの人権解放」

「そうだ。世界人権基本法の改定と言ってもいい。いずれにしても――」

「確かに、ヴィタルマナの中に差別意識への疑問を持つ者は多い。――あ、すみません、続けてください」

「いや、構わない。それはともかくだ。腐っても我々は軍隊だ。敵も藪から棒にドンパチ仕掛けてくるとは考え難い。彼らが欲しいのは交渉に足る材料だ。もっと頭を使って攻めてくる」

 サイバネティック・フレームの左手がテーブルを軽く叩いた。

 一筋の燐光が指先を伝う。


「今回の一件で露呈した課題は二つ。諜報対策と、サイバー対策だ。しかし、それを担える人材が軍にはいない。前にも話した気がするが――残念ながら、冗談ではないんだ」

 皮肉めいた言い回しだったが、理屈は通っている。

 ボルトの言葉を反芻しながら、自分の中にある感情を探った。

 義務感か。それとも使命感か。いや、もっと単純で明快なものだ。──ただ、期待に応えたい。それだけの衝動だった。その泥臭い本音に、今は素直になってみようと思った。


「あの――一つ、相談があるのですが」

「なんだ」

 ボルトが神妙な面持ちで天日(アメノヒ)を覗き込んだ。


「きのこ。きのこだけ、なんとかなりませんか」

 時が停まった。


 呆気にとられたボルトの隣で、マリィが腹を抱えて吹き出した。


ご拝読ありがとうございます。

一つの山場を終え、新たな展開が始まります。期待を込めて見守ってくださると嬉しいです。


↓Instagramでキャラクタービジュアル公開中

https://www.instagram.com/vitalmana2168/


↓TikTokでショートムービー公開中

https://www.tiktok.com/@sjrhsjm/

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