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49 木を見て森を見ず

コポッコポッコポッ……パチン!


 お湯が沸くとティファールの電気ケトルは勝手にスイッチを切った。インスタントコーヒーの入ったマグカップに沸き立てのお湯を注ぐ。スプーンでかき混ぜると、辺りにフワッとコーヒーの香りが広がった。

 紀夫はマグカップを持ってリビングに移動し、ソファに座る。マグカップを口に当てズズズと一口飲んだ。ローテーブルにマグカップ置くと、テーブルに置いてあったラッキーストライクのボックスを代わりに手にした。

 一本取り出し口に咥える。ダンヒルのガスライターがカチッと音を立て、煙草に火を着けた。一息吸って火のついた煙草を口から離し、フーッと煙を吐く。煙草の先からは紫煙がユラユラと立ち(のぼ)っていた。


 水曜日の午前八時。いつもなら既に出社している時間だった。


♪ピンポーン ピンポーン


 インターホンの呼び出し音が鳴った。紀夫は煙草の先をガラスの灰皿にゴシゴシと押しつけ、火を消すと玄関へと向かった。ガチャと玄関ドアを開け、ヒョイと顔を出す。門扉の側に真里が立っていた。ノースリーブの真っ白なワンピースが夏の太陽に照らされ、やけに眩しい。


「おはようございます。」

「おはよう。」


 紀夫は突っ掛けの様なスリッパを履くと玄関の外に出た。


「今すぐ出発できそうに無いですね。」


 紀夫の足元をチラッと見やり、真里はちょっとだけ拗ねた感じで言った。


「ああ、コーヒーを飲んでいたところだ。」

「そうですか……あ、車庫を借りても良い?」

「ん?いいけど……ガレージに何か置くのか?」

「紀夫さんが準備出来るまで、この車をここに駐めて置くわけにもいかないでしょ?」


 真里はそう言うと、後ろに停めているシルバーのレクサスを指差した。以前、真里の家のガレージで見かけた車だった。


「ああ。構わないが、ちょっと待ってろ。」


 紀夫はそう言うと一旦家に入った。玄関のキーフックにかけてある鍵を持って再び外に出る。


「駐めてあるバイクを退けるよ。」


 そう真里に言うと、紀夫はガレージに向かった。ガレージのど真ん中にハーレーが駐めてあった。キーシリンダーにキーを差し込み、ハンドルロックを解除する。サイドスタンドを外すと、ハーレーをガレージの奥へと移動させた。

 ガレージの奥行きは深く、ハーレーを奥に駐めても大型の乗用車なら余裕で駐められるスペースはある。


「車、入れてもいいぞ!」


 紀夫がそう言うと、真里はレクサスの運転席のドアを開けて乗り込もうとした。


「おい、真里!」

「なんですか?」

「お前が車動かすのか?」

「はい、そうですけど?」

「お前、免許持ってなかっただろ。」

「いえ、持ってますよ?」

「え?」

「とりあえず車庫に入れますね。」


 そう言って真里は運転席に体を沈めた。パタンとドアが閉まり、テールランプにあるバックライトが点灯した。

 紀夫は動き出したレクサスの前に、黒塗りのメルセデスが停まっていた事に気がついた。脇には近藤が立っていて、紀夫の視線に気がつくとペコリとお辞儀をした。


 レクサスはノロノロと後退しながらガレージに向けて進む。そろそろハンドルを切らないとガレージに上手く入らないというタイミングになっても、レクサスの前輪は一向に動きを見せない。しばらく後退を続けてから、やっと前輪の舵が切られレクサスの方向転換が始まった。

 が、やはりタイミングが遅かった為、このままではレクサスの右後部が隣の家のブロック塀の角にぶつかる。

 紀夫は慌てて運転席の窓ガラスをドンドンと叩いた。


「真里、止まれ!」


 真里は慌ててブレーキを踏んだ。車が静止すると、真里はパワーウィンドウボタンを押し、運転席の窓ガラスを開けた。


「どうしました?」

「どうしたもこうしたも……このままだと、隣の塀にぶつかる。」

「え?本当?」

「ああ、ここで嘘を言って誰が得するんだ?」

「そうですね……で、ぶつからない為には、この後どうしたらいいんです?」

「いや、このままだと絶対に無理だ。車を前に進めて、やり直しだ。」

「わかりました、前に進めるのですね。」


 真里はシフトレバーをRからDに動かすと、ハンドルを回して舵を真っ直ぐに直す車を前に進めた。


「おい、真里!」

「はい!」

「なんでハンドルを真っ直ぐにした?」

「紀夫さんが前進って言ったから?」

「いや、そうではなくてな?やり直しって事は元の位置に戻ってからって事なんだが?」

「あ、そうだったんだ。じゃあ、戻りますね。」


 真里はシフトレバーをRに入れ車を後退させる。そのままだと、やはり隣の家の塀に右後部が直撃してしまう。紀夫はバンバンとレクサスの屋根を叩いた。真里は慌ててブレーキを踏む。


「おーい、真里さんや?」

「はい、今度はどうしました?」

「なんでハンドルを切らずに真っ直ぐバックしたのかな?」

「紀夫さんが元の位置に戻ってやり直しと言うから?」

「いや、そうじゃなくてな?元の位置というのは……あー、もういいや。このままハンドルを右にいっぱい切って前進してみろ。」

「はい!」


 真里は言われた通りハンドルを右にめいいっぱい回してから車を前進した。車体の右前が向かいの家の塀にぶつかりそうになるまで前進して止まる。レクサスが道路を封鎖したかのように、道に横向きになって停まっていた。


「この後、どうすれば良いかわかるか?」

「えーと……このまま真っ直ぐバック?」

「いや、違う。」


 ここで指示してしまうと真里の運転技術が向上しないと考えた紀夫は、どうすれば良いかあえて言わなかった。


「え?じゃあ左にハンドル切りながらバックかな?」

「そう思うならやってみろ。」


 真里はコクリと頷くとレクサスを後退させた。ハンドルを左に切ったので車体は少し方向が変わり、隣の塀への直撃コースからは外れた。だからと言って、そのままガレージにレクサスがすんなりと入るコースでも無い。幾分か方向修正する必要がある。


 バンバンと紀夫がレクサスの屋根を叩く。また何かマズい事態の発生だ。真里は慌ててブレーキを踏む。


「今度はなんですか?」

「真里、お前、後ろをちゃんと見てるか?」

「はい?」

「このままバックすると、ガレージの入り口左にあるうちのブロック塀にぶつかるぞ。」


 紀夫が指差す方を真理は見た。レクサスの左後部がガレージ入り口のブロック塀にぶつかる寸前だった。


「ごめんなさい。見てません。」

「え?『見てません』?」

「はい。」

「お前さぁ……後ろを見ずにどうやって……」


 そこまで言って紀夫は気が付いた。カーナビゲーションのディスプレイ画面に後方カメラの映像が映っている事に。


「なあ、真里。もしかしてそのカメラ映像を見ながら車の操作をしていた?」

「はい、そうですよ。」


 紀夫は思わず頭を抱えた。画面に映し出されるカメラ映像はあくまでも運転手に対する支援情報でしか無い。運転手はカメラ映像だけでなく、己の目で周りを見渡し、常に判断をしながら運転操作をしなければならない。カメラ映像だけに頼るから、カメラの視野に映らない物……この先にブロック塀がある事に気づけない。


 カメラに映る景色……狭い範囲の物しか見て無いのだ。


「もっと周りをよく見て車を操作してみろ。カメラだけに頼るな!」

「は!はいぃっ!」


 紀夫と真里のやりとりをずっと眺めていた近藤はニコニコと微笑んでいた。


「真里、ダメだ。もっと周りを見ろ。」

「はい!」


「やり直し!もっと先を読め!」

「はい!」


「カメラに頼るな!意識を四方に行き渡らせろ!」

「えー!」

「えーじゃない!」

「そんなの無理〜!」

「無理じゃない。真里ならできる!」

「本当?」

「ああ、本当だ!」

「ううぅ……頑張ります……」


 なんとかかんとか、三十分ほどの時間をかけてレクサスはどこにもぶつかる事なくガレージに収まった。少し斜めに停まっているが、ご愛嬌というところか。


「紀夫さん、できました!」


 運転席から降りた真里が言った。


「ああ、よく頑張ったな。」

「私、教習所でも車庫入れだけは苦手だったんです。」

「そうか。」

「紀夫さん、ありがとうございます。」

「ははは。俺は大した事してない。」

「ううん。そんな事ない。紀夫さんがいてくれたから出来たのよ?」

「まあ、真里がそう思うのなら、それでいい。」

「うん。私はそう思ってます。紀夫さん……」


 真里の頬は少し赤みをさし、目がウルウルと潤い目尻はトロンとしていた。


「紀夫さん……」


 真里は一歩前に出て紀夫に歩み寄り、目を閉じると唇を少し開き突き出す。紀夫はドキリとした。


「ウォッホン……」


 ガレージ入り口に立つ近藤の咳払いにより、二人はサッと身構え、少しだけ距離を置くように離れた。


「お嬢様、私はこれで失礼します。」

「近藤、ありがとう。」


 ペコリと一礼した近藤は踵を返すと立ち去ろうとした。


「近藤さん!」


 紀夫はタタタッと小走りに近藤の側についた。


「紀夫様、どうされました?」

「真里はいつ運転免許を取ったんですか?」

「先週の土曜日になります。」

「取立てホヤホヤかよ……もしかして今日、ここまで運転してきたのは……」

「はい、お嬢様になります。」

「近藤さんは?」

「私は助手席にてお嬢様の運転サポートをして参りました。」

「ぶっちゃけ、真里の運転技術は?」

「それは……その……」

「……わかりました。」

「ご推察いただき、ありがとうございます。」

「なんというか、そのぉ……使用人と言うお仕事も大変ですね……」

「お気遣下さりありがとうございます。後の事はよろしくお願い致します。」

「ええ。」

「では、私は此れにて。」


 近藤はベンツの助手席ドアを開くと乗り込んだ。ドアが閉まるとベンツは走り出した。紀夫はベンツが角を曲がり見えなくなるまで見送った。


「フーッ……」


 近藤は一息吐くと、窓ガラスの外を流れる景色をしばらく眺めていた。


(木を見て森を見ず……良い教示例と言ったところでしょうか……久保田紀夫、なかなかな男ですね。)


 近藤の中で紀夫の評価が上がったようだった。

お読みいただきありがとうございました。


(`-ω-)y─ 〜oΟ

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