48 真里の夢
♪キーンコーンカーンコーン
壁に設置されたスピーカーから昼休みを告げるチャイム音が流れる。佐々倉ビルディング内にあるどの職場も食堂へ向かう者、地下街の飲食店へ向かう者、持参の弁当を広げる者と、昼の一時の憩いを思い思いに過ごすべく動きだす。
当然ながら紀夫のいる秘書室にも昼休みの訪れを告げるチャイムがスピーカーから流れていた。室員のほとんどが担当する役員と相伴しているので在室している職員は少ないのだが、それでもチャイムを聞いて昼食をとりに動きだすので、静かだった室内も少しだけ騒然とする。
紀夫も食堂へ向かう為、パソコンの画面ロック操作をして立ち上がった。
ガチャ
秘書室内にドアの開く音が響いた。
「紀夫さん、いらして。」
開いたドアから真里が顔を出すと、右手をチョイチョイと手招きをした。紀夫はやれやれといった表情を浮かべつつ真里の元へと向かう。
「入って。」
真里に言われ開かれたドアから中へと紀夫は入っていった。紀夫が入った部屋は真里のための執務室だった。
真里の執務室は秘書室の中に作られている。秘書室の什器レイアウトを変更し、十畳ほどのスペースを作って固定式のパーテーションパネルで間仕切りしただけの小部屋。
真里が非常識……もとい、非常勤取締役である為、真里本人がフロアにある役員室を望まず出社した際に執務ができる程度の小部屋で良いと言ったので、急遽設えられた部屋だ。なので小部屋の出入り口となるドアを開けると、そこは秘書室内になる。
この小部屋の仕切りは透明なアクリル板となっている。空間的にその方が秘書室に圧迫感を与えないという理由からだ。
執務室の奥には真里が執務を行う大きな事務用の机があり、その前に二人掛けのソファーが二脚向かい合わせで置かれ、間にローテーブルがある。ちょっとした来客用だ。
「どうぞ座って。」
真里に促されるまま紀夫はソファーに腰を落とした。
真里は部屋の隅に置かれたロッカーを開けると中から大きめの手提げ袋を取り出し、それをローテーブルの上に置いた。
「これはなんだ?」
紀夫が問いかけるが真里は答えなかった。無言のまま紀夫の左横に座った。真里は朝の作業着とは違い、今は紺色のワンピースを着ていた。胸元が大きくV字にカットされたデザインである為、横に座られると色々とまずい。
紀夫の方が真里より背が高いので座っていても座高の差は出る。紀夫の目の高さからすると、真里の胸元を覗き見る事は容易い。豊かな双丘が作り出す色白なグランドキャニオンを上から眺めるという絶景がそこにはあった。しかしながら、いつまでも眺めていてはマズいと紀夫はすぐに視線を他へと逸らす。
だが女性というのは得てしてそういった類いの視線に対しては敏感である。オッパイ星人である紀夫の一瞬の視線を真里が感づかない訳がない。してやったりと言う満足感が真里の中に広がった。
「お弁当を作ってきました。」
そう言いながら真里は手提げ袋から大きな弁当箱を紀夫の前に置いた。続いて紀夫のとは二回りほど小さな弁当箱を出すと自分の前に置く。
「真里。」
「はい、なんですか?」
「今、『作ってきた』と言わなかったか?」
「ええ、言いましたよ。」
真里は鞄からステンレス製の保温水筒と紙コップを出すと、水筒から紙コップにお茶を入れ、ローテーブルの上に置いた。
「『弁当を持ってきた』の間違いでは無いのか?」
紀夫が言いたいのは、真里の家の使用人が作った弁当を持ってきたのではないかという事だ。紀夫の言いたい事を理解して、真里の頬は少し膨れた。
「いいえ、私が作ったお弁当です。」
「なあ、ちゃんと食べられるんだよな?」
「いくら紀夫さんとは言え、怒りますよ?論より証拠。お弁当を食べてみてください。」
そう言いながら真里は紀夫用に作った弁当箱を手に持ち、蓋を開けて紀夫に渡した。
「おい、これ……」
紀夫は手渡された弁当の中を見て驚いた。弁当箱の半分ほどご飯が詰められていて、残り半分におかずが入っている。焼き鮭の切り身、卵焼き、唐揚げ、金平ゴボウ。彩りにプチトマトと茹でアスパラガス。
「弁当じゃないか!」
「そうですよ。」
「本当に真里が作ったのか?使用人が作って真里は詰めただけってオチじゃないよな?」
「紀夫さん、本当に怒りますよ?私は嘘はつきません。全部、私が手作りしました。」
「マジかよ〜。」
「マジです。早く食べないとお昼休みの時間が終わりますよ。」
そう言いながら真里は『いただきます』と言い、自分の弁当箱を手に取ると蓋を開け、箸を手にした。
紀夫も箸を手にすると、恐る恐るながら弁当に箸をつける。先ずは卵焼きを箸で取った。周りが少し焦げている。口に入れて咀嚼した。
「美味い!」
「お口にあって良かった。」
紀夫の褒め言葉に真里は満足そうにして、自らも弁当を食べ始めた。
「自画自賛ではないけど、思った以上にいい出来栄え。」
真里はウンウンと頷きながら自己満足する。
「いや、これ本当に美味いぞ!」
そう言いながら紀夫はガツガツと弁当を食べる。そんな紀夫を見て、真里は更に満足感に浸っていく。
壊滅的な料理スキルに対し、料理チートな楓から辛辣な指摘を受けた春。それ以来、真里は家で雇う料理人を捕まえ、時間を作っては料理の基礎を教えてもらった。当面の目標は紀夫の弁当作り。その努力が報われた時である。
だがこれで終わりでは無い。今は楓に掴まれている紀夫の胃袋を、近いうちに自分の料理で掴み、奪い取らなければならない。先は長い。『勝って兜の緒を締めよ』では無いが、まだまだ修練は続けなければと真里は気を引き締めた。
「ごちそうさま。美味かった。」
紀夫はそう言って、少し緩くなった紙コップのお茶を飲んだ。
「紀夫さんに喜んでもらえて良かった。」
真里は弁当箱を手提げ袋に片付けながら言った。
「夢だったんです。」
ポツリと真里が言った。
「何が?」
また一口、紀夫はお茶を口に含む。
「愛妻弁当。」
紀夫はブフォッと飲んでいたお茶を吹きそうになったが、なんとか堪えた。
「あ…愛妻弁当?」
「ええ、愛妻弁当。小さかった頃の話なんだけど……」
そう言いながら真里は幼かった頃の父母の様子を語りだした。
出張が多かった父・真一が、たまに自宅から仕事に向かう時、母の愛理は必ず弁当を作り真一に持たせてから送り出した。
夜、真一は家に帰ってくると鞄から空になった弁当箱を出し、愛理に渡す際に『今日の弁当も美味しかった。ありがとう。また頼むよ』と言っていた。空の弁当箱を受け取った愛理は『ご期待に添える様、頑張りますね』と言いながら満面の笑みを浮かべていた。
何度か愛理がキッチンで弁当を作っているのを見たことがあった。朝五時ごろにはキッチンに立って朝ご飯の用意をしつつ弁当を作っていた。
愛理は料理の腕に長けていた。実家の伊集院家は旧華族の家柄とはいえ、経済的には苦しかった家なので、普段の食生活はかなり質素であった。
しかも伊集院家は京都にある。お万菜の街、京都。出される食事は一汁三菜とは言え、献立は多岐にわたっていた。そんな環境で育った愛理が料理の腕が立つのは必然の事だった。
両親が存命だった頃、愛理は時間が許せば自分の手料理で食卓を賑わせていた。
弁当もそうだったが、愛理が振る舞う手料理に舌鼓を打ち、真一はいつも愛梨の料理を『美味い、美味い』と手放しに褒めていた。親子三人で囲む食卓はいつも賑やかで、そして温かかった。
政略結婚だったはずの両親。だからこそなのか……
真里は自分も大きくなり、お嫁さんになったらこうありたい、こんな家庭を築きたいと思うようになった。
「真里が包丁を持ってもいいお年頃になったら、ママが料理を教えてあげるわね。」
「ママ、本当?」
「ええ、ママは厳しいからね。覚悟なさい。」
「約束よ、ママ。」
「うん、約束。」
だが、その約束は果たされる事は無かった。
「……と言う感じなんです。」
「真里の料理音痴とは関係ない気もしないではないが?」
「え?ソコ?」
「あはは……冗談だよ。半分だけ。」
「紀夫さん、ひどい……」
「うん?いや、それでも真里の夢だと言うのはわかったよ。」
「わかってくれました?」
真里の顔がパァッと明るくなった。
「わかった。わかったけど…」
「けど?」
「夢の対象が、なんで俺なんだ?」
「え?それは紀夫さんが婚約者だから。」
「他にもいるだろう。例えば、この前合った圭吾君とか。」
「ああ、圭吾さんですか……」
笑っていた真里の表情がキュッと頑なになった。
「圭吾さんはダメです。」
「なんで?」
「あの人を佐々倉に迎え入れると、佐々倉は潰れてしまいます。」
「どうしてそう思う?」
「圭吾さんにはコレと言った信念がありません。筋が通ってないと言ったらいいでしょうか。」
「ふーん。」
「お爺様が選ばれていた私のお見合い候補の中に、圭吾さんは入っていませんでした。お爺様のお考えも私と同じと思います。」
「俺も似たようなモノだけどなぁ。コレと言った信念なんか無いんだが。」
「そんな事ありません。」
「そうか?」
「そうですよ。楓さんという一人の女性をずっと愛されてます。」
「ああ、それは否定しない。」
「紀夫さん程の容姿なら、今までも色々な女性からアプローチされてきた事と想像がつきます。」
「ああ、それも否定はしない。」
「いくら私が誘っても、微動だにしない。」
「まあ、それは真里が未だお子ちゃまだからかな。」
今の紀夫の発言は嘘である。本当のところは真里に対し、女を感じる事が最近は多い。真里のことをお子ちゃまだと自分に言い聞かせる為の方便だ。
「私がお子ちゃまかどうかは、今後の私の努力次第なので、今は置いておきます。要は誘惑があってもブレない信念をお持ちだという事が大事なんです。」
「いやいや、ちょっと待て。」
「なんですか?」
「俺が楓一筋なのと、佐々倉の将来と関係無いんじゃ……」
「大いにあります。」
「どういうふうに?」
「佐々倉の将来、すなわち私の旦那様という事になります。」
『ん?そうなのか?』と紀夫は思ったが声に出さなかった。
「私の旦那様という事は、私一筋でなければなりません。紀夫さんは今、楓さん一筋です。だから私が楓さんから紀夫さんを奪う事が出来たら、紀夫さんは私一筋になるでしょう。」
「まぁ、もし真里のことを愛してしまったら、そうなる…のかな?」
「え?何故、そこで疑問形なんです?」
紀夫は兼吉にバーで言われた事を思い出す。楓の事を妾として囲っていても良いと言われた事を。
「真里の旦那が妾を囲う事をどう思う?」
「お妾さんですか?」
「ああ。」
「そうですね……相手次第かと。」
「どういう事だ?」
「旦那様をダメにしてしまうような女性がお妾さんでは困るという事です。」
「正論だな。でも、それでは矛盾しないか?」
「何がです?」
「真里は旦那は自分に一途がいいと言った。しかし妾を囲う事にある程度の理解がある。矛盾してないか?一途がいいのなら妾など論外だろ。」
「それは矛盾してようと問題ありません。先ほど言いましたよ?旦那様をダメにしないのであればという事。」
「すまん、よくわからん。」
「今はいいです。わからなくても。私と結婚して佐々倉を支える様になれば、自ずと理解されると思います。」
「いや、だから俺は真里と結婚する気…」
「ストップ!この話はこの辺りまでにしましょう。もうすぐお昼休みも終わります。」
紀夫は壁の時計を見た。あと数分で昼休憩の時間が終わる。
貴子の話を聞いて気になっていた伊集院圭吾の事についても、真里自身が相応しくないと分かっている様で少し安堵した。
「ところで紀夫さん。話が代わりますが、お願いしたい事があるのですけど……」
真里が改まって紀夫に言った。
お読みいただきありがとうございました。
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