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46 一葉落ちて天下の秋を知る

「え?」


 圭吾の発言に真里は狼狽した。己の記憶をたぐるが、その様な事を圭吾に対し言った記憶が無い。


「真里さん。貴女という人は…」

「か…楓さん…」

「二股どころの騒ぎでは無いですよ?結婚の約束とか…下手すると結婚詐欺に問われてしまうのよ?」

「だから違います。結婚詐欺とかではありません。」


 真里は誤解を解こうと必死に考えた。してもいない事で詐欺師扱いされているのだから。


「うん、詐欺はよく無いな。」


 紀夫も加勢してきた。


「そんな…紀夫さんまで…」

「安心しろ。真里は最初から詐欺を働いていない。」

「え?紀夫さん、何を言ってるの?」


 横で聞いていた楓は紀夫が言わんとしている事がわかった様で、自然と顔が綻んでいた。


「真里。」

「はい…」

「俺との婚約話は無かった。」

「え!なんて言いましたか?」

「だから、俺との婚約は無かったという事。と言うか俺、真里との婚約を了承した覚えも無いし。」

「だ…ダメです。そんな事、認められません!」

「なぜ?俺との婚約は元から無かった。という事は、真里は多重に結婚の約束をしていないから結婚詐欺には当たらない。真里は犯罪者でもなんでもない。安心しただろ?」

「…」


 真里は黙ってしまった。目から大粒の涙がポロポロ溢れた。


「……やだ…」


 やっとの思いで一言だけ声に出せた。涙が止めどなく溢れてくる。紀夫は黙ってしまった。楓も黙って紀夫越しに真里を覗き見る様に体を少し乗り出していた。貴子はと言うと、ずっと窓の外を眺めている。重苦しい雰囲気が漂っていた。


「なぁんてね!」


 その空気を破ったのは圭吾だった。


「いやぁ、真里ちゃんと約束したのって、随分と幼い頃の話だから。」

「え?」


 真里は圭吾の顔を見た。圭吾はニコニコと笑っている。


「真里ちゃんがまだ三歳くらいの時だったかな。叔母さん達と京都の伊集院家に来た時だったよ。僕の父さんが真里ちゃんに言った事を覚えて無い?」

「ごめんなさい。全く記憶に無い。」

「だよね。僕の父さんはこう言ったんだ。『真里は大きくなったら誰と結婚したい?』って。そしたら真里ちゃんはこう答えたんだ。『圭ちゃんと結婚する』って。」


 真里の目は大きく見開いた。既に涙は止まっていた。


「全然、覚えてない…」

「仕方がないよ。三歳の頃の事だから。子供の頃の戯言だと言ってしまえば、それだけの事。」

「うん…」

「僕は昔話をタテにして真里ちゃんと結婚するつもりは無いから安心して。」

「うん…」


 圭吾は少し体を前に倒すと真里越しに紀夫達三人の方へ顔を向けた。


「という事で、さっき僕が言った事はおふざけと思って下さい。冗談のつもりだったんですけど、真里ちゃんが泣く事になるなんて思ってもみなかったので…すいません。」


 ペコリと圭吾が頭を下げたので紀夫と楓もつられて頭を下げた。貴子だけはジッと圭吾を睨む様に見つめていた。圭吾は貴子の視線に気づき、問いかける。


「佐伯さん、なにか?」

「いいえ、なにも…」


 圭吾は少し怪訝そうな表情をしたが、すぐに元の笑顔に戻した。

 その後は、当たり障りの無い話をしながら過ごす。

 車内放送が間も無く名古屋に到着する事を告げた。


「僕、名古屋で降ります。友人と待ち合わせしてるので。」


 そう言って圭吾は立ち上がると、真里も立ち上がって通路へと出た。


「ありがとう。」


 圭吾は真里に言いながら通路へと出た。


「では皆さん。真里ちゃんの事をお願いしますね。」


 そう言って圭吾は車両から出て行った。真里が椅子に座ると新幹線は名古屋駅に到着した。

 コンコンと窓ガラスを叩く音に気づき、真里が窓を見ると圭吾が手を振っていた。真里が手を振り返すと圭吾はニコッと笑い、階段に向かって歩いて行った。

 名古屋から乗ってきた客で座席は満席となったが、圭吾が座っていた席に誰も乗ってこなかった。


「逃げたか…」


 紀夫は独り言を吐いた。紀夫は立ち上がると通路を歩き出した。


「紀夫さん。どこへ行くの?」


 真里が尋ねた。


「煙草を吸ってくるよ。」


 そう言って紀夫は喫煙ルームへと向かった。


「楓、ちょっと通して。」

「どうしたの?」

「花摘みに行ってくる。」


 楓は立ち上がり通路へと出た。貴子は通路へと出ると紀夫の後を追う様にして行った。

 楓が元の席に座ると紀夫が座っていた席へ真里が移動してきた。


「真里さん…」

「もう、大丈夫ですよ。」

「そう…」

「圭吾さんが言い出した事。楓さん的には好都合だったでしょうね?」

「ま…まあ、そうなるわね。」

「えへへ。残念でしたね。」

「ホント、残念だわ。」


 そう言いつつ、楓は優しくニコリと笑った。その笑顔を見て真里も微笑んだ。


「ところで楓さん。」

「はい。」

「どれだけお土産買い込んだんですか?」


 真里は荷棚に所狭しと置かれた紙袋を指さした。紙袋には『551』と描かれている。


「会社の先輩がね。お土産に煩くて…」


 大阪のお土産といえば昔は『岩おこし』だったが、最近は豚まんをお土産にする人が多い。楓も新大阪駅の土産物売り場で肉まんを買い求めた。


「私の職場って同じチームの人だけでも二十人はいるから。」

「大変なんですね。」

「真里さんも役員になったんでしょ。こういった気遣いって大事だからね?」

「はい。勉強になります。」

「うん。わかればよろしい。」


 紀夫をめぐってライバルであるが、二人は姉妹であった。



 一方、煙草を吸いにやってきた紀夫は喫煙所の前のデッキで待たされていた。喫煙所が混んでいたからだ。


「久保田君。」


 用を済ませた貴子は紀夫の所へとやってきた。


「佐伯さん、どうした?」

「少しお話したい事があってね。」


 喫煙所から一人出てきて、紀夫の順番となった。紀夫が喫煙所に入ると貴子も一緒に入った。

 新幹線の喫煙所は狭い。灰皿と言える物が三つあり、二つの前にそれぞれ二人立っていた。定員三名のスペースに大人四人は少し狭い。必然的に紀夫と貴子の物理的距離は近くなる。貴子の豊満な双丘が紀夫に押しつけられる。しかしながら紀夫は飄々(ひょうひょう)としてポケットからラッキーストライクのボックスを取り出すと一本取り出し口に咥えた。ボックスをポケットにしまうとライターを取り出し、火をつけようとした。


カチッ…カチッ…


 何度やっても火がつく事がない。どうやらガス欠してしまった様だった。隣の男性に火を借りようとした時、目の前でカチッと音がした。


「どうぞ。」


 貴子の手に握られた使い捨てライターから火が出ていた。紀夫はその火を使って煙草に火をつけた。紀夫の煙草から紫煙が立ち昇るのを確認すると、貴子は使い捨てライターを紀夫に渡した。


「まだ必要でしょ?」

「ああ、ありがとう。」


 紀夫は受け取った使い捨てライターをポケットにしまうと礼を言った。


「こういったシチュエーション。実は憧れてたのよね。」

「そうなんだ。」

「久保田君が煙草を吸おうとした時、サッと私が火をつけてあげる。なんだか良くない?」

「うん、なんとなくだけど佐伯さんが言いたい事は理解できるよ。」

「良かった。理解者がいてくれて。」


 貴子は微笑んだ。紀夫は吸い込んでいた煙を貴子にかからない様、顔を少し上に向けてから吐き出した。


「で、俺に何か言いたいんだろう?」

「ええ、一言注意を言いにきたの。」

「注意ってなんだ?」

「伊集院圭吾の事。」

「彼がどうした?」

「彼と言うより伊集院家かな。」

「良く分からないな。」

「伊集院家がお嬢様の母方の実家なの。」

「知ってる。前に会長から聞いた。政略結婚だったって事も。」

「そう。それなら話が早いわ。今でも佐々倉から伊集院へ相当な額の支援は続いてるの。」

「だろうな。真里がいる限り縁が切れる事はないだろう。」

「でもね。伊集院はそれに胡座をかいているのよ。」

「ん?」

「伊集院って家はどうしようも無い家柄なの。昔の悪い公家気質が今の世になっても続いてると言うか…」

「よく分からん…」

「伊集院って代々、商売の才覚が皆無なの。起業しても投資しても(ことごと)く失敗してしまう。常に借金漬けで家が潰れないのは旧華族だと言う家柄のおかげね。」

「ふむ。で、それと俺がどう関係するんだ?」

「さっきも言ったけど、佐々倉は支援を続けてる。でも会長はいつまでも続けるつもりでは無いみたい。」

「どうして?真里がいるから、そうもいかないだろ。」

「ううん。そうでも無い。佐々倉は伊集院の家格を欲したけど、伊集院の為体(ていたらく)ぶりは佐々倉にプラスに働いていないの。佐々倉の支援により伊集院が右肩上がりになれば良かったんだけど、その逆を行ってる。失敗しても穴埋めを佐々倉がしてくれると高を括らられてるの。」

「へえ…」

「いくら縁戚とは言え伊集院の失敗の尻拭いを続けてられるほど佐々倉も甘くは無い。愛理様が亡くなられた事もあって佐々倉の身内からは伊集院を切り捨てるよう会長は捲し立てられてるわ。」


 紀夫は黙って貴子の言う事を聞いていた。


「それでね。さっき伊集院圭吾が行ったことが引っ掛かったの。」

「幼い頃の結婚の約束の事か?」

「ええ、そう。さっきは子供の頃の話だから気にしなくて良いと言ってたけど、あれは嘘ね。」

「圭吾は真里との結婚を望んでいると言う事か?」

「ええ、そうだと思う。今のままでは佐々倉から切られる。そうならない為に出来る事は、もう一度佐々倉と縁を深めておく事。すなわちお嬢様と結婚して縁戚の絆を更に太くする事ね。だから久保田君がお嬢様の婚約者だと聞いて、慌てて言い出したんだと思う。」

「真里に揺さぶりをかけた?」

「うん。多分ね。」

「許せないな。」

「え?」

「子供の頃に約束した邪の無い純粋な思いを今まで繋いできて真里を欲しているのなら、多分真里は応えると思う。でも裏に邪な気持ちがあるのなら真里は絶対に応える事は無いよ。と言うか、絶対に真里は傷つく。真里は俺に言ったんだ。家ではなく自分を見て欲しいって。」

「でもね、お嬢様の立場では政略結婚というのは嫌でも断れないの。」

「それは俺も理解してるよ。結婚事情が一般庶民とは違うって事くらい。」

「そうね。久保田君だものね。」

「ん?なにに納得してるんだ?」

「ううん。こっちの話。まあ、お嬢様が政略結婚を拒めないのは事実だとしても、あの伊集院圭吾をあてがうほど佐々倉も馬鹿では無いわ。」

「まあ、そうだろうな。」


 紀夫は煙草を吸うと上に向けてフーと煙を吐く。


「だからね。伊集院は必死になってくると思う。そうなれば…」

「そうなれば?」

「久保田君が危ない…」

「なんで?」

「だって…久保田君はお嬢様の婚約者なのよ?」

「それは一方的に言われてる事であって、俺は了承してない。」

「ううん。事実はそうかもしれないけど、そんな事はどうでもいい事と片付けられるわ。実際、会長も久保田君を後継者として望んでることだし…」


 そう言うと貴子はギュッと紀夫に抱きついた。


「ゴホン!」


 隣で煙草を吸っている老人が咳払いをした。紀夫が周りを見渡すと喫煙所の外で待つ人達も紀夫と貴子をジッと見つめていた。


「そろそろ出ようか。」


 急に恥ずかしくなった紀夫は煙草を灰皿に押しつけて火を消すと灰皿に捨てた。周りの視線に気づいた貴子も恥ずかしさから『うん』と小さな声で頷いた。

 白い目で見られる中、二人はソソクサと喫煙所を出て自分達の座席へと向かった。


「ねぇ、久保田君。本当に気をつけてね…」


 前を歩く紀夫の大きな背中に向け、貴子は紀夫に聞こえない程度の小声をかけた。

お読みいただきありがとうございました。


【一葉落ちて天下の秋を知る】

桐の葉が一枚落ちるのを見て秋が来たのを知るという意味で、僅かな現象を見てその大勢や将来を予知することの喩え。

『一花開けて天下の春』とも言う。


(`-ω-)y─ 〜oΟ

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