41 譲れない事
サブタイトル変えました
プシュー
圧縮空気がドアが閉める。モーターがウィーンと高周波音を発すると電車は動き出した。
貴子はニコリと笑って窓の外に向かって手を振ると、ホームにいる紀夫達も手を振り返してくれた。紀夫達の姿が見えなくなると貴子は降っていた手を下ろした。
窓の外に見えていたホームの灯りが無くなり、電車は暗いトンネルの中を進む。走行音がトンネル内でこだましてゴーと大きな音になる。
今日、貴子が会う約束をしているのは二人の女性だった。兼吉が大阪へ出張に来る時、貴子はいつも同行している。関西経済界の催すパーティー会場で二人と知り合い、何度か顔を合わせるうちに意気投合しプライベートでも会う仲になっていた。
電車が減速を始め、なんば駅に到着した。貴子は電車を降りるとホーム中程にある階段を上り、改札を出る。地下街を東へ進み、待ち合わせ場所であるクジラのモニュメントを目指した。目的地に到着すると、貴子に手を振る二人組の女性がいた。
スラッと背が高く、腰まである黒髪のワンレングス美人が杉浦妙子。逆に女性の平均身長より少し低めで、ライトブラウンに染めたショートボブに愛くるしい顔をした足立美津子。ともに大阪に拠点を置く世界的に有名な大手電気メーカー、松上電器産業の役員秘書をしている。二人は同期の二十七歳。貴子より年上だ。
「佐伯さーん。こっちよ〜。」
杉浦が大きな声で貴子を呼んでいた。二十七歳なのに既に大阪のオバチャンの風格が備わりつつある様だ。鞄の中には飴チャンがたんまりと入っているに違い無い。動物のプリント柄のトップスを身に纏っていないのが唯一の救いと言える。
貴子は苦笑いをしながら二人に近づいた。
「佐伯さん、久しぶりやねぇ。」
「久しぶり。元気にしてはった?」
杉浦と足立は関西弁でまくしたてる様に話しかけてくる。
「お久しぶりです。元気ですよ。ぼちぼちやらせてもらってます。」
「そう、それやったら良かった。」
「ええ時間やし、早速行きましょ。」
さすがドケチの関西人。時間が勿体ない様で、挨拶もそこそこに移動を開始した。
三人が地下街から地上へと出ると、夏の太陽がジリジリと照りつけていた。ジメジメとした湿度の高さは、奥まった大阪湾がもたらす瀬戸内特有の気候のせいであろうか。昼前だというのにこの様な暑さだと、午後にはどのくらいまで気温が上がるのか心配になる。
戎橋筋を抜けて戎橋へと来た。グリコの大きなネオン看板が目に飛び込んでくる。テレビドラマや映画『ブラックレイン』などに使われるほど、浪速の代名詞的なロケーション・スポットだ。
「一緒に写真に入ってもらってもいいですか?」
「ええよ。」
貴子はスマートフォンのフロントカメラを起動すると左手に持ち、高々と挙げた。貴子、足立、杉浦の順で並び、後ろにグリコの看板が入る様に角度を調整してシャッターを切った。自画自賛ではないが、なかなかにいいポートレートだと思う。
「なぁなぁ。その写真、うちらにも送ってくれへん?」
杉浦の要望に貴子は頷くと、メッセージアプリで二人に写真を送った。そして本来の目的である紀夫に向けても写真を送信する。女性としか会わないと紀夫に言った手前、証拠として写真を送ったのだった。
「ん?今、写真を誰に送ったん?」
そう訊いてきたのは杉浦だった。
「もしかして彼氏とか?」
「違いますよ。私、彼氏いません。」
足立に訊かれて貴子は答えた。
「そう。それならええんやけど…」
足立は安心した様に言った。貴子はその言葉に引っ掛かりを覚える。そしてその引っ掛かりは、すぐに具現化した。
「そろそろ来る頃やねんけどねぇ。」
そう言って杉浦はキョロキョロと辺りを見回す。
「あ、いたいた!おーい!こっちやで〜!」
背の高い杉浦が手を大きく振ると、人通りが多い中でも目立ったらしい。杉浦の手の振りに気づいた高身長の男が、三人の元にやってきた。
「久しぶりですね。佐伯さん。」
「お久しぶりです。高島さん。」
高島と言う男は杉浦、足立の職場の後輩にあたり、貴子もパーティー会場で何度か顔を合わせたことがある。貴子と同じ二十五歳だ。
挨拶と共に高島が差し出した右手は貴子に握手を求めたのだが、貴子はこれをスルーした。
「少しだけ失礼しますね。杉浦さん、ちょっと…」
そう言って貴子は杉浦を連れて、その場から少し離れた。残された高島は握手をスルーされた手を引くと少し落ち込んだ。足立は高島の様子を見て申し訳ない気持ちになる。
「杉浦さん、どういう事ですか?私はプライベートで男性とお会いする気は無いと、前にもお話したはずなんですけど?」
「ええ、覚えてる。覚えてるんやけど…」
「じゃあどうして高島さんがいるんですか?偶然ばったりでは無いですよね?予め、ここで待ち合わせする約束をしていた様ですけど?」
貴子は顔を真っ赤にしながら杉浦を詰問した。
「ごめんなさい。実は昨日、足立さんと今日の事を会社で話していたら、たまたま高島君が聞いてしまったらしくて。自分も佐伯さんに会いたいと言い出してきて…」
「それで彼も呼んだと?」
「最初は断ってたんよ。佐伯さんはプライベートで男性とは会わないって、何度も説明したんやけど…」
杉浦は高島の方を見た。ションボリと項垂れている。
「彼ね。佐伯さんの事を好きになったらしくて、チャンスがあれば仲を深めたかったらしいんよ。そんなん正直に言われてしもたら、無碍に断れん様になってしもて…ほんま、堪忍やで。」
杉浦は本当に申し訳ないと頭を下げた。だが、貴子はその謝罪を受け入れる気にはなれなかった。
「なんでその事を黙ってたんですか?」
「だって、今日、高島君が来るって言うたら佐伯さん、来てくれへんかったやろ?」
貴子はハァと溜息を一つ吐いた。
「そうですね。確実に今日、お会いする事を断ってましたね。でも、来てしまったからには仕方がありません。」
「おおきに。じゃ、みんな揃ぅたことやし、何か食べに行かへん?」
杉浦は貴子が許してくれたものと思い、四人で昼でも食べに行こうと誘った。
「いいえ、私は行きません。どうぞ三人で行って下さい。」
「え?」
貴子は誘いを断った。当然だ。初恋拗らせ女は紀夫以外の男とはプライベートを一緒に過ごす気は無い。
高島とは今までビジネスの場でしか会った事は無い。仕事の都合で男性と食事をする事は幾度となくあるが、あくまでビジネス…仕事を円滑に進める上での必要悪だと割り切れる。だが今はプライベートだ。貴子に好意を抱く高島とプライベートな関係を築くつもりは無い。いや、高島が好意を持っていなかったとしても同様だ。
そして、今の状況を作り出した杉浦、足立に対し、築いてきた友達としての信頼がガラガラと崩れていく感覚を貴子は感じていた。
「私は杉浦さん、足立さんとはプライベートでもいい関係が築けてきたと思ってました。でも、たった今、それは崩れてしまいました。今後、プライベートでお会いする事は致しません。ビジネスの場だけのお付き合いとさせて下さい。」
そう言い切ると貴子は踵を返し、なんば駅に向かった。
杉浦はかける言葉を見つけられず、黙って貴子の背中を見送るだけだった。
お読みいただきありがとうございました。
【ブラック・レイン】
1989年公開のハリウッド映画
スモークに霞む夜の道頓堀川にグリコのネオンがやたらと目立つんですよね…笑
松田優作の迫真の演技も良かったのですが、高倉健がカッコよすぎ!
(`-ω-)y─ 〜oΟ




