37 企む
サブタイトル変えました
楓が平日も夕食を作りにくるようになって二ヶ月。紀夫の両親が福岡へ引っ越した後、料理のできない紀夫の食生活がジリ貧に陥る事なく過ごせているのは、ひとえに楓のおかげである。
楓的には通い妻ではなく、押しかけ女房へとランクアップしたいのだが、そこは紀夫が首を縦に振ってくれない。週末のお泊まりは許してくれているのが唯一の救いだ。
ただ、最近は少し不満に思う事がある。楓が料理を作るようになってから、紀夫と外食をする事がなくなった。当然ながら、どこかへ出かける事も無い。紀夫と家でのんびり、一緒に時間を過ごせるのは良いのだが、たまには外に連れ出して欲しい。例えそれが近くのショッピングモールであったとしても。
「あのさ、楓。」
紀夫はダイニングテーブルの椅子に座り、食器を洗っている楓に声をかけた。
「来週の木曜日から日曜日まで、出張で大阪に行ってくる。」
「うん、わかったわ。」
「あ、それとさ。俺、今日付けで真里の秘書になった。」
「え?それ、どういう事?」
楓は食器を洗う手を止め、キュッと蛇口の水栓を捻る。ジャーと蛇口から流れ出てた水は勢いを無くし、ポタポタと滴を数滴落として静かになった。
「あー、その、なんだ。真里のやつ、今日から非常勤取締役として働くことになってさ。その秘書として俺が指名された。」
楓は流し台からダイニングテーブルへ移動し、紀夫の向かいに座る。
「という事は、その出張って…」
「ああ、真里のお供だ。」
「まさかとは思うけど、一緒の部屋に寝泊りとか…」
「しないよ。部屋は別だ。」
「そう、それなら良いけど。」
「仕事で行くんだし。それと、佐伯さんも一緒に行くから。」
「え!貴子も一緒なの?」
「佐伯さんは会長の秘書だからな。会長も一緒だよ。」
「そう…そうなのね…」
楓は黙り込んだ。何かを思案している様子だった。
「楓。手を出して。」
紀夫はテーブルの上に自分の両手を出した。楓も両手をテーブルの上に置く。紀夫は楓の両手をお祈りをするように組ませると、その上から自分の手を被せてギュッと握る。
「楓の心配する様な事は起こらないぞ。」
「え?…ええ、ありがとう。」
楓は紀夫が思った事とは違う事を考えていたようだった。
話はそれで終わり、楓は途中でほっぽり出しとなっていた食器を洗い、紀夫は乾いた布巾で水切りに入っている濡れた食器を拭いた。
そのあとは二人でコーヒーを飲みながらテレビのバラエティ番組を見ていると、時計の針は九時近くになっていた。
紀夫は楓を駅まで送り、電車に乗るのを確認してから家に戻った。
紀夫はスマートフォンのメッセージアプリを起動して、真里にメッセージを送った。
《今、電話できるか?》
メッセージはすぐに既読となった。と同時に、紀夫のスマートフォンがブルブルと震えた。ディスプレイには佐々倉真里と表示されていた。紀夫は応答ボタンをタップし、スマートフォンを耳に当てた。
『紀夫さん、画面が真っ暗です。』
紀夫は真里の言っている事が直ぐには理解できなかった。
『もしかして耳にあててませんか?テレビ電話でかけたので、スマートフォンを耳から離して。』
ようやく理解した紀夫はスマートフォンを耳から離すと、顔の正面に構えた。ディスプレイには真里の顔が映っていた。
『こんばんは。紀夫さん。』
画面に映る真里はスッピンだった。化粧をしていない真里は、少し垂れ目気味で愛嬌のある顔だった。だからと言って真里の魅力が損なわれた訳では無い。十八歳の等身大の少女の魅力が溢れていた。
「夜分にスマン。」
『ううん。私も一息つきたかったので、メッセージ嬉しかった。』
「何かしてたのか?」
『試験勉強してました。』
そういえば今は期末試験中だったと紀夫は思い出した。
「邪魔して悪かった。」
『全然、大丈夫。それより私に用があったんでしょ?』
「ああ、今日、山岸室長から来週の出張の件で話があった。」
『聞いてもらえましたか?』
「聞いた。なんだ、アレ。土日に大阪観光とか。」
『いいじゃないですか。せっかく遠出するんですから。それに会いたくも無い狸オヤジ達にヘラヘラと愛想笑いして疲れるんですから。それくらいのご褒美があっても良いと思うんですけど?』
最近の真里は本音を紀夫にぶつける事が多くなった。それだけ紀夫に心を許しているという事だろう。
「わかったよ。でもな、出来たら事前に言ってくれないかな。」
「だって事前に言ったら紀夫さん、絶対に金曜日に帰るって言うでしょ?」
真里は勘違いをしていた。紀夫が事前に言って欲しかったのは、今日のように香澄がからかってきたりするからだ。土日に真里と大阪観光する事に反対する気は無かった。無用なサプライズ感は遠慮願いたいという事だけである。
「そんな事は言わないぞ。俺も大阪は久しぶりだからな。結構楽しみにしてる。」
『ホント?』
「ああ、本当だ。」
『あ、それってもしかして…私が居なくても楽しみって意味じゃないの?』
「良く分かったな。」
『ブー!』
画面の向こうの真里は口を尖らせ、頬を膨らませた。
『紀夫さん、何度か大阪に行った事があるのね?』
「ああ、前の会社で出張に数回な。でも仕事ばかりで夜に北新地へチョロっと飲みに行ったくらいだったから、大して大阪に詳しくという訳では無い。」
『あら、残念。紀夫さんにエスコートしてもらえると期待したのに。』
「ご期待に添えず、申し訳ない。」
『ううん、それはそれで楽しみ。二人で知らない街を探索するってロマンチックよね。』
「それはいいんだが、その前にやる事はしっかりやれよ。」
『分かってます。狸オヤジ共の相手はしっかり努めます。』
「いや、そっちじゃなくて。」
『はい?』
「今、真里は何をしてたんだ?」
『試験勉強ですけど?』
「それだよ、それ。」
『言われなくても、やってます!私、成績は良いんですから。』
「それなら良い。真里、頑張れよ。」
『は、はい…』
真里の顔が真っ赤になるのが画面越しにわかる。はにかんだ笑顔が可愛かった。
「勉強もいいけど、睡眠も大事だからな。適当に切り上げて寝ろよ。」
『はい。切りの良いところで寝ます。』
「邪魔したな。おやすみ。」
『おやすみなさい。紀夫さん。』
紀夫が通話終了ボタンをタップするとディスプレイから真里の顔が消えて真っ暗になった。
ちょうどその時、スマートフォンが♪ピロンと鳴る。楓からのメッセージだった。
《ただいま》
今日も無事に家に着いた様で、紀夫はホッとした。《おかえり》と返すとすぐに既読が付いた。
紀夫は台所に行くと冷蔵庫から缶ビールとグラスを取り出してダイニングテーブルに置いた。ビールをグラスに注ぎ、グビッと喉を鳴らして飲んだ。
楓は紀夫から《おかえり》とメッセージが返信されたのを確認して、連絡先から『佐伯貴子』を選択した。
発信ボタンをタップするとスピーカーから呼び出し音が流れる。数コール後に貴子が電話に出た。
「もしもし。貴子。」
『どうしたの、楓。』
「貴女、紀夫と大阪に行くんだって?」
『うん。でも二人だけでじゃないよ?』
「聞いたわ。真里さんも一緒なんでしょ。なんだか心配だわ。」
『ん?何が心配なの?』
「貴子と真里さんが揉め事を起こさないか?って事よ。」
『あ、そっちの心配ね。私はてっきり…』
「てっきり?」
『夜の事かと。』
「へ?どういう事?」
『ホテルの部屋ね、ベッドがキングサイズのダブル部屋なの。シングルユースで予約してるけど。』
「た〜か〜こ〜!!」
『いいじゃない、私だって久保田君に抱かれたいもん。』
「貴女ねぇ…」
『ウフフ、冗談よ。』
「貴女の言う冗談は、冗談に聞こえないのよ。」
『安心して。金曜日まで接待やら親睦会やらと昼夜問わず仕事がビッシリと詰まってるから。』
「ちょっと待って。仕事は金曜日までなの?」
『そうよ。久保田君に聞いてない?』
「紀夫からは日曜日まで大阪に出張としか…」
『そっか。』
「土日は大阪で何をするの?」
『私は大阪の友達と会うから久保田君達とは別行動だよ。』
「ん?今、『達』と言わなかった?」
『うん、久保田君とお嬢様ね。』
「え?真里さんは金曜日に仕事終わったら帰るんじゃないの?」
『それだと久保田君が大阪に残る意味ないじゃん。お嬢様が大阪を観光したいって言い出してさ。久保田君は付き添いね。』
「そう…」
楓はしばし黙り込んでしまった。
『楓?大丈夫?』
「大丈夫よ。それより教えて欲しいんだけど。」
『何を?』
「泊まるホテルの名前と紀夫の部屋番号。」
『大阪駅近くの◯◯ホテルよ。部屋番号は当日にチェックインしてからでないとわからないけど。』
「そうね。ありがとう。」
『楓?』
「なに?」
『貴女、何を企んでるの?』
「企んでるなんて、人聞きの悪い。」
『いいえ、何かやらかそうとしてる。私にはわかるよ。永い付き合いだし。』
「貴子は心配しなくて大丈夫よ。」
『本当に?信じていい?』
「ええ。」
『あ、これだけは言っておくね。◯◯ホテルって人気があって週末は常に満室だからね。』
『なんだ、ほとんどバレてるじゃないの』と楓は思った。
「ご忠告ありがとう。」
『どういたしまして。』
「それじゃあね、おやすみ。」
『うん、おやすみ。』
電話を切ると楓は風呂の準備を始めた。
お読みいただきありがとうございました。
(`-ω-)y─ 〜oΟ




