36 初仕事
サブタイトル変えました
七月になった。
紀夫に辞令がおり、正式に真里の秘書となった。と言っても真里は非常勤であり、学校があるので毎日出社してくる訳ではない。紀夫の仕事は今迄と変わらず、役員会議の資料まとめなどをこなしていた。
「久保田君。ちょっといい?」
「なんですか?室長。」
香澄に呼ばれて紀夫は立ち上がる。香澄がチョイチョイと手招きするので、紀夫は香澄の机の前に移動した。
「お嬢様…もとい、佐々倉取締役なんだけどね。」
「はい。真里がどうしました?」
「コホン…久保田君。君が婚約者だからと言って、業務中にお嬢様を呼び捨てで扱うのは、いささか問題がある気がするな。」
「そうですね。以後、気をつけます。で、取締役がどうかしました?」
「来週の木曜、金曜と大阪へ出張される事になったの。当然、君も出張に随行してもらう事になるんだけどね。」
「新幹線やホテルの手配ですね。わかりました。」
「ううん。それは佐伯さんが既に手配済みなので大丈夫。」
「佐伯さんがですか?」
「うん。その出張と言うのは、関西の経済界にお嬢様が取締役に就いた挨拶という事で、会長が同行されるの。」
「それで、佐伯さんが動いてくれていたという事ですか。」
「そう。で、君に動いて欲しいのは『お嬢様』への対応なの。」
「ん?室長、それはどう言う事ですか?」
「佐伯さんが動いてくれたのは、会長と佐々倉取締役に対して。言っている意味わかるよね?」
「あー。業務外のプライベートタイムって事ですか。」
「イエス!ザッツライト!」
香澄が突然、英語で答えたのに意味があるのか分からず、紀夫はスルーした。
「で、本題はここから。」
「なんですか?」
「お嬢様が取締役としての仕事が終わった後、土日と大阪観光したいと言われててね。」
「つまり、俺も大阪に残って真里の相手をしろと言う事ですね。」
「まぁ、そうなんだけどね。」
香澄はニヤッと笑った。
「話は変わるんだけど。先日の株主総会のでの事なんだけどさ。役員達の送り出しが終わった後、ホールの喫茶店で休憩してたのよね。」
紀夫はヤバイと直感で感じた。
「一人でお茶をしてたら、なんだか痴話喧嘩?修羅場?って感じの言い合いが、たまたま聴こえたのよね。たまたま。」
香澄の音声を漢字に変換すると、『聞こえた』ではなく『聴こえた』で変換確定するのが正しいと紀夫は思った。どんなに優秀なAI音声認識でも、この機微は対応不能だろう。
「はぁ…で、何が言いたいんすか?」
「なんと!佐伯さんも土日、大阪に残ると言ってきました!わ〜パチパチパチパチ!」
貴子は会長・佐々倉兼吉の秘書である。休日、貴子が何をしようがプライベートなので誰も文句は言えない。だが、旅行など出先でトラブルに遭い、その後に秘書としての仕事に影響が出ては室長として管理責任が発生するので、旅行など遠出する時は念の為、行き先などを事前連絡する様に室員に義務付けていた。
「室長。なんだか楽しそうっすね。」
「そ…そうかしら?気のせいじゃない?」
プイと顔を逸らした香澄の目はキョロキョロと視線が定まっていない。紀夫は香澄の相手をするのが面倒になってきたので、話を切り上げにかかった。
「俺は真里と佐伯さんと話をしておけば良いって事で宜しいですか?」
「うん。宜しくね。」
紀夫はペコリと頭を下げると自分の席へと戻った。紀夫の前は貴子の席だが、貴子は兼吉に付いて外出していて居なかった。もし居てたら、香澄との会話に喰らい付いてきていただろう。
パソコンのディスプレイを見ると新着メールの通知があった。メーラーソフトを開くと香澄からのメールだった。メールの件名は『モテる男は辛いね』。メールを開くと、内容は簡潔だった。
『二人とも生娘だから出来るだけ痛くないように、優しくしてあげなさいよ。p.s.二人ともオッパイが大きくて良かったね。』
会社のメールをこんな件で使うな!と紀夫は言いたくなった。
マウスから右手を離し、背もたれに体重をかけるようにしてグデっとしていると、貴子が目の前の席に戻ってきた。
「佐伯さん。時間ある?」
「あら、デートのお誘い?せっかくだけど、今夜は予定が入ってて。」
「いや、誰も誘ってないから。」
「うう…ひどい。時間ある?って久保田君に訊かれたから、誘われたのかなって喜んでたのに。」
「それはスマン。言い直すよ。今、時間取れる?」
「仕方ないな。一時間くらいなら。」
「ここではアレなんで、隣の会議室来てくれる?」
「いいわよ。」
紀夫は貴子を連れて隣の小会議室に入った。会議机を挟み向かい合って着席する。
「どうしたの?わざわざ会議室に呼び出して。あ、もしかして…この部屋って防音遮蔽してあるし…ドアの鍵、締めようか?」
貴子は口角を上げ妖しげに微笑む。だが、貴子がバージンである事を知った紀夫は、貴子に対して反撃に出る。
「ん?佐伯さんが望むのなら、そういう事をしてから話をしようか?」
一気に貴子の顔が真っ赤になり、オロオロと視線がおぼつかなくなった。狼狽るくらいなら最初から仕掛けなければいいのにと紀夫は思った。
「久保田君のイヂワル…」
貴子は小声で一言、反論するのが精一杯だった。紀夫の事が好きだと楓や真里にライバル宣言をしてからというもの、仕事は完璧にこなす優秀な秘書であるが、紀夫の前ではポンコツ化が始まったようだ。
「冗談はこのくらいにして…」
モジモジといじける貴子を無視して、紀夫は本題に入ることにした。
「さっき室長から来週の出張について、簡単に話を聞いたよ。で、佐伯さんの方でどのくらい手配を済ませてくれてるのか聞きたくて…」
「その程度の話なら、別に会議室じゃなくても良かったよね?久保田君が訊きたいのは土日の事でしょ?」
ポンコツ化とは言え、鋭い所はさすがであった。
「察しがよくて助かるよ。」
「これだけが今の私の取り柄だから。」
フフフと貴子は笑った。
「まず、行きの新幹線のチケットだけど、水曜の十六時過ぎののぞみ号のグリーンを四席予約済みよ。」
「じゃあ、二時頃には会社を出なくてはダメだな。真里…いや、取締役は学校だろ?そんなに早い時間で大丈夫なのか?」
「取締役は期末テストが終わって、来週から学校の授業は午前中だけになってるの。だから久保田君は昼休み後に学校まで迎えに行ってあげてね。車は車両課の方に手配してあるから。」
「わかった。」
「ホテルは大阪駅近くの◯◯ホテルをとってます。大阪での移動はハイヤーを契約しておいたわ。」
貴子は木曜日、金曜日の大まかなスケジュールを紀夫に説明した。後で細かなタイムテーブルを紀夫に渡すと言った。
紀夫としては秘書の仕事は初めてなので、貴子が取り仕切ってくれるのは大変ありがたかった。
「以上が金曜日までのスケジュールね。」
「色々とありがとう。」
「ううん、仕事だもの。当然の事をしただけだから気にしないで。」
「あのさ、佐伯さん。」
「はい?」
「その…土日は大阪に残るって聞いたけど、それってさ…」
「ん?私が大阪に残ってたらマズい?」
「マズいと言うか、なんと言うか…」
「久保田君が心配するような事にはならないから安心して。」
「それってどう言う事?」
「私が大阪に残るのは、友達と会いたいからなの。ほら、私って会長に付いてあちこちと出張行くでしょ。で、取り引き先の担当者と顔を何度か合わせるうちに仲良くなった人とかいてさ。向こうも仕事してるからプライベートで会うなら週末になるし。」
「そうなんだ。」
紀夫はホッとした顔になった。真里と貴子の二人を連れて、土地勘の無い大阪を観光するなど手に終えない。ましてや、この間のように二人が言い合いを始めたらと考えるとゾッとする。
「なんだか嫌な気分。」
貴子は紀夫の様子を見て、口を尖らせた。
「私が別行動だと知って、安心した顔をするなんて。」
「そ…そうか?」
「ええ、顔に出てたよ?少しは不安な顔をしてくれてもいいのに。」
「ん?なんで?」
「ほら、友達って男なのか?とか思わないの?不安になって誰と会うんだと訊いてみるとか。」
「それは思ってたとしても訊けないな。佐伯さんのプライベートに口を挟める立場ではないし。」
「そこは私的に久保田君には訊いて欲しいところなんだけどね?」
「そういうものか?」
「そういうものよ。でも訊いてくれなさそうなので言っておくね。友達は全員、女の子だから。食い倒れの街を食べ歩いてくる予定よ。」
「そっか。じゃ、楽しんできなよ。」
「うん。それにね、私は久保田君しか見てないからね。友達に男の人がいたとしても絶対に体は許さない。久保田君に誤解されるような言動は絶対にしない。私の身も心も全て許すのは久保田君だけだから。」
紀夫の意思に関係なく、貴子は紀夫を安心させるような口調で言った。紀夫は貴子の視線が痛くて、顔を逸らした。
「友達と会うのは昼間だし。夜はちゃんとホテルに帰ってくるから。お嬢様は未成年だから飲みにいけないでしょ。夜のお相手は私がシ・テ・ア・ゲ・ル。」
バージンのくせに、また意味深な事を言ってたら自分の首を締めるだけだぞ?と紀夫は思った。
「さて、私はそろそろ戻るね。」
貴子は立ち上がるとドアへと向かった。ドアを開けて会議室を出て行く。ドアが閉まりかけた時、貴子はドアの隙間から言った。
「私のバージン、貰ってね。」
パタンとドアが閉まった。
お読みいただきありがとうございました。
(`-ω-)y─ 〜oΟ




