30 覆水盆に返らず
真里の誕生日パーティー会場となったホテルの最上階にあるスィートルーム。リビングにあるゆったりとしたソファに座って居たのは、兼吉、貴美子、真里、そして紀夫。スィートルームに備え付けのキッチン付近に執事の近藤とメイドの山下が立っていた。
「お爺様、ごめんなさい!」
真里はソファから立ち上がると兼吉に謝罪していた。真里は両手を下腹のあたりで重ね合わせ、最敬礼のお辞儀をしていた。
真里が謝罪している理由。それは紀夫を婚約者だと勝手に公言してしまった事だった。
真里は見合いによる政略結婚を嫌がり、恋愛結婚を希望した。兼吉は息子・真一の一件もあり、真里の結婚観を尊重する事にした。
だが真里が見染めた相手、紀夫には恋人がいる。兼吉は一年間と言う期限を設け、その間に紀夫を口説き堕とすよう真里に言った。
今日の時点で紀夫は真里に陥落はしていない。結婚の約束もしていない。婚約を公言できる環境は整っていない。
にもかかわらず、真里は紀夫を婚約者だと公言してしまった。
真里の爆弾発言の後、パーティーは大混乱となった。
混乱に巻き込まれない様、SPが慌てて総理大臣などのマルタイを護衛して会場を後にしていた。
有名人や大物などの婚約発表など珍しくない。だがそれらは普通なら記者発表という形を取る。パーティー会場の、しかもその場のノリの様な感じでの発表など、例を見ない珍事であっただろう。
紀夫と真里もパーティーに紛れ込んでいた記者達に取り囲まれ、様々な質問責めにあった。十人から言われた事を瞬時に理解でき対応できる筈もなく、『俺は聖徳太子じゃ無い!』と紀夫が叫んだところで誰も聞いてはいない。
ホテル関係者に護られる様にして、このスィートルームへと逃げて来たのである。
「ド偉い事をしてくれたもんじゃで。」
兼吉は呆れた顔をしながら言った。隣に座る貴美子はニコニコとしている。
「真里、座りなさい。」
貴美子に言われ、真里は姿勢を戻すとソファに座った。
「これを見なさい。」
兼吉と貴美子、真里と紀夫が隣り合って座る向かい合わせのソファの間にはガラス張りのローテーブルがある。
貴美子はA3サイズの紙を一枚、テーブルの上に置いた。どこかの雑誌記事のゲラ刷りのコピーだった。真里の爆弾発言から僅か二時間程度。既に週間雑誌の両開き記事になっていた。
『巨大企業佐々倉の御令嬢が婚約!』
『お相手は四葉グループの縁戚』
『佐々倉と四葉の合併の噂は本当か?』
様々な文言が紙面に踊っている。
使われている写真も、先ほどのパーティーで真里と紀夫がにこやかに談笑しているツーショットの他、真里と紀夫が手を繋いでキャバレーから出てくる写真が載っている。ゲラ刷りなので、紀夫の顔に目線やボカシはされていない。
「お爺様…これは?」
真里が兼吉に訊いた。
「明後日の月曜日に発行される週刊誌に載る予定じゃった記事じゃ。」
「という事は…」
「ああ。事前に察知できたので手を回して取り押さえる事は出来たがの。」
記事を取り押さえる…すなわち佐々倉から出版社に幾らかの金が動いたという事だ。記事が無駄になる事により発生する損害への損失補填…と言う名目の口止め料。その額は紀夫には想像がつかない。
「紙媒体は押さえられたわ。でもネットまではねぇ。」
貴美子がニコニコしたまま言う。笑顔が故に怖い。
デジタルカメラやスマートフォンで写真を撮っている人は大勢いた。SNSで個人発信している人もいるだろう。ネットに流れてしまうと複製、転送と瞬く間に拡がる。
取り消せないという事だ。
「お爺様。一つお聞きしても?」
「なんじゃ?」
「これはどういう事ですか?」
真里がコピーの文言を指差す。
『佐々倉と四葉の合併の噂は本当か?』
「四葉と合併はしない。」
「そうですか。それは良かったです。」
兼吉の否定に真里は安堵した。
「何を安堵したんだ?」
紀夫が真里に訊く。
「紀夫さんは佐々倉の成り立ちをご存知ですか?」
「いや、あまり詳しくは知らない。」
佐々倉が戦後の混乱期に闇市から出発し大きくなったと簡単には、謙吉から聞いている。
「佐々倉と言う企業はですね…」
佐々倉は闇市で得た利益を資金として、他企業のM&A(買収と合併)を繰り返して大きくなったコングロマリットである。
なので経営母体の佐々倉ホールディングスの経営は佐々倉家が行っているが、傘下の企業の経営者は皆、佐々倉家とは無縁な他人ばかりだ。
対して四葉は旧家であり親族の結束が堅い。企業経営も四葉宗家がグループ各社の筆頭株主となり、各社の経営陣は四葉宗家が指定する四葉親族で構成されるファミリー経営だ。
自らが事業を起業し育て、成功した事業は独立させ親族から経営陣を送り込む。
佐々倉と四葉では、経営に対する哲学、路線、手腕が異なるので、合併するとなるとメリットは見出せない。
「ですから、私と紀夫さんが婚約する事が合併の後押しとなるので有れば、結婚後の紀夫さんに対するプレッシャーは相当な物になるのが予想できるんですよ。」
ふむ、なるほど…と紀夫は納得したが、ブンブンと頭を振った。
真里の言い分では、紀夫が真里と婚約、結婚する事が既成事実となっている。
「私との結婚が紀夫さんを苦しめる事になるのだけは避けたいですからね。」
そう思うのなら、もう俺と関わらないでくれ…と紀夫は言えなかった。
何故なら、紀夫は真里を一人の女として好意を抱いているからだった。
「それに、私としては紀夫さんと政略結婚に見られるのは嫌です。」
「ま、それは仕方のない事じゃから我慢じゃな。出会いは偶然であったかもしれんが、蓋をあければそういう男だったというだけじゃ。瓢箪から駒が出ただけじゃ。」
「そうなんですけどね…」
兼吉の言葉に真里は納得のいかない表情を浮かべた。
「それにの、さっき合併は無いと言ったが、四葉との業務提携の話は水面下で進んでおる。」
紀夫もそれは知っていた。取締役会議の資料にそれらしき内容が書かれている事が最近は増えてきた。
「久保田君をうちに貰い受けるにあたり、四葉の会長が出してきた条件なんじゃ。」
四葉商事の後継ぎに予定していた紀夫を、そう易々と手放すはずが無い。対価として要求されたのがグループ同士の業務提携であった。
業務提携が成立すれば美也子の四葉一族内での立ち位置は安泰となるだろう。
「え?そうだったんですか?」
紀夫はビックリした。まさか業務提携の裏に、そんな取り引きがあったとは。
「俺って、ホント色々と外堀が埋まってるんですね…」
「だからじゃよ、久保田君。この前も言ったとおり、儂は二人とも君で良いと考えておる。」
兼吉の言葉に真里が疑問を呈した。
「お爺様、『二人』とはどういう事ですか?」
「ああ、真里にも聞いておかねばならんの。」
「何をですか?」
「久保田君と結婚したとして、久保田君が妾を囲う事になったとしたら、真里はどう思う?」
真里はしばらく考える。今までの状況を考慮し、兼吉の質問に対する最適解を導き出す。
「それは楓さんの事ですよね?」
「そうじゃ。」
「私は嫌です。生涯、私だけを見て欲しいです。」
「そうか。」
「普通は、そうではないですか?」
「普通ならばの。じゃがな…」
兼吉は途中で口を閉じた。
「ま、何にせよ久保田君を婚約者として公開してしまった事は後戻りできん。覆水盆に返らず、後悔先に立たずじゃ。」
「あなた、上手いこと言いますね。」
貴美子がウフフと笑う。真里と紀夫はキョトンとしていた。
「後悔と公開をかけるだなんて。」
「わかってくれるのは、いつもお前だけじゃよ。」
「いつもあなたの事を見てますからね。」
「貴美子…」
「あなた…」
真里は山下の方を見やった。
「山下さん、コーヒー挿れて下さい。濃いブラックで。紀夫さんも要りますか?」
「ああ、そうだな。」
「山下さん、紀夫さんのコーヒーもお願い。」
「畏まりました。」
山下はキッチンに入り、コーヒーの準備を始めた。
「お爺様、お願いがあります。」
「なんじゃ?」
「この出版社にお願いして、この写真の電子データを貰ってもらえませんか?」
真里がコピーに載っている写真を指差す。
キャバレーから出てきた所を狙われた隠し撮り写真。プロが撮っただけあって、夜だというのに綺麗に撮れている。
「ふむ、わかった。近藤!」
「畏まりました。」
近藤は上着の内ポケットから携帯電話を取り出すと、どこかに電話をかけ出した。
写真の中で真里と紀夫は恋人繋ぎで手を繋いでいる。
楽しげな表情の真里を見やる紀夫の笑顔がとても優しかった。
お読みいただきありがとうございました。
お気に召しましたらブックマーク登録をお願いします。
よければ、広告下にあります☆☆☆☆☆評価もお願いします。
(`-ω-)y─ 〜oΟ




