28 色仕掛け
26話で紀夫が真里の誕生日を忘れていた事実を組み込みました。
六月九日になった。
昼過ぎに佐々倉の車が紀夫の家まで迎えにやってきた。着替えは佐々倉の家でする事になっているので、紀夫の服装は白のポロシャツにリーヴァイス、麻のジャケット、裸足にデッキシューズといたってラフな格好だった。
佐々倉の家に着くと玄関前で真里が待っていた。真里も鶯色のノースリーブのカットソー、白のロングスカート、ヒールの高いミュールとラフな出で立ち。
二人の装いを見る限り、これからパーティーがあるとは一切感じられない。
「ごきげんよう、紀夫さん。」
「誕生日おめ…で…」
真里は右手を握ると人差し指だけを立てて、紀夫の唇に当てて言葉を遮った。
「紀夫さん。お祝いの言葉は明日、言って下さると嬉しいかな?」
「ん?」
「どうかしました?」
紀夫は真里の右手を掴むと、ゆっくり唇から離す。
「今、明日と言わなかったか?」
「言いましたね。」
「何故に明日?」
「私の誕生日は明日ですよ。」
「それは知っている。」
「ですから〜」
「ですから?」
「明日、祝って下さい。」
「今日、お祝いするだろ?」
「その他大勢が…ね?」
「意味がわからん。」
「あ〜ん、もう。それ、ワザとですか?イヂワルしてます?」
「だから、なんなんだよ?」
「紀夫さんには明日、祝って欲しいんです。だから、明日は誕生日デートを要求します。」
真里は上目遣いで紀夫を窺う。ウルウルとした瞳に見つめられ、紀夫は顔を横に背けた。
「そんな事、急に言われてもなぁ。」
「何かご予定でも?」
「いや、別に無いが…」
「私の誕生日、忘れてましたよね?」
真里は紀夫をジッと睨みつける。
「という事で明日、二人だけでお祝いして下さい!お祝いして下さい!お祝いして下さい!お祝いして…」
放置しておけば紀夫が『うん』と言うまで、真里はいつまでも繰り返していたかもしれない。真里の我儘と強引さに紀夫は折れた。
「わかった、わかった。」
「わかって頂けて嬉しいです。」
「コホンッ!お嬢様。そろそろ宜しいでしょうか?お時間が…」
真里の後ろに控えていたメイドが声をかけてきた。
「あ、そうだった。紀夫さん、こちらの山下さんに案内してもらって下さい。私もこれから着替えます。また後ほど。」
真里はそう言い残して廊下の奥へと去っていった。
「山下茜と申します。久保田様はこちらへどうぞ。」
山下というメイドの案内で、十五畳ほどの部屋に案内される。作りつけの簡易クローゼットやベッドやソファが備えられているので客間だろう。
「こちらの部屋にて着替えていただきます。」
クローゼットには先日、片山宗介が仕立てたタキシードが掛けられていた。
四日に真里と一緒に仕上がりを確認するため片山の店に赴き、試着している。既製服とは異なり、着心地が断然に良い。宗介の洋裁職人の腕と聡子のお針子の技に、紀夫は感銘を受けた。
腕を曲げたときにジャケットの肘が少し突っ張るなど若干の手直しが必要だったので、手直し後に佐々倉邸に届けて貰うように依頼していた。
紀夫の家に置いていてもタキシードなど着る機会は無い。着るとすれば真里絡みとなるので佐々倉の家に置いておく方が都合が良いと真里が言い、紀夫も同意した。
ちなみにタキシードの仕立て料や、その他に必要となるシルクシャツやカフス、サスペンダーなどの小物の購入費などは全て佐々倉が出すと真里が言った。
紀夫は断ったが真里が、
「お爺様がそうしろと仰ったので…」
と言ったので受け入れるしかなかった。
バタン
部屋の扉が閉まる音がした。
「ジャケットをお預かりします。」
山下の声かけに紀夫は一瞬戸惑った。
「どうかなさいましたか?」
「い、いや…」
紀夫はジャケットを脱ぐと山下に渡した。山下はジャケットをハンガーにかけると、シワを伸ばすように軽く裾を引っ張りながら形を整え、クローゼットにハンガーを引っ掛けた。
紀夫は山下の様子を窺っていたが、山下が一向に部屋から出て行く素振りをみせない。
「あの…」
「はい。」
「山下さんはどうして出て行かないのですか?」
「私は久保田様のお召替えを手伝う様に言われておりますので、お気になさらずに。」
「いや、それは流石にまずいと…」
山下は紀夫と同じか少し上の年齢に思えた。しかも見た目も美しく、スタイルも良い。その様な女性の前で着替える事に紀夫は恥ずかしさを覚えた。
「私の事は空気だとお思い下さい。」
「それは無理ですよ?」
「お時間がありませんので。失礼いたします。」
山下はそう言うと紀夫に近づき、紀夫の着ているポロシャツの胸ボタンに手をかけ、ボタンを外し出した。
「な…なにをして…」
「上着を脱がないと着替えられませんので。万歳のポーズをお願いします。」
山下はボタンを外すとポロシャツの裾を持ち、上に引き上げる。紀夫は仕方なく両腕を上げて万歳のポーズとなった。
ポロシャツの下には何も着ていなかったので、紀夫は半裸となった。
山下は紀夫の程よく引き締まり、少し筋肉質な上半身を見て頬が赤くなった。山下を見て『恥ずかしいなら、こんな事しなければ良いのに』と紀夫は思った。
山下はポロシャツを丁寧にたたみ、ベッドに置かれていたシルクシャツを広げた。
「右腕から通します。」
山下がそう言ってシャツを右腕から通していく。左腕をシャツに通してシャツのボタンを上から一つずつ閉めていく。
シャツのボタンを閉め終わると、山下はベルトのバックルに手を伸ばそうとした。
「山下さん、ストップしてください。流石にそれは…」
「お気になさらずに。」
紀夫の制止にも関わらず、山下は膝をつきバックルに手をかけベルトを緩める。上手にジーンズのボタンを外し、ファスナーを開くとジーンズを下へと引っ張り脱がせた。
ボクサーパンツだけの下半身が山下の目の前に露出される。
「あら…へぇ…」
股間の盛り上がりを見て山下はウフフと嬉しそうにしながら脱がせたジーンズをたたむ。
「靴下を履いていただくので、お座り下さい。」
ここまで来ると紀夫も山下に抵抗するのをやめた。ベッドに腰掛けると山下が黒の靴下を履かせた。
「お立ちになって下さい。」
紀夫がベッドから立ち上がると山下はクローゼットからタキシードのトラウザーズを持ってきて紀夫にはかせる。サスペンダーを付けて長さを調整した。
「キツくはありませんか?」
「ああ、大丈夫です。」
「ではタイを締めますので顔をお上げ下さい。」
紀夫は顎を突き出す様にして顔を上げる。山下は蝶ネクタイをシャツの襟に回し、喉元で蝶ネクタイを締めていく。
「苦しく無いですか?」
「大丈夫です。」
山下がシャツ袖にカフスを付ける。
クローゼットからウェストコートを持ってきて背中から紀夫に着せた。
「少々、暑いと思いますが本日は正装という事ですので我慢なさって下さい。」
そう言うと最後にシングルブレストのジャケットを紀夫に着せた。
「ありがとうございます。」
「いえ、どういたしまして。」
紀夫が礼を言うと山下は満足げに、しかも何かを決意した顔をしていた。
「お召しになられていたポロシャツはクリーニングしておきます。明日の朝には仕上がっております。」
「え?では、今日帰るときになにを着て帰れば…」
「本日はお泊まりになられるとお聞きしてましたので、明日の朝でも問題無いと考えてましたが。」
「はい?泊まる?誰がそんな事を?」
「お嬢様が仰ってました。」
「真里の奴め…」
真里の強引さにハァと溜息しか出てこない紀夫であった。
着替え終わり、部屋を出ると山下に先導されて玄関ホールまで来ると廊下に置かれていたソファに体重を預けた。
「紀夫さん、お待たせしました。」
しばらくして真里がやってきた。
深い江戸紫のイブニングドレスだった。ホルターネックなのは真里の胸が大きいせいであろうか。
まだ高校生という事でアクセサリーもシンプルなゴールドチェーンのネックレスだけだった。
ナイトパーティーの為なのか、化粧がいつもより濃い。それが少女と大人の中間的な艶かしさを醸し出していた。
「どうですか?」
真里は紀夫の目の前でクルリンとゆっくりターンをしてみせる。裾がフワッと浮いて広がる。
「よく似合ってる。」
「エヘヘ…」
真里は歯にはにかむ様に微笑んだ。
「馬子にも衣装だな。」
「な!何ですって!紀夫さん、酷い!」
先程までのはにかみも何処へやら。一気に真里の頬がプーッと膨れた。
紀夫がその様子を見てクククと笑うと真里は腕を組んでプイッと横を向いた。
「お嬢様。車のご用意ができてます。」
山下がそう言ったので真里は仕方なく表情を戻すと紀夫に言った。
「仕方ないですね。紀夫さん、行きましょう。」
真里に促され紀夫もソファから立ち上がった。
玄関で紀夫は用意されていた黒のウイングチップを履いた。
真里もドレスに合わせた薄い紫のフェラガモのパンプスを履いた。
玄関を出ると、いつも紀夫を迎えに来るメル○デスとは違う車が止まっている。
ロール○ロイスのファントムを改造したリムジンカーが二人を待っていた。
「真里?」
「はい、何でしょう。」
「この車もお前のところの持ち物か?」
「ええ、そうですよ。普段使いには不便なので、あまり乗りませんが。」
「宝の持ち腐れかよ。」
「そう言われると身も蓋もありませんね。なんでしたら紀夫さんがお使いになりますか?通勤とかで。」
真里が悪戯っぽい顔をしてフフフと笑う。
「遠慮しとくよ。悪目立ちにも程がある。」
「ま、いずれは紀夫さんの物になるのですし。使い道はじっくりと考えてください。」
ウフッと笑う真里が少し眩しく、紀夫は顔を背けた。
「お嬢様?」
山下が後ろでコホンと咳払いをする。
「山下さんに怒られる前に行きましょう。」
執事が後部ドアを開けると真里が先に乗り込んだ。後から紀夫も乗り込む。
室内は皮張りのロングシートがあり、横になって寝る事もできそうだ。
冷蔵庫も付いている。棚にはシャンパングラスなどが置かれていた。
「いってらっしゃいませ。」
執事がドアを閉めるとリムジンは発進した。窓の外で山下と執事が深々と頭を下げていた。
「なあ、真里。」
「なんですか?」
「金持ちの着替えってさ。メイドが手伝ってくれるものなのか?」
「いえ、普通は自分一人で着替えますよ?あー、山下さんの事ですか?」
「ああ、そうなんだ。彼女が言うには手伝う様に言われたと言っていたが…」
「ええ、言いましたよ。紀夫さん、タキシードとかあまり着ないでしょ?」
「まぁな。縁のない服だ。」
「蝶ネクタイとかご自分で締められます?」
「無理。結び方知らないし。練習すればできる様になるんだろうがな。」
「ですよね。なので山下さんにお願いしてました。」
「ん?ちょっと待て。」
「はい、どうしました?」
「真里が彼女に頼んだのはその程度の事か?」
「はい、そうですよ?」
紀夫は黙ってしまった。真里に言っていいのか、悪いのか…
「どうしました?紀夫さん。」
真里が紀夫の顔を覗き込む。
「夫婦の間で隠し事はダメですよ?」
「だから夫婦じゃ無いって言ってるだろ!」
「来年の今頃は夫婦になってますよ?」
「いやいや、それおかしい。」
「え?今、どこかにお笑い要素ありましたか?」
「そっちの意味じゃねぇよ!」
またこのパターンかよと紀夫は思った。真里がクスクスと笑っている。
「で、山下さんがどうしたんです?」
「ああ、彼女がな…」
紀夫は山下が着替え全てをしてくれた事を話した。それを聞いた真里は頷く。
「紀夫さん。真面目な話をしますね。」
「お…おお。」
「山下さんは紀夫さんに色目を使いましたよ。」
「ん?なんで俺に色目を?」
「考えてみて下さい。佐々倉の家での紀夫さんの今の立ち位置を。」
「俺の立ち位置?」
「ええ、そうです。まだ婚約していませんが紀夫さんは将来、私の夫になる男性、佐々倉の後継候補として使用人達には知らされています。」
「そうだったのか?」
「そうだったのです。そうなるとですね…言いにくいのですが、使用人の中には当然ながら邪な事を考える人も出てくるのです。」
「邪な事?」
「ハッキリ言うと『お妾さん』狙いですね。自らの意思でお手付きになる為に色仕掛けを仕組んでくるということです。」
「マジか〜!」
「山下さんは美人ですし、スタイルもいいです。そんなメイドに迫られたら、紀夫さんはどう感じますか?」
紀夫は返事に困った。あまりにもシチュエーションが今の生活とかけ離れている為に想像ができないからである。
が、紀夫の沈黙に対し真里の受け取り方は違った。
「ダンマリという事は、紀夫さん的に受け入れてしまうという事なんですね。」
「いや、そんな事は絶対に無い!」
「本当ですか?あやしいです。」
真里がジッと紀夫を睨む。紀夫はウッと声を上げてタジタジになった。
「ま、いいです。紀夫さんですしね。ルックスもいいですから女性にモテるのも仕方のない事ですから。私がしっかりガードすれば良い事です。」
真里がブツブツと独り言を言った。
「とにかくですね。私と結婚すると、そう言った事も起こりうるという事だけは覚えておいて下さい。それと、今後は出来るだけ私が紀夫さんのお世話をします!」
真里はふんすっと息を荒げて宣言した。
真里と結婚する男は大変だなぁと紀夫は他人事の様に捉えていた。
お読みいただきありがとうございました。
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昔、ロールスロイスに一度だけ乗せてもらった事があります。
ロールスロイスは車の『走る・曲がる・止まる』の三大要素のうち、『止まる』に関しては最高クラスではないでしょうか。
ブレーキがかかるとグググッと制動が効くんですけど、最後に車が止まりそうになった時、力がスッと抜ける様に車がスーッと動いて止まるんです。
この止まり方はロールスロイスのポリシーらしいんですけど、今のロールスロイスもそうなんでしょうかね。
(`-ω-)y─ 〜oΟ




