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22 皮相浅薄

「会長。それはどういう意味でしょうか?」


 立ち去ろうとしていた貴子が動きを止めた。


「そのままじゃよ。のう、久保田君。」

「俺に振らないでくれませんか。」

「わかりました。後ほど、久保田さんから教えてもらう事にします。」


 貴子は兼吉の後ろを廻って紀夫の背後についた。紀夫の右耳に顔を近づける。貴子の甘い匂いが紀夫の鼻を刺激する。


「もうすぐ帰りの電車が無くなると思うよ。会長は車で帰るから問題無いとして、久保田君はどうする?」

「心配ありがとう。タクシーで帰るから大丈夫だ。」

「私、明日は休みをとってるの。」


 そういうと貴子は紀夫の右手にカードキーを渡した。


「今夜はこのホテルに泊まります。ダブルだから二人で寝ても狭くないよ。来てくれたら嬉しいな。」

「な…何を言ってるんだ。」

「私ね…待っても良いかなって久保田君に訊いたけど…」

「それ、冗談って言ってただろ。」

「そう、冗談。だから前言撤回します。」


 紀夫は首を右に捻った。下手をすれば唇が重なるくらいに、貴子の顔が近かった。


「待ってるね。冗談抜きで。」


 貴子は紀夫に握らせたカードキーを指でトントンとつつく。

 貴子は紀夫から顔を離し、スッと背筋を伸ばした。


「会長。ごちそうさまでした。」


 そう言って踵を返すと貴子はバーラウンジを出ていった。


「香坂さん。おかわりを頼む。」

「畏まりました。」


 兼吉は空になったグラスをテーブルに置いた。兼吉に香坂と呼ばれた初老のバーテンダーは空のグラスを下げた。


「会長。どうして佐伯さんを煽る様な事を言ったのです?」


 紀夫は兼吉に詰問する口調で言った。


「儂はな。君を買っておる。」

「それはどういう事ですか?」

「真里の婿として認めているという事じゃ。」


 真里と婚約しているというのは、あくまでも擬装である。真里が見合いをしたくないと言うので渋々引き受けた事だ。だから、兼吉に認められるとそれはそれで厄介な事なのだった。


「真里の言っていた事。あれは殆どが嘘じゃろ。SNSなどという所で知り合ってはおらんな?」

「はい。その通りです。」


 兼吉は腐っても大企業のオーナー会長だ。紀夫や真里が色々と嘘を重ねても騙される様な輩ではない。紀夫は素直に認めた。


「見合い会場まで行って、やはり納得ができず、たまたま居合わせた君を婚約者に仕立て上げた。子供の考える事など知れておる。巻き込まれた君が気の毒で申し訳ない。」

「そこまでお分かりなら何故、真里の言う嘘を正されなかったので?」

「目じゃよ。」

「目、ですか?」

「ああ、目じゃ。真里の目は恋をしておる。」


 香坂が兼吉の前に琥珀を注いだ新たなタンブラーグラスを置いた。氷の入ってないストレートだった。


「お待たせしました。」


 兼吉はグラスを取り、グイッと一飲みする。


「真里が君の撮った写真を儂らに得意げに見せておったじゃろ。言わせてもらうがお世辞にも特に優れた写真とは言えんかった。」


 紀夫も自分でわかっているが、他人からズバリと言われると少しは傷つく。


「じゃが真理にとっては、素晴らしい写真に見えるんじゃ。恋は盲目とよく言ったものよ。」


 紀夫は黙って兼吉の言う事を聞いていた。


「偶然的に知り合ったが、君の何かが真里の琴線に触れたんじゃろな。いや、もしかしたら真里の第六感が働いたのか。」

「第六感ですか?」

「昔、芸能人が言っておらんかったか?出会ってビビビッと来たとか。あれじゃよ。」


 紀夫はグラスを手にして空になっていた事に気付いた。


「同じものになさいますか?」


 香坂が尋ねた。紀夫が頷こうとした時、兼吉が言った。


「香坂さんはな、凄腕のバーテンダーなんじゃ。十数年前に世界カクテル大会で優勝した事があるんじゃ。」

「凄いですね!」

「過去の栄光でございます。今でも雇われバーテンダーをしている、しがない身です。」

「そこまで謙遜するのは嫌味にしか聞こえん。一言礼を言えば良いであろう。」

「会長のおっしゃる通りですね。大変失礼しました。」


 香坂は紀夫の目を見た。


「お客様のお名前をいただけないでしょうか?私は香坂と申します。」

「久保田。久保田紀夫です。」

「久保田様、お褒めいただき、ありがとうございます。」

「香坂さん。こいつの事、しっかり覚えてくれんか。孫娘の伴侶になる男じゃから。今後、ちょくちょくと現れるかも知れん。」

「承知しました。」


 兼吉はふむと頷いて、何か閃いたようだった。


「そうじゃ、あれを作ってもらってはどうじゃ?」

「あれとはなんですか?」

「香坂さんが優勝した時のオリジナルカクテルじゃよ。」

「それ、良いですね。飲んでみたい。香坂さん、お願いできますか?」

「畏まりました。」


 香坂はカクテルを作る準備を始めた。


「さて、話が逸れてしまったの。君が真里をどう思っているかも、おおよそ検討はつく。あえて言えば、儂としては君に真里の婿になって欲しい。」

「会長もご存知のとおり、俺には吉田楓という恋人がいます。別れる気もありませんので、真里と結婚はできません。」

「儂はかまわんよ。無理して吉田楓と別れる事も無い。要は真里と結婚してくれたら、それで良い。」

「おっしゃる意味がわかりません。それに真里も嫌でしょう。楓という女がいれば。」

「そこは大丈夫じゃ。真里も佐々倉の女じゃ…そのあたりは心得ておる。一夫一妻は理想でしかない事を。だから、せめて夫になる男は真里が心から愛する男であって欲しいと思っておる。」


 真里の夫とは、すなわち次期佐々倉当主である。色々な女が擦り寄ってくるであろう。気心が知れたら一線を超える関係を結ぶ事もあり得る。こうなると、後は真里が如何に正妻力を持てるかに関わってくる。


「会長が俺に言われる事を整理すると、真里を正妻として迎え、楓は妾としておいても良いという事ですね。」

「そういう事じゃ。」

「あ!」


 紀夫は気付いた。兼吉はニヤッと笑った。


「会長が佐伯さんに言った言葉って、そういう事だったんですか?」

「モテる男は大変じゃわい。」


 ワッハッハと兼吉は笑った。が、目は笑っていなかった。


「じゃがな、まだ君の考えている内容では合格点とは言えんな。」

「どういう事でしょうか?」


 兼吉の評価に紀夫は問いかけた。

 真里を正妻とし、楓を妾とする。貴子と関係を結んだとしたら三番目の女となる。これが兼吉の言った事のはずである。貴子と関係を結ぶ必要性は置いておく。


「真里を正妻とする。吉田楓と佐伯貴子は妾という位置付けになるのはわかるの?」

「はい。」

「儂はの。君の中で一番が真里。二番目に吉田楓。三番目に佐伯貴子というのは許せる。おそらく真里も納得してもらえると思う。」

「はぁ…」


 兼吉の言っている事は紀夫の想定した範囲なので、別段驚きはしなかった。


「お待たせしました。」


 香坂が紀夫の前にゾンビグラスを置いた。上は赤く、下に向かってオレンジ色のグラデーションとなり、最後は透明となる視覚的に爽やかな印象のカクテルだった。


「カクテルの名前はなんと言うのですか?」

「『初恋の思い出』と名付けました。」


 紀夫はグラスを持ち、一口飲んだ。


「甘いですね。だがしつこくない。後味がスキッと爽やかで初恋らしいです。」

「久保田様は失恋なされた経験は?」

「ありませんね。付き合っている彼女は初恋の人ですから。」

「では、最後までゆっくりと飲んで下さい。擬似失恋できるかも知れませんよ。」


 香坂は微笑んだ。このスィートなカクテルのどこに失恋の要素があるのか、紀夫は図りかねた。


「さて、先程の順番の話じゃ。」


 紀夫と香坂のやり取りが終わるのを待って、兼吉が続きを話しだした。


「二番目に佐伯貴子。三番目に吉田楓は認められん。真里もそう言うじゃろう。」

「二番も三番も関係無いと思います。会長が言われたとおり、二人とも妾という立ち位置に違いは無いのですから。」


 兼吉は少し考えた。紀夫はカクテルを飲んだ。氷が溶けだして先程より幾分甘さが弱くなっていた。


「話は変わりますが、先日もお話しした事について質問いたします。俺が真里をふるという事について、会長は何も言及されませんでした。どうしてですか?今もこうして真里との結婚を勧められてますよね。」

「むふ。気になるかの?」

「はい。」

「まあ、話しておいても良いか。久保田君、心して聞くのじゃぞ。」


 兼吉は喉を潤す様に一口、琥珀を口に含み飲み込むと低い声で話しだした。


「真里と吉田楓は姉妹なのじゃ。腹違いのな。」

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(`-ω-)y─ 〜oΟ

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