1.8 姉弟
――フラグの回収を確認しました。グランドクエストチャプター1『旧き王の覚醒』がチャプター2『獣の王の脈動』へと進行します。
アシュケルが高校の敷地内に足をつけた時には、すでにその声は風音へと変わっていた。
「ーーーーーーーー」
聞こえたか?
そう口に出そうとしたが、声もでなければ口すら動かない。アシュケル困惑して動きを止めた。
そんな彼に腕の中のカエデが声をかける。
「どうかしたんですか?」
(声が出ないんだ。それに⋯⋯)
「何でもないさ」
「なら良いんですけど」
心配そうな表情を浮かべるカエデにアシュケルは意志とは無関係に笑いかけた。
その事実に、アシュケルの背中を冷汗が伝う。
今までも確かに思考と言動の不一致はあった。
しかしそれは口調や所作が紳士的で傲慢になるだけであって、その意味が根本から異なるものではなかった。
例外はカエデと出会った時の一度だけ。
それでも一応はカエデを救いたいと願い、結果、その通りに体は動いた。
今回のような《《意思をねじ曲げられた》》言動とは根本的に異なる。
試しにもう一度、先ほどの声について話そうとしたが、やはり話すことは出来なかった。
(迷宮に近づいただけでこれだ。もし迷宮が、その主が自身に何らかの影響を与えているのならどうなるかなんて、分かったもんじゃない。それに⋯⋯)
アシュケルはカエデに目を向けた。
彼女は獣に迷宮外で襲われ、命を落としかけた前例もある。
彼女を置いてから出直すべきか?そう考えたその時――
「ウワアアアッァァァァーーーーーー!!!」
――遠くから絹を裂くような悲鳴が響いた。
行くべきか、逃げるべきか、留まるべきか。
一瞬の思考の後――
「カエデ君、悪いが先に行く」
「え、あの、アシュケルさん!」
カエデを地面に下ろすと、アシュケルは駆け出した。
先ほどの声は言っていた。『チャプターが進行した」と。
それが迷宮の主が用意したゲームのストーリーだとしたら?もし自身のの影響でストーリーが進んだとしたら?
――この悲鳴の原因が自分だとしたら?
その思いがアシュケルの足を動かしていた。
∞
「ソウタ君って普通だよね」
その後に続くセリフを佐倉ソウタは知っていた。
「お姉ちゃんはすごいのに」
それがソウタが迷宮学園へ忍び込んだ理由だった。
姉である佐倉サクラと共に転移に巻き込まれてから一年。
姉は才能の種を手に入れ、目覚ましい活躍を見せていた。
一方、ソウタは何も変わらない。
それは彼がまだ小学生であり、サークルのメンバーでありながら学園迷宮に挑めないことが影響していた。
アイテムを手に入れるにはポイントがいる。
まして才能の種などの有用なものは別格というほどのポイントが必要だ。
しかしながら購買部でしか活動を許されていない彼には、それらを買えるほどの稼ぎはない。
姉を含めたサークルメンバーが世間から《《黄金世代》》と持て囃されるようになった頃、幼馴染は先のセリフを毎度口にするようになる。
それはソウマの劣等感の始まりであり、初めての嫉妬でもあった。
ソウマは姉のことが嫌いではない。
だからこそ仄暗い感情の行き場はなく、一年の時を経て『迷宮に忍び込む』という決断をソウマにさせるにいたった。
「ソウタ君、迷宮へようこそ」
重機がはいれそうなほど広い昇降口を抜けると、先を歩いていた星見スバルが振り返った。
同性でも見惚れるような顔に、イタズラをする子供のような笑みを浮かべている。
スバルはソウタが所属している購買部の発起人であり、今回の協力者でもあった。
大仰な彼の仕草に反して、周囲を見回していたソウマはわずかに首を傾げた。
「ここが迷宮⋯⋯なんか思ってたより普通?あのスバルさん。ホントにここに獣がいるんですか?」
「もちろん。まぁただ、この一階部分は探索が終わっていて地図もある。獣の出現場所も決まっているから、迷宮と言えるかは微妙だけどね」
すでに冒険は終わっている。
その事実に、ソウマは握っていた拳に力を込めた。
(まだここからだ。三階への階段は見つかってないんだ)
ソウマは自分に言い聞かせ、湧き出しそうになった仄暗い感情を抑え込んだ。
ほどなくしてソウマはスバルと肩を並べて歩き出す。
それぞれの手にはデザインの違う杖が握られていた。
ソウマのものは風柱、スバルのものは小火の魔法を複数回使用できるものである。
獣は《《群れない》》と聞いていたので、この杖ががあれば十分だと理解していても、ソウマの体は自然と強張った。
「今回はとりあえず一体だけから心配はいらないよ、ソウマ君」
「わ、わかってますよ!」
心情を見抜かれたソウマは気恥ずかしさを感じ、強く言い返した。
と「来たよ」そのタイミングで、ソウマが待ち望んでいた獣が、薄暗い廊下の先から姿を表した。
その獣は鳥のような姿をしていた。
しかし羽毛と呼べるものは一切なく、骨格標本のように見える。
初めて間近で見る獣の姿に――その生命を冒涜するような容姿に、ソウマの背中がゾクリと震えた。
いくら覚悟を決めていても、大したことはないと理解していても、恐怖は自然と湧き上がってくる。
(姉ちゃんはいつもこんなのと戦ってたのか)
普段気楽に過ごしているように見える姉の姿が頭に浮かぶ。
この獣と対峙して、それでもそれまでと変わらず過ごし、笑顔を絶やさない。
それがどれほど困難なことか、この時になってソウマはようやくそれを理解した。
(すげぇよ姉ちゃん)
姉に対する仄暗い感情は薄れ、代わりに湧き上がったのは純粋な憧れだった。
しかしそれでも、ソウマは引くことはせず、一歩前に出た。
(けど、それでも、だ。ナツミにすげーって言われんのは俺がいいんだ)
覚悟を決め笑みをこぼしたソウマに、隣から声がかかる。
「やれるかい?」
「やります!」
ソウマは言うなり、その手に持つ杖を獣へと向け「風柱!」叫んだ。
杖の先から三日月型の緑光が放たれ、一直線に獣へと飛来する。
それを受けた獣は叫びを上げることなく、そのまま床に倒れ伏した。
その巨体が光の粒子に変わるのを確認してから、ソウマの胸の奥に、熱さに似た喜びが広がった。
「やった?やりました?」
「あぁ、おめでとう。これで初討伐だ」
「よし!よっしよっしよっし!」
喜びは叫びに変わり、シンと静まった校舎内へと響き渡る。
一歩、姉に近づいた。
それがたまらなく嬉しかった。
―
――
―――「え?」
しかしその興奮は長くは続かなかった。
何があったのか、それはソウマには分からない。
視界の端で何かが光ったかと思えば、脇腹に衝撃。気づけば床に転がっていた。
痛む脇腹を押さえながら立ち上がると、先ほどまでソウマがいた場所にスバルがいて、彼は新しく現れた鳥の獣と対峙している。
そしてその足元には、月明かりにきらめく赤黒い液体が見て取れた。
「ス⋯⋯スバルさん、それ……なんで……」
それを辿って視線を上げれば、スバルの肩へと辿り着く。そこには大きな傷があり、彼が着ていたシャツが赤黒く染まっていた。
その光景に現実味はなかった。
当然だ。
人が傷つき血が流れる様も、目前に迫る獣も。
創作物の中でしか目にしたことはなかった。
だから脇腹の痛みが現実だと教えていても、ソウマには目前の光景を現実だと認識できない。
まるで夢物語を見ているような感覚に囚われ、ソウマは固まった。その時――
「⋯⋯け」
「⋯⋯ぇ」
「行け!行くんだ!」
スバルの怒声が耳に届く。
ハッと我に返ると、ソウマは躊躇いつつも昇降口へと走り出した。
(なんで、なにが、血が、なぜ、スバルさん、逃げなきゃ、助け……)
言葉にならない内心を抱え、ソウマは駆けた。
その後方から聞こえる激しい戦闘音を背に、駆け続けた。
廊下をかけ、昇降口へとたどり着き、倒れ込むように外に出た。
全身がアスファルトの上に投げ出されたことにも構わず、彼はそのまますぐにポケットに手を入れ、帰還用のアイテムである通行証に触れる。
『帰還しますか?』
「あぁ!」
頭の中に響く声に返すと、一瞬だけ視界が暗転し、すぐに元に戻った。
「帰ってこれた?」
迷宮から現実へ。
帰還したことを理解してもなお、不安にかられたソウマは、迷宮とは違う校舎を確認しようと振り返り「……あ、あ、あ」言葉をなくした。
獣がいた。
《《見慣れた》》校舎を背に、頭部にある赤い瞳で倒れ伏すソウマを見下ろしている。
戸惑い、焦り、恐怖。
それらの感情が堰を切ったように溢れ出した。
「ウワアアアッァァァァーーーーーー!!!」
這うように逃げ出したソウマの耳には、背後から迫る獣の足音が届いていた。
不格好に立ち上がり、足がもつれることも気にせず前へ進む。
そして校舎の角を曲がったその時――何かにぶつかり足を止めた。
「怪我はないか?少年」
その誰かの声にようやく安堵を覚えた。
サークルの誰でもいい。
自分のような役立たずではなく、本物のサークルメンバーであれば、きっとスバルを助けられる。
ソウマは眼の前の人物に助けを求めようと顔を上げ――絶望を見た。
――龍の顔をした化物がそこにいた。
まぁソウマくんはついてません。




