1.9 迷宮の主
――龍の顔をした化物がそこにいた。
獣なのか。それとも別のなにかか。
それは分からない。
ただその表情も、姿も、しわがれた声も。そのどれもが《《化物が化物である》》とソウマに教えていた。
固まる彼に化物の無骨な手が伸びる。
終わりだ。
そう直感し動けずにいるソウマだったが「少し待っていなさい」その声に目を開けた。
化物はまるで獣からソウタを守るように前に出ると、その鱗に覆われた無骨な両手のひらを向かい合わせ――
「風柱」
魔法を放った。
魔法用のアイテムもなしに放たれたそれは、ソウマが先ほど放った風柱とはまるで別物。
数え切れぬほどの巨大な三日月が空中を舞って獣へと殺到する。
またたく間に細切れになった獣は粒子へ変わり、あとには静寂だけが残された。
呆然とするソウマは「ソウマじゃん、なにやってんのよ?」聞き慣れた声に振り返った。
そこにいたのは同じ購買部のメンバーであり、姉の友人である羽根川カエデだった。
「アンタまさか忍び込もうとしたんじゃないでしょうね?」
「は、いや違⋯⋯違わねぇけど、そうじゃなくて」
「知り合いかい?」
いつの間にか傍に来ていた化け物の声に、ソウマはビクリと身を震わせる。
そんな彼の様子とは対照的に、カエデは嬉しそうな笑みを浮かべると、化物の傍へと歩み寄った。
「はい。友達の弟で。一応サークルのメンバーです」
「なるほど」
「か、カエデ姉ちゃん、そいつと知り合いなの?」
「は?そいつじゃないし。私の彼氏」
「え?」
「え?」
何故か化物と言葉がかぶり、思わず視線を向ける。すると互い目が合い、ソウマはそこでようやく理解した。
(悪い人じゃない?なら)
ソウマは考えるのをやめ、直感に従った。
何より優先すべきは、自分を助けてくれたスバルを救うこと。それだけだ。
意を決した彼は、まっすぐな視線を化物へと向けた。
「スバルさんが……」
∞
アシュケルは少年をカエデに託すと、渡された通行証を使用した。
一瞬の暗転後に、眼前の校舎が巨人用と言われても納得が出来る巨大なそれへと変貌していた。
「ここが学園迷宮。なんとも雰囲気があるじゃないか。さて、その王子様は……ふむ、あちらか」
耳を澄ませれば、校舎の中から戦闘音が聞こえている。
「では行くとしよう」
足に力を込め、跳ねた。
弾丸のような速度で移動を始めたアシュケルは、またたく間に昇降口を抜け、廊下を駆け、目的の場所へとたどり着く。
そこには王子様と呼ばれても納得ができるほどの美貌の男子と、一体の鳥のような獣がいた。
前者は血まみれで壁に背中を預けており、後者はその翼を大きく振り被っていた。
ほんの数秒でも遅ければ、スバルと言う男子生徒の命はなかっただろう。
しかしここにはアシュケルがいる。
アシュケルは両者の間にその身を割り込ませると、獣の翼を受け止めた。
まるで金属同士が接触したかのような火花がはじけ、鼓膜が震える。
背後に庇ったスバルの様子は見えないが、アシュケルは意識があるものだと仮定して、口を開いた。
「少し待っていてくれ。すぐに済む」
それだけ告げると、受け止めていた骨格で出来た翼を腕の力だけで跳ね除けた。
獣はよろけ、わずかに後ろへと下がる。
交差する視線、満ちる静寂。
アシュケルはその両手のひらの間に紫電を生み出し、獣はアシュケルを《《迎え入れるように》》大きく翼を広げた。
そしてその静寂を打ち破ったのは、アシュケルの低くしわがれた声だった。
「獣風情がよくもやってくれたではないか。私の前に《《ひれ伏す》》喜びを教えて……」
瞬間、獣は伏せた。
―
――
―――「⋯⋯え?」
獣には敵対する様子もなければ、動く様子もない。
両手のひらの間に発生していた紫電は消え、困惑がアシュケルの口から漏れる。
それからしばらく。
「……立て」
試しにアシュケルが命じると、獣は翼を足のように使い、四足の獣のように立ち上がった。
「座れ」
今度は鉤爪で床に体を固定して、翼は左右の方へ。まるでぶら下がるコウモリのような体勢に。
「回れ」
獣はフィギアスケートのスピンの如く見事に回ってみせた。
「お手は出来るか?」
獣はクチバシを上下に振ると、アシュケルが差し出した手のひらに、翼の先を乗せた。
起用にもアシュケルを気遣ってか、鋭い部分を上に向けて。
「……なにをどうしたらこうなるのだ?」
困惑したアシュケルは、獣を見つめながら立ち尽くした。
獣に友好的な種がいるなんて話は、一切、カエデからは出なかった。
事実として彼女は獣に襲われ死にかけており、背後のスバルや先程助けた少年の例もある。
考えに沈みかけたアシュケルは、背中に軽い衝撃を感じて顔を向けた。
「やっと、やっと会えました」
王子様がアシュケルの背に抱きついていた。
傷だらけだった彼の姿はどこにもなく、服にいたっては血の痕跡すら見当たらない。
加えて、先ほどまで彼と戦っていた獣は、器用に翼の骨格を打ち合わせ拍手をしていた。
その理解不能な状況に、アシュケルはしばらくの間、固まる他なかった。
∞
「改めて自己紹介を」
スバルは指を鳴らした。
するとその姿が霧に包まれる。それが晴れた時、そこにいたのは彼ではなく彼女だった。
「私の名前はシズク、地球の管理者たるご主人様をサポートする人工精霊です」
そう名乗った彼女――シズクは、人とは思えないほどに美しかった。
ちゃらんぽらんなメイドです。




