1.4 堕落の王
「……どこにも、行かないで」
部屋から立ち去ろうとした彼――アシュケルの腕を、ベッドで横になったカエデが掴む。
見れば、その瞳には不安の色が浮かんでいた。
死を意識するような経験をしたのだから無理もない。
そう考えたアシュケルは、できる限り落ち着いた声で語りかけた。
「……どこにも行きやしないさ。私も君に聞かなくてはいけないこともある」
「それじゃここにいてくれますか?」
「申し訳ないが、それは無理だ。私にはやるべきことがある」
彼は一度言葉を区切り――
「文明を取り戻さなくてはいけないのだよ。ゴミ屋敷など知性ある文明人が住む場所ではない」
∞
窓から差し込む朝日が、スープから立ち上る湯気を浮かび上がらせていた。
ダイニングの中央、四人がけのテーブルの上には目玉焼きをはじめとした朝食が並べられている。
そして彼――アシュケルは準備の最後にティーポットを置くと「スケイチ、カエデを起こしてくれるかい?」と傍らにいた不死者に声をかけた。
この不死者は、アシュケルの《《魔法らしき能力》》で呼び出したものだ。
カエデの自宅を掃除すると決めた当初、掃除をする魔法がないかと思い試行錯誤をした結果、呼び出すことに成功した使い魔らしき存在である。
アシュケルの牙から生成されたスケルトンは、それなりに器用らしく、喋ることは出来ないが十二分に役立ってくれた。
ゴミの分別、洗濯機フィルターの掃除、細さを生かした隙間の埃取り。
《《彼女》》がいなければ、非文明的な生活はいまだ続いていただろう。
『スケイチ』と呼ばれた不死者は、アシュケルの頼みに頷くと、すぐにキッチンを出ていく。
それからほどなくして「お、おはようございます!」ここ数日で見慣れた少女――カエデが顔を出した。
すでに制服を着ており、手にはカバン。
今日から登校を再開する予定の彼女は、数日前の騒動など嘘のように、ハツラツとした様子だった。
アシュケルはその姿に思わず笑みを――他者から見れば威嚇にも取れる表情を浮かべる。
「おはよう。では朝食にしようか。今日は洋食にしてみたんだが、良かったかい?」
「はい!アシュケルさんの作るもの全部好きです」
「嬉しいことを言ってくれる」
アシュケルが座ると、自然とその隣にカエデが腰を下ろした。ただしその席に食事はない。
呆れたアシュケルが視線を送った。
「カエデ、食事をするのなら向かいの席に座りなさい。食事だってこちら側には私の分しかないだろう」
「ま、まだう、腕が痛いので食べさせても、も、も、貰えますか?」
恥ずかしそうに顔を赤らめるカエデ。しかしその純粋無垢な幼い表情の奥にある魂胆を、アシュケルは理解していた。
一人暮らしをしていた弊害か、それとも昨日の事件の影響か。
もしくは恋愛感情か。
彼女自身さえ理解していないのかも知れないが、ここ数日、カエデは事ある毎にアシュケルとの触れ合いを求めてきた。
アシュケルとしても、中学生に好かれることに悪い気はしない。
だからある程度の要求には答えていたのだが、それは少しずつエスカレートしていった。
そばにいてほしい。手を握って欲しい。一緒に寝て欲しい。そしてついには食事の介助だ。
(これじゃまるで雛鳥だよ。この調子で学校でやっていけるのかな)
そう思いつつも、ここ数日、共に暮らして湧いた情もある。
シュケルは冷ややかな視線を送りながらも了承した。
「⋯⋯本来は王が給仕を受けるものなのだが、仕方ないな」
「あ、そっちでもいいです!」
「腕はいいのかい?」
「⋯⋯えへ」
はにかんでごまかしたカエデに、アシュケルはため息を返す。
「隣で構わないから自分で食べるんだ。いいね?」
「ハイ!ふふ、やっぱりアシュケルさんは優しいですね」
「そうかい?むしろ傲慢だとは思うがね」
「優しいです。私が知る誰よりも。ねぇアシュケルさん」
ほんの一瞬間を置いて――
「ずっとずっとずっと、そばにいてくださいね。大好きです」
――彼女は微笑んだ。
それは《《記憶がない為に精神的に幼いと自覚している》》アシュケルですら見惚れるような笑みだった。
その笑みを前にして、アシュケルは言葉に詰まる。
彼が記憶を取り戻した時にどう行動するかなんてのは、彼自身にも分からなかった。
自身が見目通り異世界出身だったら?
自身が人類に敵対する存在だったら?
自身の寿命が短い種族であったなら?
すでに現代社会の常識とはかけ離れた姿になっているのだから、そのどれも十分に可能性はある。
そうでなくても、このままとはいかないはずだ。
そう考えて何も言えずにいるアシュケルに、カエデは「わかってます」と声をかけた。
「今だけでいいんです。はい、って言ってください。それで頑張れますから」
「……あぁ、わかった。君のそばにいよう」
「ふふ、やっぱり優しいですよ」
それで満足したのだろう。カエデは食器を自身の席に移動させて「それじゃいただきます」と食事を始めた。
ようやく始まった朝食。
先程までの会話がなかったように、朗らかな雰囲気で食事が進む。
学校での予定、王子と呼ばれる男子生徒、同級生の恋愛事情――カエデが話し、アシュケルが頷く。向かいの席に座っていたスケイチは、アシュケルの抜いた牙を食んでいた。
気づけば食器は空になり、つけていたテレビはカエデの登校時間を知らせる占いが流れ始めている。
「ごちそうさまでした。あ、それと」
立ち上がったカエデは、片手に食器を抱えたまま何気ない動作でアシュケルの脇に立ち、その唇を彼の頬に寄せた。
「私の好きはこっちですからね」
アシュケルが振り返るより早く、彼女はリビングを後にした。
そして彼女が去った廊下からは「やっちゃった、やっちゃった!」と黄色い歓声が聞こえている。
それからしばらく。
放心していたアシュケルは「行ってきます!」カエデの声ではっと我に返ると、ため息と共に頭を抱えた。
「⋯⋯スケイチ、何故、私は中学生とラブコメをしているのだ?どうしてこうなった?吊橋効果か?何故、化け物相手に恋愛感情を抱く?カエデの趣味の悪さなんて予想できるわけ無いだろう……どうしたらいいのだ?」
罪悪感や倫理観が、彼の胸をひどく痛めつけていた。
「一人暮らしの少女の家に転がり込み、彼女の寂しさに漬け込み、生活費すらたかっている。なぁ、スケイチ。私はどうすればいい?」
スケイチに聞けば、彼女は首を横に振った。
その真意はわからないが「呆れました」そう告げているように思えた。
それが更に彼の胸を痛めつける。
このままではいけない。
その焦燥に似た感情が、アシュケルに一つの決意を抱かせた。
「すっかり後回しになっていたが、そろそろ向き合うとしよう。私が誰なのか。あの化け物は?カエデの魔法は?いやスケイチ。この家から逃げ出したくなったわけではない。そうではないのだ。いやな……」
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今回は汚部屋ぁ。の話でした。
次回からは学園にある秘密クラブと、迷宮の話になります。




