1.3 どこここ?
蝉しぐれに起こされると、そこは小川の河川敷だった。
記憶は曖昧で、自分が誰かも分からない。
憶えていることは、一般的な現代常識と、自分が《《人間だった》》と言う曖昧な認識のみ。
しかしその記憶ですら、彼は疑っていた。
(どう見ても人間じゃないし)
河川敷に放置された軽自動車。そのミラーに映る彼の姿は、一言で表せば『怪物』だった。
身の丈二メートルを超えてはいたものの、かろうじて体格だけは人間に似ていた。
が、似ているのはそれだけだ。
顔と四肢は灰色の鱗に覆われており、瞳は紅く、四肢には鋭い爪。着ていた黒いローブの下には、右足に巻き付くように尾が隠れている。
頭頂部からは絹糸のような長髪が生えており、額には鹿のように枝分かれした角が二本確認できた。
もしファンタジー小説で出てくるのなら『龍人』とでも称されるだろう姿だ。
(なんでまたこんな姿に)
「ふむ、なかなか精悍な顔つきじゃないか」
―
――
―――「ん?」(え?)
考えていたことと、実際に口から出た言葉。その二つの不一致に、彼は首を傾げた。
(なんだろ今の?)
「ふむ、不可解だね……」
(まただ)
それから彼は幾度か試してみたが、頭に思い描いた言葉と、口に出る言葉は、一度たりとも一致しなかった。
意味として似ていなくはないが、やはり違う。
(また一つ疑問が増えたわけだ。口調に記憶、それとこの姿。そもそも僕は誰なんだ?)
その疑問に答える者は誰もいない。
彼が途方に暮れかけた――その瞬間、誰かの足音が聞こえた。
慌てて足音から離れて大木の後ろへと身を隠す。
もし自分の常識が正しいのなら、この姿を見られたら碌なことにはならない。
その直感が彼を動かしていた。
――そしてそれは正しかった。
彼が身を隠すのとほぼ同時に、河川敷に一人の少女が駆けてくる。
年の頃、十代前半に見える幼さを残す少女だった。
制服を着ていることから《《中学生》》だろう。
彼女は斜面を下ると、ショートヘアーをなびかせて反転。
彼に背中を向けた。
一呼吸置いて彼女を追うように現れたのは――
(灰色の獣⋯⋯)
――彼の鱗と同じ色をした、四つ足の獣だった。
∞
倒れ伏す少女。迫る獣の群れ。
彼は思わず両者の間に飛び出す。その瞬間――
『管轄外ユニットを確認。プレイヤー保護の為、管理者制限を解除。アバターの自動操縦にて対処を開始します』
――彼の体から自由が消えた。
それからしばらく。
『対象の消滅確認。自動操縦、および管理者権限解除を終了します。お疲れ様でした』
その声と共に体に自由が戻ると、残っていたのは彼と少女の二人だけだった。
(⋯⋯えぇ、なにこれ)
流れに身を任せるしかなかった彼は、困惑のなかにいた。
無双とも言うべき活躍の末、少女を救えたのは彼としても望んでいたことだった。
ただし、だ。
疑問は増え、答えはない。
加えて問題はまだ残っている。
ちらりと少女の視線を送れば、地面伏した彼女の体は満身創痍。放置すればどうなるのか、分かったものではない。
(このまま放置って訳にもいかないだろうし。話を聞きたくもある。魔法少女に灰色の獣。そして自分。繋がりがない、訳はないだろうし。さっきみたいな魔法?とかで助けられ―――――るの?)
魔法を望んだ彼の頭に中に、複数の呪文が浮かぶ。
それらの効果も自然と理解した彼は、その都合が良すぎる状況に疑念を抱きつつ、彼女へと近づいた。
首筋に手を触れると、弱々しいが確かな脈を確認できた。
「意識はあるかい?」
「……あ…ぅ……こ……ろ……さな…ぃ?」
どうやら先程の獣と同様に見られていたらしい。
その事実に内心で苦笑した。
「死にたいのかい?」(そんなことしないよ)
また意志と言葉が食い違う。
ただもう彼は気にしないと決めた。
口調は違えど、大まかな意味は同じことだ。そう自分に言い聞かせる。
「……ぃ…き…たぃ」
「ならそう言えばいい。恩を着せるつもりはないが話を聞きたい。まずは……治すのが先か」
言うなり彼は、魔法らしき呪文を小さくつぶやいた。
途端、彼女に触れていた手が熱を持つ。
しばらくして熱が収まると、彼女の体から傷が綺麗に消えていた。
少なくとも目視できる箇所に傷はない。
「話せる程度には回復させたつもりだが、問題はないかな?」
彼女は小さく頷いた。
「では行こうか」
「運ぼう」
「暴れるな。運びづらいだろう」
彼が話し、彼女が身振りで答える。
短いコミュニケーションの後、彼は彼女を抱えて歩き始めた。
蝉時雨を聞きながら歩く岸辺には、夏を忘れる心地よい風が吹いていた。
いつしか腕の中の彼女から、寝息まで聞こえている。
(やっぱり疲れたよね。じゃ仕方ない)
そこで彼は一度足を止め、頭に浮かんだ呪文をつぶやいた。すると彼女の体を覆うように布が現れる。
それで彼女をくるみ、その《《幼く見える》》寝顔に声をかけた。
「おやすみ」(おやすみ)
目覚めてから初めて一致した意思と言動に、彼は小さく笑い声をこぼした。
記憶は曖昧で、自分が誰かも分からない。
この姿も、魔法も、少女も。
何一つ、答えは見つかっていない。
それでも彼が感じている心地よさだけは確かだった。
穏やかに眠る彼女に倣うと決めると、少女を抱えたまま、河川敷にあった古木に背を預ける。
目を瞑ればまどろみに意識は溶けていった。
『人類を救ってください。どうか、どうか……』
その夢と現の間、彼は誰かの声を聞いた気がした。
∞
そして数日後――
「ずっとずっとずっと、そばにいてくださいね。大好きです」
どうしてこうなった。
よろしくおねがいします。




