1.2 旧き煤の王
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――
―――「王の遺産ではないのか」
誰かの声がした。とても低くしわがれて、けれどどこか優しさを感じる声音。
一瞬、死後の世界に来たのだろうかと考えたが、体はから感じる痛みはそのままだった。
(生きて…る?)
恐る恐る目を開くと、そこには黒壁があった。
(違……う。ひ……と?)
それは黒壁に思えるほど広い背中だった。
先ほどの声からして男だろう。
ローブを被った誰かが、羽根川を守るようにモンスターの前に立ち塞がっていた。
その足元には先ほど飛びかかってきたと思われるモンスターが倒れており、巨体の一部が粒子へと変わり始めている。
そして倒れ伏す羽根川の見つめる先で、彼はまるで親しいものを迎えるように両手を広げた。
「だが、いい。あぁ、それでいい。つまらない世界になったと嘆いていたんだ。それがどうだろう、紛い物の獣と言えどいるじゃないか――」
その言葉を遮るように獣が飛びかかった。
彼の背丈は190を超える。しかしそれより獣は巨体。
羽根川は男が倒れ伏すさまを幻視した。
「――私を持て成す玩具どもが」
しかし結果は真逆。
彼に牙が届く寸前、《《潰れた》》。
まるで見えない巨岩に押しつぶされたように、モンスターの巨体が垂直に地面へとめり込んだ。土煙と轟音が響き渡る。
「故に歓迎しよう。歓喜しよう。教授しよう」
地面と一体化したモンスターを踏みしめ、彼は歩み出た。
同時に残っていたモンスターたちも彼に向かって襲い掛かる。
迫る巨体を前にしても、彼の歩みは止まらない。
その堂々たる様は、まるでステージ上を歩く往年の俳優のように、あるいはどこかの歌手のように、もしくは絵物語で語られる王族のように。
羽根川の目には映っていた。
そして彼が歌うように言葉を紡ぐと――
「私こそが君らが討ち滅ぼすべき絶対であり」
地面から生えた巨大な杭がモンスターの巨体を貫き――
「私こそがこの星始まりの一人であり」
光が瞬くとモンスターの巨体が細切れとなり――
「私こそが最も旧き王である」
激しい轟音とともに炎に包まれた。
そして”誰か”の足が止まった時、まるですべてが夢だったかのように、周囲には蝉時雨と川音だけが響いていた。
それからしばらく、全てのモンスターが粒子へかえると、男は羽根川へと顔を向けた。
瞬間――自然と羽根川の体は強張った。
化物がそこにいた。
黒いローブから覗くその顔は灰色の鱗に覆われ、鋭い眼光は炎のように紅く染まっている。
龍――その言葉が羽根川の頭に浮かんだ。
固まる羽根川に男はゆっくりと近づくと、その長身を屈ませて彼女の首筋に触れた。
固い鱗に覆われた手。それは彼女の細い首を覆うほどの大きさだった。
今度こそ死ぬのかな。そう思った彼女に、男は「意識はあるかい?」声をかけた。
予想していなかった言葉に、一瞬、思考が白く染まる。しかしすぐに我を取り戻して、慌てて口を開いた。
「……あ…ぅ……こ……ろ……さな…ぃ?」
呂律が回らぬ言葉だったが、男には伝わったらしく、彼は小さくため息をこぼした。
「死にたいのか?」
「……ぃ…き…たぃ」
「ならそう言えばいい。恩を着せるつもりはないが話を聞きたい。まずは……治すのが先かな」
直後、首筋に触れる男の手が熱くなった。
触れられた皮膚が熱くなり、その熱は体全体に広がっていく。そして全身に熱が行き渡ると、男の手は離れていった。
「話せる程度には回復させたつもりだが、問題はないかな?」
羽根川は言われて気付く。
苦痛の一切が消えていた。まだうまく体は動かせないが、痛みも無ければ意識も鮮明。視線を巡らせれば、服は汚れているが見える範囲の傷は消えていた。
(治療薬?アビリティ?いや違う)
彼女の知るどんな治療法でもこれほど短時間に、しかも瀕死の状態から回復するなんて馬鹿げた物はない。
技能であれアイテムであれ、だ。
彼はいったい誰なのか?なぜ自分を助けたのか?
次々と浮かぶ疑問。しかしそれに答えが出るより先に、男は一人立ち上がった。
「では行こうか」
それだけ言って、羽根川に背を向けて歩き出した。
今なら逃げられるだろう。きっと男は追ってこない。そう羽根川は直感した。
少なくとも自分へ対する害意はないだろうし、彼が女子高生を町中で追いかけるさまが一切想像できなかった。
薄い根拠でしかないが、直感が正しいにしろ、間違っているにしろ、逃げるなら今しかない。
そう考えても、逃げようという気にはならなかった。
(助けてくれたんだよね。この人)
少なくとも害意はないだろうし、聞きたいこともある。なにより人に与えられた恩に無視を返したくはなかった。
男についていく。そう決めた羽根川は立ち上がろうとするが、まだうまく体が動かず再び地面に倒れこんだ。
何度かそうしていると「すまない、気遣いが足りなかった」男がまた近づいてきた。
「運ぼう」
男はそう言うなり、羽根川を抱き上げた。
まるで赤子のように抱き上げられた羽根川は、とっさに離れようと腕に力を入れるが「暴れるな。運びづらいだろう」と言われ押し黙った。
布越しに感じられる筋肉質の体、ほのかに香るシトラスのような香り、人肌の温かさ。
それは遠い記憶の中にある両親の温もりを連想させた。
途端、羽根川の瞼は次第に重くなっていった。
知り合ったばかりの、それも名前すら知らない怪しい男性に抱きかかえられ、理性が寝てはいけないと叫んでいた。
それでもすでに体力も気力も限界だった。
現実と夢の境界線。
羽根川は何年も忘れていた安堵に包まれ、夢の中へ落ちていった。
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