1.1 羽根川カエデの非日常
「――まもなく一番線に列車が参ります。黄色い線まで……」
アナウンスからほどなくして、電車がホームに到着した。
蝉時雨をかき消すようなメロディーが流れ扉が開く。
その瞬間、冷たい冷気と共に一人の女子高生――羽根川カエデがホームへと駆け降りた。
(なんなの!なんなのよ、アイツ!)
羽根川は心中で叫びながら、まばらな人々を縫うように駆け抜ける。
いくつかの怪訝な視線が彼女に集まるが、気にも留めず前に前に。
改札、駅舎、そして外へ。
炎天下の日差しが肌を焼き、吹き出た汗でシャツが肌に張り付く。ショートヘアーが乱れ、ヘアピンが落ちる。
けれどそのどれも気にも留めずに、必死に走り続けた。
それから数分――人気のない小川の河川敷まで来たところで、ようやく足を止めて振り返った。
「……見間違えだったらよかったんだけど」
羽根川の淡い期待は、視線の先で草花を踏みしめる|異形の姿を目にして消えていった。
それは形だけを見れば狼に似ていた。
しかし表皮は灰色に染まり、まるで磨かれた石のように滑らか。顔には目鼻がなく、鋭い犬歯が覗く口だけが確認できた。そして羽根川が見上げるほどの巨体。
まるで狼を真似て作られた粘土細工のような、生き物とも機械とも判断できない異形。
その異形がじりじりと羽根川へと迫ってきていた。
「モンスターがどうして《《学外》》にいるのよ。他の人には見えないみたいだし」
言いつつ、羽根川は通学カバンから一本の杖を取り出した。
それは複数の苗木が絡み合ったような形をしており、長さは30センチほど。持ち手らしき部分には愛らしいキャラクター柄の布が巻かれていた。
「まぁでも、付き合ってあげるわ。ここなら遠慮は不要だし……ね!」
羽根川は先ほどの杖を右手に持ち、その切っ先を異形――彼女の言うモンスターへと向け「尖塔雷!」叫んだ。
その刹那――青白い雷光が棒の先端から噴き出すように解き放たれた。
それは直線ではなく獣のようにうねりながら、モンスターの鼻先へ突き刺さる。遅れて雷鳴が周囲の空気を震わせた。
直撃を受けたモンスターは揺らめきながら地面に倒れこむ。
雷光によって焼けたのだろう。焦げた匂いが漂い、巨体からはくゆる白煙が昇っていた。
もし相手が生き物であれば、まさしく瀕死といった姿。
しかし羽根川は首を傾げた。
「消えない?死んだふりとか?分からないけど……」
小さく首をかしげながら、倒れたモンスターに向けて再度棒を向けた。
「……用心に越したことないわよね。尖塔雷、尖塔雷、尖塔雷……」
ちょうど十回唱えたところで、羽根川の持っていた棒が砂のように崩れ落ちた。
彼女はため息一つ、額に手を当てる。
「……はぁ、やりすぎたわ。作り直しは大変なんだけど。せめてドロップでもあれば……」
羽根川が倒れ伏すモンスターに近づくと、巨体が次第に光の粒子となって消え始めていた。
十数秒後には影もなく消え去り、雷光が河川敷を焦がした痕跡だけが残る。
それを見つめながら、彼女は大きく息を吐いた。
「……それもなし、と。くたびれ儲けってとこかしら。優等生もたまには学校をサボりたくなるわね」
そう考えつつ吐息を吐き出すと、自然と緊張と共に体の力が抜けた。
”モンスターは群れない”――その経験則も後押しして、立っているのも億劫になり、ゆっくりとその場に腰を下ろした。
川辺は深い草木に覆われており、広い木陰の中は冷たい風が吹いていた。
蝉時雨が耳に心地よく、時折、小川の中で魚のはねる音が聞こえる。
先ほどまでの非日常がなかったかのようなのどかな日常。
その心地よさの中、羽根川はそのまま草を背にして仰向けになった。なってしまった――
「学校には誰かいるだろうし、そこから出たって線はナシ。ってことは他に………ッッッ!!!」
――言い終えるより先に、彼女の体は大きく弾き飛ばされた。
まるで大木に殴られたような衝撃が襲い掛かり体が宙を舞う。地面を幾度か転がりようやく止まった時、横向きになった視界の隅で、それを見た。
先ほどのモンスターと瓜二つのモンスターがそこにいた。
「……な……んで……こん……な……に……」
そしてそれは単体ではない。正確な数は羽根川には見えなかったが、複数の足音が確かに迫ってきていた。
(逃げなきゃ……)
そう考えても、体は悲鳴を上げていた。
力が入らず、視界もかすんでいる。呼吸もまともにできない。
静謐の指輪のおかげで意識は保っているが、予備の杖が入った通学カバンはモンスターの足元。
もしこれが学園迷宮であれば蘇生があるが、ここは学外。
誰も試したことがないため、どうなるかは分からない。
”《《死ねば終わり》》”――久しぶりに思い出す《《当然の結末》》が頭をよぎる。
「…わた…し……まだ……」
不思議と恐怖はなく、その胸の内にあふれたのは悔しさだった。
まだ知りたいことがあった。叶えたい願いがあった、やるべきことがあった。
大学に進学して人並みの知識が欲しい、心の底から誰かに愛してもらいたい、《《姉妹》》で笑いあいたい。
――誰かに必要とされて生きていたい。
それは平凡で、ありふれていて、でも彼女が持っていなかったもの。人によっては最初から持っているかもしれないもの。
だけど羽根川は、そのどれも、何一つ持っていなかった。
才能もなく、幼く見える容姿はコンプレックス、元来の性格も能天気に振舞うことで覆い隠した。
《《自分を認められない自分》》が、誰かに必要とされるわけがない。
その劣等感は、気付けば彼女の胸の奥に根を張っていた。
そんな自分が巡り合った学園迷宮。
そこ迷い込み、同じ人々と秘密クラブを作り、購買部として少しだけ特別な日々を過ごした。
楽しかった、嬉しかった、心が踊った。
もしかしたらその先に、思い描く日々があるかもしれない。胸を張って普通の人間だと言える日が来るかもしれない。
そんな小さな夢を描いていた。
(けっきょ……くはゆ……め……ものがたり……ね……)
モンスターの足音が近づくにつれ、悔しさは次第に諦めに変わっていった。
「ばっか……みたい……」
うまく動かない唇からあふれた想いは蝉時雨に溶けていく。
倒れ伏した羽根川からは、もうモンスターの四つ足しか見えない。
その足についた鋭利な爪が地面をえぐりながら、一歩、また一歩。ついに吐息が聞こえるほどの距離に来て――消えた。
牙を突き立てるために跳ねたのだろう。
それを理解して、羽根川は静かに瞼を閉じた。
早まる鼓動。消えた蝉時雨。引き延ばされる体感時間。
終焉がすぐそこに迫る中、瞼の裏には願い続けた日常を幻視た。
家族がいた。友人たちがいた。皆が笑顔を浮かべいた。
しかし自分が消えれば、それはもう叶わない。それを彼女は《《知っていた》》。
だからだろう。
自然と言葉があふれていた。
「ご……め……んね……」
―
――
―――「王の遺産ではないのか」
誰かの声がした。
応援よろしくおねがいします。




