0.1 幼馴染の作り方(洗脳)
よろしくおねがいします。
「魔女の囁きに答えるともらえるんだって」
「何をよ?」
「前世の記憶」
∞
少年が扉をくぐると、甘い香りが彼を出迎えた。
十二畳ほどの部室。
中央に長机、端にはスチール棚、そして窓際に置かれたソファーには、一人の女子生徒が座っている。
「いらっしゃい。待ってたわよ」
雑誌を読んでいた女子生徒は顔を上げると、少年に対して微笑んで見せた。
女子生徒の美貌に当てられてか、それともこれからのことを想像してか。
少年は自分の顔が熱くなるのを感じた。
そんな少年が面白かったのだろう。
女子生徒はカラカラと笑うと「立ってないでそばにきたら?」と彼に促した。
その言葉に、ほんの一瞬、少年はためらった。
この女子生徒の自己啓発を知ったのは、それほど親しくない知人伝てだ。
その知人はある時を境に、《できる》ようになった。
性格は快活になり、成績も上がり、自身が憧れていた先輩とも付き合い始めた。
その変わりように興味を持って聞いてみれば、紹介されたのがこの女子生徒だった。
冷静になれば、未成年がやっているお遊びの自己啓発であれほど変わるのだろうか?
それこそ美人局と言われたほうがしっくりくる。
それでも彼は一歩部屋の中に踏み出した。
それは好奇心や『自分を変えられるなら』との期待もあったが、何より《《自己啓発の内容》》を聞いていたからだった。
期待と不安がないまぜになったまま、少年は一歩を踏み出した。
そして「隣に来て」女子生徒に促されるまま隣に座ると——
「……大丈夫。怖いことも痛いこともないから。全部まかせて」
——いうなり少年を押し倒して唇を奪った。
室内に響く水音、荒い吐息、窓の外から聞こえる運動部の掛け声——学校の中にあって、そこだけ別世界のような空気が部室を満たしていた。
聞いていた通りの展開に少年の顔が緩んだ——その瞬間、体が大きく跳ねた。
電気ショックを与えられたように体が痙攣を起こし、自然と目が大きく開かれる。
痛みも、苦しみもない。
ただ自分の中の《何かが削られていく感覚》に、自然と身体が動いていた。
しかし逃げることはできない。少女が驚くほど力強く少年をソファーに押さえつけていた。
少年の苦痛を感じさせる叫びが、つながった唇の間から洩れる。
それからどれほどの時間がたったのだろうか。
次第に少年の意識は薄くなり、まるで微睡の中にいるような感覚に包まれていく。痙攣も落ち着き始め、視界が白く染まっていった——
—
——
———「あら、目が覚めた?」
横になっていたソファーから上半身を起こすと、《《幼馴染の女子生徒》》が、雑誌から顔を上げた。
どうやら彼女の膝を枕に寝入っていたらしい。
それに気が付いて、少年は座りなおした。着崩れた制服のよれを直し、手櫛で髪を整える。そして「ごめん」と、幼馴染へと顔を向けた。
「いいわよ、かわいい寝顔が見られたから」
長く片思いをしている幼馴染の言葉に、自然と頬が紅くなった。そんな少年を見て、彼女はクスリと笑みをこぼす。
「でも、そうね。もしお詫びがしたいんだったら一つお願いがあるんだけど」
「遠回しに言わなくても手伝うよ。それで頼みってのは?」
「これを調べてほしいんだけど」
幼馴染は手に持っていた雑誌を彼に差し出した。
それは幼馴染が愛読しているオカルト雑誌であり、宇宙人やら異世界人やら、世界の終末、そう言った夢物語が特集されている娯楽雑誌だった。
開かれたページには『王が死んだ!!』と見出しが躍っている。
「王が死んだ?ってのは……」
「あ、ごめん。そっちじゃなくて……えっと、あ、これ。新人類ってほうね」
幼馴染が開きなおしたページを確認して、少年は小さくため息をついた。
彼女は完璧と言っていい女性だが、たまにこういった眉唾な話に興味を持つ。
その点だけは理解できない。
それでも惚れた弱みを持つ少年は、雑誌を読み込みつつ、彼女の話に耳を傾けた。
「雑誌にはぼかして書かれてるんだけど、たぶんここって貴方が前に住んでた町よね。なら今でも知り合いがいるんじゃない?」
「たぶん連絡はつくと思うけど、小学校以来だしなぁ。期待しないでほしい」
「それで十分。そもそも伝手が何もなかったから、困ってたの。あなたを《《選んで》》本当によかった。お礼は……そうね」
「いいよ、そんなのは」
「それじゃ私の気が……」
「だからさ……」
それから少年は幼馴染と慣れ親しんだじゃれ合いのような会話を続けた。
幼少期から変わらない心地よい時間。
それが終わったのは、下校時刻を知らせる校内放送が流れたその時だった。
「そろそろ帰ろうか」
「ならエスコートを頼めるからしら」
「よろこんで」
冗談を口にしながら、少年は幼馴染の手を取って立ち上がった。
そこでふと空になったソファーが目についた。
なんの変哲もない安物のソファーだ。しかし見つめていると胸がざわつ——
「ねぇ」
幼馴染は言うなり少年の襟首を乱暴につかむと顔を引き寄せ口づけをした。
甘い香りと柔らかな唇の感触。
《《初めての口づけ》》は、ほんの一瞬。
そして唇を話した彼女は「さっきの話、お願いね」と蠱惑的にほほ笑んだ。
先程感じていたざわつきは、その口づけと共に消えていた。
∞
揺れも、光も、音もなく。
予兆なんてものは何もなく。
それは唐突に起こった。
高校の敷地内にいた生徒三十五名、教師一名、小学生一名、外部から訪れていた訪問者一名。
その夏日、彼ら彼女らは、後に『学園迷宮』と呼ばれる迷宮へと迷い込んだ。




