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おっさん、三国志の世界で軍師をやる 〜200回読んだ知識と計略で気づけば英傑が集まっていた〜  作者: ライディーンたけ


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第四話 ─ 銀一両、母への薬


【前回までのあらすじ】

神から授かった三つの能力──『戦盤』『万書の眼』『縁』を持つ、十歳の転生軍師・林徳。北の街・淮陽で関明慶を玄朝の追手から守るため、三国志屈指の名計「空城計」を発動。楓老師ら淮陽の良心五人の協力を得て、関を「楓堂の十年来の小者」として堂々と晒し、追手二人を退かせた。関は林徳に二度目の誓いを立て、淮陽での十日間が始まる──。




十日は、瞬く間に過ぎた。

林徳は、楓堂で、朝から夕まで、働いた。

帳面の整理、薬の仕分け、客の応対、そして、(れい)から薬草の見分け方を、教わった。十歳の体は、最初の三日は、夜になると、泥のように、眠った。だが、四日目から、慣れた。四十年の魂の方が、この体に、少しずつ、馴染んでいった。


「徳坊、これ、何の薬草か、分かる?」


玲が、乾燥した葉を、林徳の前に置いた。

林徳は、葉の形、色、香りを、ゆっくりと、観察した。

『万書の眼』──前世で読んだ書を脳内参照する能力が、薬草図鑑の頁を運んできた。林健一は、母の介護のために、東洋医学の本を、何冊も読んでいた。


「……艾葉(がいよう)、でございますか。よもぎの葉、冷えと、女性のお身体に、効く」


「正解」


玲は、にっこりと、笑った。

その笑顔は、十六、七歳の少女のものだった。賢く、生き生きとしていた。


「徳坊。あなた、本当に、十歳?」


「先ほどから、皆さま、同じ質問を、繰り返されますね」


「……だって、十歳の坊やが、艾葉と当帰(とうき)川芎(せんきゅう)を、一目で言い当てるなんて、聞いたことがないわ」


「……」


「私、八つの頃から、お祖父さまの店で、薬草を覚え始めたわ。九年かかって、ようやく、半分」


玲は、林徳の顔を、じっと、見た。


「あなた、誰なの」


「……ただの、貧しい村の、子供でございます」


「嘘」


「……」


「いいわ。今は、聞かない。──でも、いつか、教えてね」


玲は、また、笑った。

その時、林徳は、頭の中の『戦盤』の上で、玲の駒が、白く、強く、輝いているのを、感じた。──『縁』の能力が、また、静かに、働いていた。



◇ ◇ ◇



十日目の朝、楓老師が、林徳の前に、一包みの薬を、置いた。

慎重に、油紙で、何重にも包まれていた。


春枸(しゅんく)じゃ」


「……」


「煎じ方を、説明する。聞き漏らさず、覚えて、家で、正確に、煎じてくれ」


楓老師は、煎じ方を、丁寧に、説明した。──水の量、火加減、時間、最初の煎じと、二度目の煎じの違い。

林徳は、頭の中の『万書の眼』に、すべてを、記録した。前世で読んだ書を参照するこの能力は、初めて触れた知識を、書のように、頭の中に書き写すこともできた。


「……ありがとうございます。御老師」


「礼は、いい。──ただ、坊や、一つだけ、わしから、餞別じゃ」


楓老師は、もう一つ、小さな包みを、出した。


「これは、母御の薬とは別の、滋養の薬じゃ。母御の体が、薬を受け入れる力を、保つために、合わせて飲ませなさい」


「……御老師、それは」


「銭は、要らん。──坊や、お前さん、いずれ、わしの店に、大きなものを、運んでくると、わしは言うた。あの、約束の手付け、と、思え」


林徳は、深々と、頭を下げた。

四十歳の魂が、十歳の目に、涙を、運んだ。


「……必ず、お返しいたします。御老師」


「うむ。待っておるよ」



◇ ◇ ◇



その日の昼、楓堂の店先で、別れの場面があった。

(ちょう)が、五歳の娘を、連れて来ていた。

娘の名は、(とう)、と言った。

頬は、まだ青ざめていたが、目には、十日前にはなかった光が、宿っていた。楓老師の処方した薬と、毎日の温かい粥が、桃の体を、少しずつ、戻していた。


「徳坊」


趙が、林徳の前に、立った。

元山賊だった大男が、十歳の坊主の前で、ぎこちなく、頭を、下げた。


「俺、徳坊に、礼の言葉を、持っちゃいねえ。──ただ」


「……」


「桃が、生きてる。これだけで、十分だ」


「……」


「徳坊。──いつか、お前さんが、何かを、始める日が、来たら、俺たち四人を、呼んでくれ。淮陽の倉庫業者の所で、いつでも、お前さんの呼びかけを、待ってる」


「趙さま」


「気にすんな。徳坊。──いや、徳殿」


趙は、最後に、そう、呼んだ。

元山賊の頭領が、十歳の少年に、敬称を、使った。


「お前さんを、ただの『徳坊』なんて、呼んじゃ、いられねえ。──また、いつか」


趙は、桃を抱き上げ、楓堂を、去って行った。

桃が、林徳に、手を振っていた。

林徳は、ずっと、見送っていた。



◇ ◇ ◇



玲との別れは、楓堂の裏の、井戸端だった。

玲は、林徳に、小さな包みを、渡した。


「これは?」


「お母さまへの、私からの、贈り物。──艾葉と、紅花(こうか)。お母さまが、お風呂に入る時に、湯に浮かべて。冷えに、効くから」


「……」


「徳坊。あなた、必ず、また、淮陽に、来てね」


「……」


「私、待ってるから」


玲の頬が、わずかに、赤かった。

林徳の中の、四十歳の林健一は、その意味を、痛いほど、知っていた。

だが、十歳の体は、何も、答えなかった。

ただ、深く、頭を、下げた。


「……必ず、戻ります。玲さま」


「玲、でいいわ」


「玲」


「うん」


二人は、しばらく、黙って、井戸端に、立っていた。

風が、井戸の水面を、揺らした。

林徳は、頭の中の『戦盤』の上で、玲の駒に、特別な印を、刻んだ。──白く、強く、温かい印を。



◇ ◇ ◇



淮陽の城門を、出たのは、夕方だった。

林徳と、関明慶。

懐には、母の薬と、楓老師の餞別と、玲からの艾葉。そして、十日働いた対価として、楓老師が「働き分の利息」として持たせてくれた、銀の小粒、三粒。


「主」


関が、街道を歩きながら、静かに、言った。


「あなたは、十日で、淮陽の街に、大きなものを、残されました」


「……何を、ですか」


「五人の老人、楓老師、玲どの、趙どのたち、桃。──全員、あなたを覚えております。あなたが、再び、淮陽を訪れた時、彼らは、必ず、あなたの味方となるでしょう」


「……」


「これが、軍師の、布石、というものでございますか」


林徳は、わずかに、笑った。

苦労人の四十歳の、達観した笑みだった。


「いえ、布石、というほどの、ものでは。──私は、ただ、目の前の、お困りの方々を、助けたかっただけです」


「……主」


「結果として、その方々が、私を、覚えていてくださる。それは、布石ではなく、ご縁、というものではないでしょうか」


関は、しばらく、沈黙した。

そして、静かに、頷いた。


「……縁、ですか」


「左様でございます」


「主。──私は、あなたから、また、一つ、学びました」


二人は、夕日に向かって、街道を、南へ、歩いた。

明国の南、貧しい村へ。

病に伏した、母の元へ。



◇ ◇ ◇



帰路は、三日。

その三日の間、街道には、もう、山賊は、現れなかった。

代わりに、別の、光景が、あった。

二日目の昼、街道の脇で、一人の若い女が、地面に、倒れていた。

二十歳ほど。痩せた頬。だが、衣は、街道の流民とは違う、整ったものだった。粗末ではない、しかし、長旅で、汚れている。


「……関どの」


「主」


「あの方は、流民では、ございません」


「私も、同じことを、思いました」


関の手が、刀の柄に、触れた。

罠の可能性。──だが、戦盤は、別の可能性を、示していた。


(罠なら、こんな下手な仕掛けは、しない。あの女は、本当に、倒れている。だが、ただの旅人でもない)

(衣の質、足の靴の作り、髪の結い方。──士族、または、それに近い身分の、女)

(年齢、二十歳ほど。一人旅。武装、なし。──訳ありの、亡命者、あるいは、追われている者)


林徳は、ゆっくりと、女に、近づいた。


「お加減が、お悪いのでしょうか」


女が、薄く、目を開けた。

白い肌、整った顔立ち。賢そうな目。

その目が、十歳の少年と、その後ろの武人を、見て、わずかに、警戒の色を、宿した。


「……ご心配、ご無用です。少し、休んでいるだけ」


「水を、お持ちです?」


「……」


女は、答えなかった。

林徳は、自分の竹筒の水を、女に、差し出した。

女は、しばらく、ためらった。

そして、ゆっくりと、受け取り、一口、飲んだ。


「……ありがとう。──お礼に、申し上げますわ。私は、危険な者です。あなた方も、関わらない方が、よろしい」


「……」


「立ち去って、ください」


関が、後ろで、息を、呑んだ。

林徳は、戦盤を、瞬時に、回した。──危険、と、自ら、名乗る亡命者。

万書の眼が、ある可能性を、提示した。


(明国の、士族の女。一人旅。「危険な者」と自称。──まさか)


林徳は、女に、丁寧に、尋ねた。


「失礼ながら、お一つ、お尋ねしてもよろしいですか」


「……」


「あなたさまは、明国の方、でいらっしゃいますか」


女の目が、わずかに、揺れた。

その揺れだけで、戦盤は、答えを、確定した。


「……あなたさまは、明国の、宮中から、逃れていらっしゃる、士族の、お方ですね」


女が、息を、呑んだ。

長い沈黙のあと、女は、ゆっくりと、答えた。


「……名前を、明かす気は、ありません。ただ、あなたの、お見立ては、当たっています」


林徳は、深く、息を、吐いた。

まだ、彼は、知らない。

目の前のこの女が、明国の宮中の、ある重大な秘密を、抱えて逃れた、亡国の姫の血を引く者であることを。

そして、彼女との出会いが、林徳の運命を、ただの「母を救う旅」から、明国の命運そのものへと、引きずり込むことを。


夕日が、街道の彼方に、沈もうとしていた。

林徳は、ゆっくりと、女に、手を、差し伸べた。


「お立ちになれますか。──私たちの村は、ここから、半日です。母が、お待ちしております。一夜、私の家で、お休みになりませんか」


女は、しばらく、林徳の差し伸べた、小さな手を、見つめていた。

そして、初めて、わずかに、微笑んだ。




─ 第四話 了 ─


次回、第五話「亡き王の娘」


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