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おっさん、三国志の世界で軍師をやる 〜200回読んだ知識と計略で気づけば英傑が集まっていた〜  作者: ライディーンたけ


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第四十三話 ─ 迎えの者




【前回までのあらすじ】

 第三の印の使者・黎は、村に二十名の疫病人を受け入れる試練を課した。村は、白順の医術、銭弼の組織、武飛と蓮の守り、雪麗の差配で、一人も死なせず村も傾けず、見事に通した。黎は村を「国の新しい形」と認め、林徳が「この時代の人ではない」と見抜く。第三の印の主もまた転生者──林徳は、その確信を胸に、迎えの者を待つことになった。



【主な登場人物】

 林徳りん とく    主人公。十歳

 めい       第三の印の主の腹心。迎えの者

 雪麗せつれい    村の縁を結ぶ結び目役

 武飛ぶ ひ     元近衛。槍の使い手

 関明慶かん めいけい 林徳の最初の家臣

 白順はく じゅん   村の医者

 季雲きうん     もう一人の転生者。玄朝の典礼司



 その者は、夜明けとともに、村の門に立っていた。

 誰も近づくのを見ていなかった。見張り台の蓮も、夜通し起きていた武飛も、その者が街道を歩いてくる姿を一度も捉えなかった。

 ただ夜が明けたら、門の前に立っていた。

 黒い衣。歳は読めない。若いようにも老いているようにも見える。顔立ちは整っているが、表情がまるで動かない。

「冥、と申します」

 その者は静かに名乗った。声に男とも女ともつかぬ響きがあった。

「第三の印の主の迎えの者にございます。軍師どのをお連れに参りました」

 武飛が槍を構えた。関明慶が刀の柄に手をかけた。

 だが冥は、その殺気の中で、まるで石のように、動かなかった。

 林徳は、門の内から進み出た。

 この者は黎とは違う。林徳はそう直感した。黎は観察者だった。だがこの冥という者は──測りに来ている。私という人間を、丸ごと。



  ◇ ◇ ◇



「お連れする、とのことですが」林徳は言った。「私は、まだ行くとは申していません」

「ええ」冥は、うなずいた。「ですから、私はまず、あなたを測ります。連れて行くに値するか否か。値せねば、私は一人で戻ります」

「測る、とは」

「言葉で」冥は言った。「あなたと、いくつか言葉を交わします。それだけで、私は、あなたという人を知ることができます」

 林徳は内心で、身構えた。

 言葉だけで、人を測る。前世で、林徳もそれをやってきた。商談の最初の五分で、相手が信じられる人間か見抜く。世間話のように見せて、相手の本質を引き出す。

 だがそれを、自分が、される側に回るのは、初めてだった。

 しかも、相手は格上だ。

 林徳は、戦盤を使えない。縁も届かない。能力は、何の役にも立たない。

 あるのは、ただ林徳健一として生きた、前世の十六年と。林徳として生きた、この村での日々だけ。

 それで十分だ、と林徳は思った。

 能力で、ここまで来たのではない。人で、ここまで来たのだ。



  ◇ ◇ ◇



「では、一つ目」冥は言った。「あなたは、なぜ村を大きくするのですか」

 試しの問いだった。

 林徳は、即答を避けた。即答は用意してきた答えに聞こえる。それは本心ではないと思われる。

 林徳は、少し間を置いて、答えた。

「最初は、守るためでした」林徳は言った。「一人では、守れないものを、守るために、人を、増やしました。でも今は、違います」

「今は」

「人が増えると嬉しいからです」林徳は言った。「理屈ではありません。村に新しい竈の煙が一筋増える。それを見ると嬉しい。それだけです」

 冥の、動かない表情が、わずかに揺れた。

「……理屈ではない、と」

「ええ」林徳は言った。「立派な理屈を並べる村長を、あなたは信じますか。私なら信じません。人が増えて嬉しい。そんな子供のような理由で村を大きくする男の方が、私は信じられます」

 冥は、しばらく林徳を見た。

 それから二つ目の問いを、放った。



  ◇ ◇ ◇



「では、二つ目」冥の声が低くなった。「あなたは、もし村を守るために、一人を見捨てねばならぬとしたら。どうしますか」

 残酷な問いだった。

 多数を守るために一人を切る。為政者なら当然切るべき場面だ。切れぬ者は為政者の器ではない。冥は、そう答えさせたいのだ。

 林徳は、首を振った。

「見捨てません」

「百人を守るために、一人を切る。それが、できぬと」

「できません」林徳は言った。「私は為政者ではないからです。私は村長です。村長の仕事は、一人も見捨てないために知恵を絞ることです」

「だがどうしても、一人を切らねば、百人が死ぬ時は」

「その時は」林徳は、冥の目を、真っ直ぐに見た。「私が、まだ知恵を、絞りきっていないだけです。一人も切らずに、百人を守る道を、最後まで、探します。探して、探して、それでも見つからぬ時は──」

 林徳は、一度言葉を切った。

「その時は、私が、その一人の隣に立ちます。切るのではなく、共に危地に立つ。それが、私の答えです」

 冥の表情が、初めてはっきりと、動いた。



  ◇ ◇ ◇



 冥は、長いこと、黙っていた。

 その沈黙を、林徳は、静かに受け止めた。

 ここで焦って言葉を足してはいけない。前世で学んだことだった。本当に大事な答えを言った後は黙る。沈黙を、相手に預ける。

 やがて冥が、口を、開いた。

「……あなたは、私が、これまで会った、どの為政者とも、違う」

「ありがとうございます」

「褒めて、いません」冥は言った。「あなたは、甘い。一人も切らぬなど、乱世では、ただの夢物語だ」

「ええ。甘いです」林徳は、うなずいた。「でもその甘さで、村は、ここまで、大きくなりました。甘さが、力になることも、あります」

 冥は、また黙った。

 そしてふいにこれまでとは、違う問いを、放った。

 試しの問いではなかった。冥自身の内側から、漏れた問いだった。

「……あなたは、絶望を、知っていますか」



  ◇ ◇ ◇



 林徳は、その問いに、何かを感じ取った。

 これは、第三の印の主の、問いだ。冥が、主から、託された問い。いや違う。冥自身が、主のことで、ずっと抱えている問いだった。

 林徳は、慎重に答えた。

「知っています」林徳は言った。「前世で、私はずいぶん絶望しました。働いて、働いて、何も報われない。明日も同じ、明後日も同じ。変わらない、変えられない、という絶望を」

「では」冥の声が震えた。「変えられぬと知りながら、なぜ、あなたは動くのですか」

 林徳は、悟った。

 冥が仕える、第三の印の主は──絶望している。何かを、変えられぬと、知りながら、その絶望の中に、いる。そして冥は、その主を、案じている。

「冥殿」林徳は静かに言った。「あなたは、主を恐れているのではない。心配しているのですね」

 冥の、動かなかった表情が崩れた。

 図星だった。



  ◇ ◇ ◇



「……なぜ、それを」冥の声がかすれた。

「あなたの問いが、教えてくれました」林徳は言った。「測りに来た者が、絶望を、問う。それは、あなた自身が、絶望の、そばにいるからです。あなたは、主の絶望を、間近で、見続けている。そして何も、できずに、いる」

 冥は、答えなかった。だがその沈黙が、肯定だった。

 林徳は、村を振り返った。

 雪麗が、いた。武飛が、いた。白順が、桃を、肩車していた。皆が、林徳の戦いを、静かに見守っていた。

 林徳は、一人ではなかった。

 だから林徳は、言えた。

「冥殿。主に、お伝えください」

 林徳の声に、迷いはなかった。

「変えられぬと知っているなら、なおさら、変えられる、と」



  ◇ ◇ ◇



「……どういう、意味です」冥が、訊いた。

「私は前世で、ある物語を二百回読みました」林徳は言った。「結末まで知っています。誰が勝ち、誰が滅び、どんな悲劇が起きるか。全部、知っています」

 冥の目が見開かれた。

「結末を、知っている。それは、絶望の、種です」林徳は言った。「何をしても、結末は、同じだと、思えば、人は、動けなくなる。でも私は、逆に、考えました」

 林徳は、村を指した。

 新しい竈の、煙を。子供たちの、笑い声を。

「結末を知っているなら、その結末を変えるために動ける。どこで何が間違ったかを知っているなら、そこを直せる。知識は、絶望の種にも希望の種にもなる。どちらにするかは、その人次第です」

 冥は、立ち尽くしていた。

「私は、結末を知っているから、変えに来ました」林徳は言った。「絶望するためではない。変えるために、知っているのです」



  ◇ ◇ ◇



 冥は、長い、長い沈黙の後、ゆっくりと頭を下げた。

 迎えの者が、測られる側だったはずの林徳に頭を下げた。

「……あなたを測りに来て、私が測られました」冥は言った。「軍師どの。あなたの言葉、必ず主に、お伝えします」

「お願いします」

「ですが」冥の声が、わずかに翳った。「主が、その言葉で、立ち直るかは、分かりません。主の絶望は、深い。あなたが、思うよりも、ずっと」

「それでもいいのです」林徳は言った。「種を、蒔くのが、私の仕事です。芽を出すかは、主の、心次第。でも蒔かなければ、芽は、決して、出ません」

 冥は、もう一度、頭を下げた。

 そして踵を、返した。

「いずれ、また参ります。今度は、迎えの者として、ではなく」

「では、何として」

「分かりません」冥は言った。「ですが、あなたの村をもう一度見たくなった気がします。それが何を意味するのかは、私にもまだ」

 冥の姿が、朝靄の中に消えていった。

 来た時と、同じように。誰にも、その背を追えなかった。



  ◇ ◇ ◇



 冥が去った後、雪麗が、林徳の隣に来た。

「すごい人でした」雪麗が言った。「徳殿が、言葉だけで、あの方の心を開くなんて」

「能力は、使っていません」林徳は言った。「戦盤も、縁も、何も。ただ言葉と、これまでの経験だけで、向き合いました」

「だからすごいのです」雪麗は、微笑んだ。「徳殿は、能力がなくても、戦える人に、なりました。序章の頃の徳殿は、能力に、頼っていました。でも今は、違います」

 林徳は、その言葉にはっとした。

 言われて、初めて気づいた。

 戦盤を、使わなかった。縁も、使わなかった。今日、林徳は、ただの林徳健一として、格上の相手と、渡り合った。そして相手を、唸らせた。

 強く、なっていた。

 能力ではない。林徳という人間が、強くなっていた。

 村が、林徳を強くしたのだ。守るべき人がいるから引けなかった。後ろに村があるから迷わなかった。

「私を強くしたのは皆です」林徳は言った。「一人だったら、私はあんな風には答えられなかった。後ろに雪麗殿が、武飛殿が、村の皆がいてくれたから、私は絶望を語る相手に希望を返せました」

 雪麗は、何も言わず、ただ隣に、立っていた。



  ◇ ◇ ◇



 玄朝の都。典礼司司の一室。

 季雲のもとに、密かな報せが届いていた。

 冥が、田家村を、訪れた。そして軍師と、言葉を交わし──頭を、下げて、去った、と。

 季雲は、その報せを、にわかには信じられなかった。

 冥。第三の印の主の腹心。心を持たぬと言われた、あの者が。人を測るだけの、道具のようなあの者が。

 その冥が、一人の村長に頭を下げた。

 季雲は、卓の上で指を組んだ。

 林徳という男は、いったいどこまで、人の心を動かすのか。敵の腹心の、心まで。

 季雲は、ふと自分の、胸に、手を当てた。

 最近、季雲は林徳を潰すことを考えなくなっていた。それどころか、林徳のことを考えると、奇妙な、温かいような落ち着かないような感覚が湧く。

 これは何だ。

 歴史学者として、人の心を数字としてしか見てこなかった季雲が。

 その心が、今、自分自身の中で、数字にならない何かに揺れている。

「……あの男は」

 季雲は呟いた。

 窓の外で、玄朝の夜が更けていく。

 林徳という名の種は、いつのまにか、敵である季雲の胸の中にも、静かに根を、張りはじめていた。



─ 第四十三話 了 ─


次回、第四十四話「絶望の主」


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