第四十二話 ─ 見定める者
【前回までのあらすじ】
元近衛の武飛が村に加わり、槍の使い手として守りを厚くした。武飛は近衛時代に聞いた「第三の印」の噂を村にもたらす。皇統の奥に眠る、季雲ですら読めぬ力。それが南の小村に目を向けはじめていた。林徳は、能力の届かぬ敵に、営業仕込みの「手前の人を味方にする」策で備えようとする。そして季雲は、林徳を泳がせ、第三の印の動きを探らせる道を選んだ。
【主な登場人物】
林徳 主人公。十歳
黎 第三の印の使者。村を見定めに来た文官
銭弼 村の組織を設計する元戸部の役人
白順 村の医者
雪麗 村の縁を結ぶ結び目役
武飛 元近衛。槍の使い手
蓮 女猟師。弓の使い手
関明慶 林徳の最初の家臣
桃・杏 村の子供たち
その男は供も連れず、たった一人で街道を歩いてきた。
文官の身なりだった。武器は帯びていない。歳の頃は四十ほど。物腰は静かで、足取りに急ぐ気配がなかった。
門の前で、男は名乗った。
「黎、と申す。さる御方の、使いの者にござる」
さる御方。その言い方に、林徳はぴんと来た。
「第三の印の、御方ですか」
黎の眉が、わずかに動いた。
「ほう。もうその名をご存じか」黎は薄く笑った。「話が早い。左様。私は、あなたがたの村を、見定めに参った」
関明慶の手が刀の柄にかかった。武飛が無言で前に出る。
だが黎は、その殺気を、まるで意に介さなかった。
「ご安心を。私は、戦いに来たのではない。ただ見るために来た。この村が、御方の関心に値するか否か。それだけにござる」
林徳はしばらく、黎を見つめた。
それから、門を開けるよう村人に告げた。
◇ ◇ ◇
「隠さないのか」
黎は村に入ると、意外そうに言った。
「軍師どのなら、私に見せたくないものを、隠すと思うておった。だがあなたは、門を開けた」
「隠せば、隠したぶんだけ、疑われます」林徳は言った。「それに──見られて困る村なら、そもそも、見定めに値しません。どうぞ、隅々まで、ご覧ください」
黎は、ふむ、と顎を撫でた。
林徳は内心で、前世のことを思い出していた。
大口の客が工場を見学に来る時。下手に隠す会社ほど、信用されなかった。本当に強い現場は、ありのままを見せる。見せて、なお信用される。それが地力だった。
「では、軍師どの」黎は言った。「ありのままを見せると言うなら、一つ試させていただこう」
黎は懐から、一通の書を取り出した。
「ここから半日の谷に、疫に倒れた流民の一団がおる。二十名ほど。村を追われ、行き場を失い、谷で死を待っておる」
黎の目が細くなった。
「あの者たちを、三日のうちにこの村へ受け入れてみせよ。ただし、村が傾くようではならぬ。疫を広げず、賊を呼ばず、村人の暮らしを乱さず。それを成せたなら、私はこの村を、見定めに値すると御方に伝えよう」
◇ ◇ ◇
黎が去った集会所で、村の主だった者が車座になった。
林徳、雪麗、銭弼、白順、武飛、蓮、関明慶。
関明慶が、最初に口を開いた。
「無茶な試しだ。疫病人を二十名。下手をすれば、村ごと、病に呑まれる」
「断ることもできます」雪麗が言った。「ですが、断れば村は見定めに落ちます。第三の印の主は、私たちを敵と見なすかもしれません」
「それに」林徳が静かに言った。「谷で、二十人が死を待っている。それは試しである前に、困っている人が二十人いる、ということです」
車座が静まった。
林徳は皆を見回した。
「この村は、困っている人を受け入れて大きくなりました。顧を、流民たちを、白順殿を、杏を。試されているから受け入れるのではない。困っている人がいるから受け入れる。試しは、後からついてくるだけです」
武飛が、ふと笑った。
「……妙な村だと、改めて思う。試しを、試しと思っておらん」
「やりましょう」林徳は言った。「ただし、村が傾かぬように。それには、皆の力がいる。一人ではできません」
車座の皆がうなずいた。
ここからが、村の地力の見せ所だった。
◇ ◇ ◇
まず動いたのは白順だった。
「疫病人を、そのまま村に入れるわけにはいきませぬ」白順は言った。「村の外れに、隔離の小屋を建てます。治る者と、移してよい者を、私が見分けます。疫は、正しく恐れれば防げます。やみくもに恐れるから、広がるのです」
白順は、谷へ向かう支度を始めた。薬籠を背負い、布で口を覆う。
「私が先に谷へ行きます。診てから、運ぶ順を決めます。重い者からではない。移して安全な者から、です」
林徳はうなずいた。
医者にしか、できない判断だった。林徳が采配するのではない。白順が、白順の領分で決める。それでいい。
武飛と蓮が白順に従った。
「谷までの道、賊が出るやもしれん」武飛が言った。「弱った流民は、賊の格好の餌だ。俺と蓮で道を守る」
「私は、高い所から」蓮が、長弓を長弓を手にした。。「谷を見下ろす岩場から、近づく者を見張る。賊が来れば、足を止める」
槍と弓。攻めではなく、守りの連携だった。
◇ ◇ ◇
銭弼は、村に残り、帳面を広げていた。
「二十名が増える。米も寝床も水も、足りるように組み直す」
銭弼の筆が淀みなく動いた。
七十数名の村を回している男だった。二十名の増加を混乱なく吸収する算段を、半刻で立てた。
「隔離の小屋に運ぶ水と食事は、当番から二組を割く。残りの当番は、いつも通り。村の暮らしは乱さない」
林徳は、その帳面を覗き込んだ。
第三十六話で、二人で作った村の仕組みが、今、生きていた。あの時、銭弼は言った。器が同じで中身だけ増えれば、あふれる、と。だから器を、大きくしておいた。仕組みを、先に作っておいた。
その仕込みが今日、効いている。
「銭弼殿」林徳は言った。「あなたの帳面が、村を、傾かせない」
「役人の、ただ一つの取り柄だ」銭弼は、満更でもない顔で言った。
◇ ◇ ◇
雪麗は、村人たちの間を回っていた。
二十名の疫病人を受け入れる。それを村人がどう思うか。不安を放っておけば、不満になる。不満は、村を内から割る。
「皆、不安なのです」雪麗は林徳に言った。「疫が、自分の子にうつるのではないか、と。その不安に答えねば、村は受け入れに反対しはじめます」
「どう、答えますか」
「事実を伝えます」雪麗は言った。「白順殿が隔離する。村には入れない。安全な者だけ、後から迎える。曖昧にせず、一つずつ説いて回ります。人は、分からないものを恐れます。分かれば、恐れは薄れます」
雪麗は、村の女たちの輪に入り、茶を飲みながら話した。柳と、流民あがりの女たちと。一人ずつ不安を聞き、一つずつ答えていった。
夕には、村の空気が変わっていた。
恐れが、受け入れの覚悟に変わっていた。
林徳は思った。
雪麗の戦いは、刀を使わない。だが村を内から割らせない、その戦いこそ、最も難しい戦いだった。
◇ ◇ ◇
三日のうち、一日目。
白順が谷から戻った。二十名のうち、五名はすでに疫を脱していた。残り十五名は、隔離の小屋へ。
武飛と蓮の守る道を、流民たちは一人も欠けず運ばれてきた。途中、賊の影が二度あったが、蓮の矢が近づく前に足を止めた。
二日目。
隔離の小屋で、白順が夜通し病人を診た。杏が、父を手伝った。薬草を運び、湯を沸かす。六歳の娘が、父の隣で、人を生かす手伝いをしていた。
三日目の朝。
十五名のうち、十二名の熱が引いた。残る三名も峠を越えた。一人も、死なせなかった。
そして、村は傾かなかった。
米は足り、水は回り、当番は乱れず、村人の暮らしは、いつも通り続いていた。
二十名が増えても、村は揺らがなかった。
黎が、それをずっと見ていた。
◇ ◇ ◇
三日目の夕。黎が林徳の前に立った。
「見事だ」黎は言った。「正直、驚いた。二十名の疫病人を、三日で一人も死なせず、村も傾けず。これは、軍師どの一人の力ではない」
「ええ」林徳は言った。「私一人では、何も、できません」
「一つ、訊きたい」黎の目が鋭くなった。「軍師どの。もし、お前が今、この場で倒れたら。この村は、どうなる」
車座で問われた、あの問いと、似ていた。だがもっと、核心を突いていた。
林徳は迷わず、答えた。
「回ります」
「ほう」
「私が倒れても、銭弼殿が村を回します。白順殿が病を診ます。武飛殿と蓮殿が村を守ります。雪麗殿が、人の心を結びます。私がいなくても、この村は回ります」
林徳は村を見渡した。
夕餉の支度をする女たち。薪を運ぶ男たち。子供を寝かしつける母親。
「私の仕事は、采配することではありません。一人ひとりが、自分の力で動ける村を作ることです。英雄が一人で回す村は、英雄が倒れたら終わる。でも、皆で回す村は、誰が倒れても続きます」
◇ ◇ ◇
黎は長いこと、黙っていた。
それから、ふいに表情を、緩めた。
「……御方が、なぜ、この村に関心を持たれたか。今、分かった気がする」
「と、言いますと」
「この国の、上の方は」黎は声を低くした。「一人の英雄が、全てを回しておる。皇統も、袁派も、陳派も。頂に立つ一人が倒れれば、全てが崩れる。そういう、危うい国だ」
黎の目が遠くを見た。
「だがこの村は、違う。一人が倒れても、続く。それは──国の、新しい形だ。御方は、それを、見たかったのかもしれぬ」
黎は、林徳に深く頭を下げた。
「軍師どの。あなたの村を、見定めに値すると、御方に伝える。約束しよう」
林徳は頭を下げ返した。
試練を、通った。村の地力が、認められた。
だが黎の、次の一言が、新たな道を、開いた。
「ただし、御方は──それでもなお、あなた自身に、会いたがっておられる」
◇ ◇ ◇
「会いたがっている?」林徳は、訊き返した。
「左様」黎は言った。「村の地力は、見た。だが御方が、本当に見定めたいのは、村ではない。村を、こう作り上げた、あなた自身だ」
黎の声が、わずかに低くなった。
「軍師どの。失礼を承知で、申し上げる。あなたは、この時代の人ではない。そうではないか」
林徳の息が、止まった。
黎は、それ以上、言わなかった。ただ林徳の目を、じっと見た。
「御方も、また、そういう御方だ。私が申せるのは、ここまで。いずれ、迎えの者が参ろう」
黎は、踵を返し、村の門へ、歩き出した。
林徳は、その背を見送った。
胸の中で、確信が固まっていた。
第三の印の主は、転生者だ。自分や季雲と、同じ。この世界を外から知る者。
しかも、その者は、林徳が転生者であることを、すでに見抜いている。
◇ ◇ ◇
その夜、林徳は雪麗にだけ、黎の最後の言葉を伝えた。
「この時代の人ではない、と」雪麗は、静かに言った。「黎殿は、徳殿の、秘密に、触れたのですね」
「ええ」林徳はうなずいた。「第三の印の主は、私と同じ、転生者です。間違いない」
「会いに、行くのですか」
「行くしか、ないでしょう」林徳は言った。「向こうは、私を見抜いている。逃げても、追ってくる。なら、こちらから会いに行く。ただし、丸腰では行きません」
「丸腰では?」
「村という、後ろ盾を持って、行きます」林徳は、微笑んだ。「私は、もう一人ではない。序章で、この時代に放り出された時とは、違います。今の私の後ろには、村があります。皆がいます」
林徳は、北の空を見た。第三の印の主がいる方角を。
会ったこともない、読めない相手。だがもう恐れはなかった。
強くなったのは林徳一人ではない。
村が、皆が、共に強くなっていた。
◇ ◇ ◇
玄朝の都。典礼司司の一室。
季雲のもとに、黎からの短い報せが届いていた。
村は、見定めに値する。軍師は、おそらく、御方と同類──と。
季雲は、その報せを二度読んだ。
御方と、同類。
やはり、第三の印の主は、転生者なのだ。自分と林徳のほかに、もう一人。
季雲は卓に、肘をついた。
これまで、季雲は林徳を、追う側だった。盤の上で、林徳という駒を追い詰める側だった。
だが今は、違う。
季雲もまた、第三の印の主という、より大きな存在に見定められる側に立っている。
追う者が、追われる者に、なっていた。
そして、季雲は、ふと気づいた。
林徳と自分は、今、同じ立場にいる。同じ、より大きな力に見定められる、二人の転生者。
いずれ、自分は林徳と、向き合うことになる。
敵としてか。それとも。
季雲は、その先を、まだ決められなかった。
窓の外で、玄朝の夜が、静かに更けていった。
─ 第四十二話 了 ─
次回、第四十三話「迎えの者」




