第二十九話 ─ 立ち直る時、新たな仲間
【前回までのあらすじ】
夜の田家村、二百名の武装集団による襲撃。三人の男手──徐、陳、張が、村人を守って命を落とした。雪麗は神社に踏み込んだ敵を、形見の銀の簪で討った。だが、表の防御陣が突破され、頭領が神社に入ってきた。「お主の村人の命が惜しいなら」──雪麗は、これ以上誰も死なせまいと、生け捕りに応じた。桃に最後の伝言を残した。「徳殿は必ず私を迎えに来てくださいます」「私は信じています」。林徳が田家村に辿り着いた時、雪麗を乗せた馬車は、すでに北へ──玄朝の領内へと、向かっていた。林徳は初めて本物の敗北を味わった。
【主な登場人物】
林徳 主人公。十歳。中身は四十歳の元法人営業マン
関明慶 主人公の最初の家臣
蓮 北方民の女猟師
銭弼 田家村の指揮官、戸部の元役人
趙 男手の頭、徐と陳の兄貴分
李 徐・陳の盟友
桃 趙の五歳の娘
夏明国王 明国の若き君主
許明 夏明国王の侍読
藤 戸部・尚書補佐
関明徳 関明慶の弟、玄朝近衛から亡命(今回登場)
【前回までのあらすじ】
夜の田家村、二百名の武装集団による襲撃。三人の男手──徐、陳、張が、村人を守って命を落とした。雪麗は神社に踏み込んだ敵を、形見の銀の簪で討った。だが、表の防御陣が突破され、頭領が神社に入ってきた。「お主の村人の命が惜しいなら」──雪麗は、これ以上誰も死なせまいと、生け捕りに応じた。桃に最後の伝言を残した。「徳殿は必ず私を迎えに来てくださいます」「私は信じています」。林徳が田家村に辿り着いた時、雪麗を乗せた馬車は、すでに北へ──玄朝の領内へと、向かっていた。林徳は初めて本物の敗北を味わった。
【主な登場人物】
林徳 主人公。十歳。中身は四十歳の元法人営業マン
関明慶 主人公の最初の家臣
蓮 北方民の女猟師
銭弼 田家村の指揮官、戸部の元役人
趙 男手の頭、徐と陳の兄貴分
李 徐・陳の盟友
桃 趙の五歳の娘
夏明国王 明国の若き君主
許明 夏明国王の侍読
藤 戸部・尚書補佐
関明徳 関明慶の弟、玄朝近衛から亡命(今回登場)
夕暮れの、田家村。
神社の丘の上に、三つの、白い布が、敷かれていた。
徐、陳、張、三人の男手の遺体。
女手たちが丁寧に、清めていた。
村人たちが、丘の上に、集まっていた。
雪麗がいなかった。
その事実を誰もが、痛みと共に噛みしめていた。
林徳は三つの遺体の前に立っていた。
頭を深く垂れていた。
涙は、出なかった。
代わりに、心の中で、深い、空洞が、広がっていた。
「徐おじさま、陳おじさま、張おじさま」
林徳の声は、小さかった。
「村をお守りくださり、ありがとうございました。──私の力が足らずに、皆さまをお守りできませんでした」
趙が横で頭を下げていた。
李が、その後ろで、肩を、震わせていた。
桃が、雪麗の伝言を、抱えたまま、林徳の傍に、立っていた。
五歳の女の子は、もう泣いていなかった。
涙はすべて、神社の中で流し終えていた。
◇ ◇ ◇
日が、完全に、落ちた。
三人の遺体は、村の北の、小さな丘に、葬られた。
簡素な墓標。
石を三つ並べただけ。
だが、村人全員が、その墓標を、訪れた。
最後に、林徳が、墓標の前に、立った。
趙が林徳の隣で低く、口を開いた。
「主」
「趙さま」
「徐、陳、張、三人とも、最期に、笑っておりました」
「……」
「徐は『俺、最後まで兄貴の手下でいられたな』と。陳は『また徐に会えるかな』と。張は『俺、村人になれてよかった』、と」
「……」
「主、三人は、村人として、死にました。山賊や、流民や、反乱兵としてではなく、田家村の、村人として」
林徳の十歳の体が、わずかに揺れた。
四十年の社畜の頭の中で、何かが、ようやく、形を、変え始めていた。
「趙さま」
「はい」
「三人の最期の言葉、ありがとうございます」
「主」
「私は、明日、明都に、戻ります。──そして、雪麗さまを、お救いに、参ります」
趙の目が、ゆっくり見開かれた。
その目に安堵と覚悟が、入り混じった。
「主、ご無事で」
「ありがとうございます、趙さま」
◇ ◇ ◇
その夜、林徳は、自分の家に、戻った。
二月ぶりの自分の、家。
母はすでに眠っていた。
雪麗の寝床は空だった。
布団が、几帳面に、畳まれていた。
雪麗が、最後に、整えたままの、形。
林徳は、その布団の前に、長く、座っていた。
頭の中で、戦盤が、回っていた。
明都への帰路。夏明国王との再会。雪麗救出の作戦。
だが、その下で、別の声が、ずっと、響いていた。
──「俺は、間に合わなかった」。
──「俺は、雪麗さまを、守れなかった」。
──「俺の、能力では、足りなかった」。
四十年の社畜の頭が、ようやく、軋んでいた。
社畜時代、彼は、大きな失敗を、何度も、経験した。
だが、これは、それの比では、なかった。
人の命が係わっていた。
守るべき人を守れなかった。
その、重みが、十歳の体の中で、ゆっくり彼を、押し潰しそうに、なっていた。
(俺は、本当に間違っていなかったのか)
季雲の言葉が、また頭の中に、響いた。
──「あなたはお優しい。ですが、その優しさは、明国を滅ぼします」。
もし、季雲の言う通り、力での粛清を、最初から、受け入れていたら。
──雪麗さまは攫われなかったか。
──徐、陳、張は死なずに済んだか。
林徳は、長く、考えた。
答えは出なかった。
◇ ◇ ◇
夜明け。
林徳は、ほとんど、眠れなかった。
戸口で、小さな、足音が、聞こえた。
戸がゆっくり開いた。
桃だった。
五歳の女の子が、林徳の家に、来ていた。
「とくにいさま」
「桃。──早うございますね」
「うん」
桃は、林徳の前に、座った。
小さな手に、何かを、握っていた。
雪麗が、桃に、贈った、小さな、布の人形。
「とくにいさま、これ」
「桃、それは──」
「ゆきねえさまからもらった、おにんぎょう。──とくにいさまにお渡しして、って」
「桃」
「ゆきねえさまが、言ってた。──『徳殿は、必ず私を、迎えに来てくださる』、って。だから、桃も、信じてる」
林徳の体が止まった。
桃の言葉が、彼の心の、深いところまで、届いた。
四十年の社畜の頭がふと、止まった。
「桃」
「うん」
「あなたは強いですね」
「桃、強いよ。だって桃はゆきねえさまの、おともだちだから」
林徳の十歳の頬を、初めて涙が、伝った。
昨日まで出てこなかった涙。
桃の言葉が、それを、開いた。
五歳の女の子の確信。
大人が、絶望して、止まっている時、子供が、一番、強い。
社畜時代、彼は、客先の難しい局面で、何度も、若手の言葉に、救われた。
──「先輩、いけますよ」。
その、根拠のない、確信。
いま、桃が、まったく同じ言葉を、五歳の口で、彼に、伝えていた。
◇ ◇ ◇
「桃」
「とくにいさま」
「私は、必ず雪麗さまを、迎えに、参ります」
「うん」
「徐おじさま、陳おじさま、張おじさまの、命を、無駄に、しないために」
「うん」
「桃。──あなたの信じてくれる気持ちが私を、立ち上がらせます」
桃が、林徳の腰に、抱きついた。
小さな手が、林徳を、しっかり、抱きしめた。
林徳は、桃の頭を、ゆっくり撫でた。
「桃、ありがとう」
「うん」
その時、林徳の頭の中で、何かが、清らかに、決まった。
戦盤の上で、雪麗の駒が、北の方角に、光っていた。
──玄朝の領内。
戦盤は、半径百歩しか、読めない。
だが、林徳の心が、雪麗を、感じていた。
縁の能力が、彼女の、生を、告げていた。
──「雪麗さまは生きている。──私を待っている」。
◇ ◇ ◇
その朝、神社の丘の上で、林徳は、村人全員の前に、立った。
六十人を超える村人たち。
誰もが、林徳の言葉を、待っていた。
「皆さま」
林徳の声は、深くしっかりしていた。
「徐おじさま、陳おじさま、張おじさまを、お守りできなかった、私の、不徳の、結果でございます。──まず、深くお詫び、申し上げます」
林徳は村人たちに、深く頭を下げた。
村人たちは、誰も、口を、開かなかった。
ただ林徳の言葉を深く聞いていた。
「私は、本日、明都に、戻ります。──そして、夏明国王さまと、力を、合わせて、雪麗さまを、お救いに、参ります」
「主!」
趙が、声を、上げた。
「俺たちもお連れください!」
「趙さま、お気持ち、ありがたく」
林徳は、ゆっくり答えた。
「ですが、村の、再建が、必要でございます。──三人の、男手を失い、村の戦力は、半分に、減りました。残った皆さまで、村を、守り、立て直してください」
「……主」
「銭弼さま」
「はい」
「村の、采配を、お任せいたします。──私が、戻るまで、よろしく、お願いいたします」
「承知いたしました」
◇ ◇ ◇
趙が深く頭を下げた。
「主」
「趙さま」
「徐、陳、張の、仇を、必ず討ってください」
「お約束いたします」
「俺は、村を、守ります。──主が、お戻りになるまで、何があっても、村を、守り抜きます」
「ありがとうございます」
林徳は村人たち一人一人の顔をゆっくり、見渡した。
六十人を超える村人たち。
その中に、いま、雪麗がいなかった。
空席の、重みが、彼の心を、強く、押した。
だがその空席を林徳は、必ず埋める。
心の中でもう一度、誓った。
◇ ◇ ◇
その時、関が、林徳の傍に、立っていた。
馬の手綱を握っていた。
彼の目は、北を、見ていた。
北の方角、はるか玄朝の領内。
関の故郷。
そして、彼の家族がいる場所。
「主」
「関どの」
「明都に、戻る前に、お一つ、お話が、ございます」
「お聞かせください」
「私の、弟、関明徳が、玄朝近衛に、おります」
「左様でいらっしゃいますか」
「父・関子陽の、毒殺の後、私は、明国に、逃げました。ですが、弟は、玄朝に、残りました。──父の、毒殺の、真相を、内側から、追うため」
「……」
「弟は、五年、玄朝に、潜伏しております。──いま、どこに、おるか、私は、知りません」
「関どの、もし、弟さまに、お会いできたら」
「左様でございます。──玄朝の中で、季雲の、動きを、追える、唯一の、私の、血族」
林徳の戦盤が、わずかに回った。
(関どのの弟。──玄朝の中の、私たちの、唯一の、糸口)
(雪麗さまの、救出には、彼の、協力が、不可欠かもしれない)
◇ ◇ ◇
林徳、関、蓮の、三頭の早馬が、田家村を、後にした。
村人たちが、村の入口で、見送った。
桃は、雪麗の人形を、林徳の懐に、入れていた。
「とくにいさま、おまもり」
「桃、ありがとう」
三日の、街道。
夏明国王の名で明都への帰路も、最速の馬の交換が用意されていた。
林徳の十歳の体はまだ、疲れていた。
だが心はもう、揺らがなかった。
雪麗を救う。
雪麗を、迎えに、参る。
それだけが、いま、彼を、生かしていた。
◇ ◇ ◇
明都の宮中。
林徳、関、蓮の、三頭の早馬が、宮中に、辿り着いた。
藤と許明が迎えに来た。
夏明国王が、林徳を、待っていた。
謁見の間。
今度は、玉座に、座っていた。
林徳が、玉座の手前まで、進んだ。
深く頭を下げた。
「夏明国王さま。──御目通り、ありがとうございます」
「林徳どの。──ご無事で何より」
夏明国王の声に、深い、悼みが、あった。
「田家村のこと、藤から、すべて、聞いた。──私の、お招きが、原因で、あなたの、村人を、失わせた」
「夏明国王さま、それは──」
「お詫び申し上げる」
夏明国王が、玉座から、立ち上がった。
君主が、客人の前で、頭を、下げる。
異例のことだった。
「夏明国王さま、お止めください」
「林徳どの。──あなたの、犠牲を、私は、決して、忘れない」
林徳は深く頭を下げた。
戦盤の上で、夏明国王の駒が、また一段、白く、強く、輝いていた。
──彼は本物の君主だった。
──部下の犠牲に、深く心を、痛める君主。
社畜時代、林徳はこういう上司に出会いたかった。
いま彼は十歳の体でその出会いを、果たしていた。
◇ ◇ ◇
「夏明国王さま」
「うむ」
「雪麗さまの、救出に、お力を、お貸しいただきとう、存じます」
「もちろんだ」
夏明国王は深く頷いた。
「雪麗さまの、ご身分、許明から、聞いた。──明国先代王の、姪。あなたの、村に、おられた、亡国の姫。──その方を、玄朝に、人質として、奪われたとは。──明国の、恥でも、ある」
「……」
「私は、明国の、全力を、挙げて、雪麗さまの、救出を、お手伝いする」
「ありがとうございます」
夏明国王が、許明の方を、見た。
「許明」
「はい」
「林徳どのにお引き合わせする」
「承知いたしました」
◇ ◇ ◇
許明が、謁見の間の、奥の扉を、開けた。
そこから、一人の、男が、入ってきた。
二十代半ば。
関明慶とよく似た目元。
武人の体つき。
絹の藍色の衣。
明国の、衛士の、装束。
彼は林徳の前で深く、頭を下げた。
そして、関の方を、見た。
「兄上」
関の体が止まった。
関の目がわずかに、見開かれた。
信じられない、という、表情。
「……明徳?」
「兄上、お久しゅう、ございます」
関明徳。
関明慶の、弟。
玄朝近衛から、亡命してきた、男。
二人の兄弟が、五年ぶりに、明都の宮中で、再会した。
◇ ◇ ◇
関明慶の、目から、涙が、流れた。
武人として二十年。
彼が、人前で、涙を、流すのは、初めてだった。
明徳が、兄の、手を、握った。
「兄上、ご無事で何より」
「明徳、お前」
「兄上、父上の、毒殺の、真相、私は、内側から、すべて、調べ上げました」
「……」
「玄朝の、宦官派閥、袁派の、最高幹部が、命じた、ものでございます。──そして、その袁派が、いま、明都の、季雲と、密接に、繋がっております」
関の目が瞬時に、鋭くなった。
夏明国王が深く頷いた。
「明徳どのは、玄朝近衛として、五年、潜伏してきた。──そして、雪麗さまが、玄朝に、移送される、計画を、いち早く、明国に、伝えてくださった」
「……」
「明徳どののご協力がなければ、私たちは雪麗さまの行き先すら把握できなかった」
林徳は深く頭を下げた。
「関明徳さま。──兄上の弟さま。本当にありがとうございます」
「林徳どの。──兄上がお仕えしているお方。お会いできて、光栄でございます」
◇ ◇ ◇
(関どのの弟さま。──玄朝の深部から来た新しい仲間)
林徳の戦盤が瞬時に、回り始めた。
雪麗の現在位置。
玄朝の領内の、どこか。
関明徳の情報があれば絞り込める。
「関明徳さま」
「はい、林徳どの」
「雪麗さまの現在のご居場所、お分かりになられますか」
「分かりません。──ですが、玄朝の、袁派の、最高幹部の、屋敷。──おそらく、その近く」
「……」
「私の、潜伏先と、雪麗さまの、移送先の、距離は、馬で、二日」
「ありがとうございます」
林徳の戦盤の上で、地図が、ゆっくり組み上がっていた。
玄朝の領内。袁派の屋敷。雪麗のいる場所。
──新しい、計画が、いま、芽生え始めていた。
◇ ◇ ◇
夏明国王が、ゆっくり玉座から、降りた。
林徳、関、関明徳、藤、許明、五人の前に、立った。
「林徳どの」
「夏明国王さま」
「玄朝へ、向かう、ご決意で、いらっしゃるか」
「左様でございます」
「私から、お一つ、お願いが、ございます」
「お聞かせください」
「雪麗さまを、お救いに、なられる時、必ず季雲を、止めてください。──彼女は、明国の、本物の、脅威でいらっしゃる」
「お約束いたします」
林徳は深く頭を下げた。
戦盤の上で、明都と、玄朝の、地図が、はっきりと、組み上がっていた。
──新しい、戦いが、始まろうとしていた。
第四部、玄朝への、道。
その先に、季雲との、最終決戦が、待っていた。
◇ ◇ ◇
まだ林徳は知らない。
雪麗が、玄朝の、移送の、途中で、ある、ことを、密かに、行っていることを。
季雲の手下に、護衛されながら、彼女が、わずかに頭の中で、計算していること。
──「私は宮中で政の駆け引きを二十年見てきた。──彼らの隙を必ず、見つける」。
亡国の姫は、ただの、人質では、なかった。
彼女もまた戦の中に、立つ、本物の戦士に、変わっていた。
明都と玄朝。
二つの場所でそれぞれの戦いが、いま始まろうとしていた。
─ 第二十九話 了 ─
次回、第三十話「玄朝への、道」




