第二十八話 ─ 夜の田家村、雪麗の覚悟
【前回までのあらすじ】
明都から田家村への急行二日目。林徳は街道で「縁」の能力を発動、村の誰かの死を感じ取った。徐──元・山賊の手下、村の男手の一人。趙を庇って、敵の剣を受けた。「俺、最後まで兄貴の手下でいられたな」「俺の分まで生きてくれ。ありがてえ四年だった。山賊から村人になれた四年だった」。本作初の味方の死。神社の丘の上で、桃が雪麗の衣を握って泣いた。そして銭弼は告げた──「敵の本隊百八十名、夜半に村に攻め寄せて参ります」。亡国の姫が、本物の戦士に変わる夜が、始まろうとしていた。
【主な登場人物】
林徳 主人公。十歳。中身は四十歳の元法人営業マン
関明慶 主人公の最初の家臣
蓮 北方民の女猟師
雪麗 亡国の姫、本話で戦士へ覚醒
銭弼 田家村の指揮官
趙 男手の頭、徐の兄貴分
陳・李 徐の盟友(本話で陳が運命を迎える)
張 新参二十六人の一人、元・反乱兵(本話で命を落とす)
桃 趙の五歳の娘
柳 女手の頭の一人
武装集団の頭領 四十代の冷たい目の男
季雲 もう一人の転生者(影として)
田家村、夜半。
月は薄く雲に隠れていた。
神社の丘の上で村人たちが息を潜めていた。
女手、子供、お年寄り、合計三十五名。
雪麗と柳が、その中心で、皆を、まとめていた。
丘の麓の四方の防御陣に、男手二十九名。
徐を、失った後の、村の戦力だった。
銭弼が、丘の上から、夜の街道を、見ていた。
肌で感じた。
敵が、来る。
「皆さま」
銭弼の声が低く丘の上に響いた。
「敵の本隊、まもなく、到着いたします。──火を、消してください。光は、敵に、目標を、与えます」
女手たちが、神社の中の、すべての灯を、消した。
神社の中は、真の闇に、なった。
子供たちが、雪麗の周りに、集まった。
桃が、雪麗の手を、握っていた。
小さな手が震えていた。
「桃」
雪麗が静かに囁いた。
「私の側を離れないで」
「……はい、ゆきねえさま」
◇ ◇ ◇
その時、村の北の街道から、地響きが、聞こえた。
馬の蹄ではない。
大勢の足音。
百八十名の武装集団。
黒い装束。月の薄明かりの中で、影の群れ、にしか、見えなかった。
頭領は、街道の手前で、止まった。
地図を、もう一度、確認した。
「北、五十名。南、五十名。西、四十名。東、四十名。──村の周囲を完全に包囲せよ」
四つの隊がゆっくり動き始めた。
頭領は、北の隊と共に、村に、入った。
彼は知っていた。
目標は丘の上の神社。
雪麗を生け捕り。
そして村人はできるだけ生かして捕らえる。
季雲の指示は明確だった。
彼はその指示を守るつもりだった。
武人として二十年。
彼は規律を重んじる男だった。
◇ ◇ ◇
丘の麓、北の防御陣。
趙、陳、李、新参の二十六人のうち十四名。
計十七名が、北の隊、五十名と、対峙していた。
「陳」
「兄貴」
「敵が、近づいたら、長弓で、止める。──白兵に、なったら、俺たちが、出る」
「分かった」
陳の手は、長弓を、握っていた。
徐の死から半日。
陳の中には、深い、悲しみと、深い、怒りが、入り混じっていた。
徐は、子供の頃から、共に、過ごした、兄弟同然の、男だった。
彼の、仇を、討つ。
それだけがいま、陳を生かしていた。
「来た!」
李が、低く、声を、上げた。
影の群れが、丘の麓に、近づいてきた。
陳が、長弓を、引き絞った。
ぎりっと、弦が、鳴った。
最初の矢が放たれた。
先頭の敵の、胸に、刺さった。
倒れた。
二発目、三発目。
陳の矢は、確実に、敵を、減らしていった。
だが敵の数は多すぎた。
矢が、尽きる前に、敵が、距離を、詰めた。
◇ ◇ ◇
白兵が始まった。
趙が、棒を、振り上げた。
元・山賊の頭領の迫力。
最初の敵の、剣を、棒で払い、足を、すくった。
李も、棒で、応戦した。
新参の十四名も、必死に、戦った。
だが敵の数は十七名対五十名。
徐々に、防御陣が、押された。
その時、敵の中の、一人が、陳に、矢を、放った。
陳は、長弓を、引き直そうとしていた。
その隙に、矢が、陳の胸に、突き刺さった。
「兄貴!」
李の声が響いた。
陳が、ゆっくり地面に、崩れた。
趙が振り返った。
陳の胸に矢が深く刺さっていた。
心臓の近く。
助からない傷。
陳は苦笑した。
「兄貴。──また徐に、会えるかな」
「陳!」
「兄貴。──桃と雪麗さまを守れ。──俺の分まで、生きろ」
陳の頭が、ゆっくり地面に、落ちた。
趙の体が震えた。
二人目。
徐に続いて陳。
四年共に村人として生きてきた、男たち。
二人とも、最期に、同じ言葉を、残した。
──「桃と、雪麗さまを、頼む」。
趙の目から、ようやく、涙が、流れた。
元・山賊の頭領の四十年の人生で初めての、本物の涙だった。
◇ ◇ ◇
「皆!!」
趙の声が、防御陣に、響いた。
「陳の、仇を、討つ! 一人も、丘の上に、入れるな!」
李と、新参の十四名が、声を、合わせた。
白兵が続いた。
趙は、棒を、捨て、陳が、握っていた剣を、拾った。
元・山賊の腕。
彼は、剣も、扱えた。
次の敵の、剣を、宙で、払い、相手の喉を、突いた。
徐と、陳の、仇。
彼の中で何かが爆発していた。
その時、新参の二十六人のうちの一人、張が、声を、上げた。
「銭弼さま!! 西の防御陣、突破されました!!」
趙の心臓が止まった。
西の防御陣が突破された。
西は神社の裏側。
雪麗のいる方角。
「李! 西へ!」
趙の声が響いた。
李と、新参の十名が、西へ、走った。
張も続いた。
その隊が、西の戦況を、立て直すべく、駆けた。
◇ ◇ ◇
神社の中。
雪麗は桃と女手たちと共に、息を潜めていた。
丘の上の神社は村の中心。
四方を、男手が、守っていた。
はずだった。
その時、神社の裏の戸が静かに、開いた。
雪麗の体が瞬時に固まった。
戸の向こうに、敵が、いた。
黒い装束、布で、顔を覆った、武装した、男。
西の防御陣を、突破した、敵の、先遣。
「……雪麗さま」
柳が、低く、囁いた。
「私が子供たちを奥へ。──雪麗さまは戸の前から離れてください」
「いえ、柳さま」
雪麗の声に、震えは、なかった。
「私が戦います」
「雪麗さま、それは──」
「私の手で、敵を、止めます。──桃を、子供たちを、奥へ」
◇ ◇ ◇
雪麗は、ゆっくり立ち上がった。
髪に、刺していた、銀の簪を、抜いた。
亡国の、明国先代王が、姪に、贈った、形見の簪。
長く、鋭い、先端。
武器、では、なかった。
ただの装身具。
だが、いま、それが、彼女の、唯一の、武器だった。
戸の向こうの、敵が、神社の中に、踏み込んだ。
雪麗が、戸の影に、隠れていた。
敵は、雪麗の、姿を、見ていなかった。
敵が、神社の、中央へ、進んだ、その時。
「……」
雪麗が、戸の影から、出た。
敵の、背中に、銀の簪を、突き立てた。
深く首の、付け根に、刺した。
敵の、声が、止まった。
体がゆっくり崩れた。
雪麗の、白い手に、赤い、血が、ついた。
彼女はしばらく動かなかった。
初めて人を、討った、瞬間だった。
◇ ◇ ◇
桃が、雪麗の、傍に、寄ってきた。
「ゆきねえさま、おてが」
「……桃」
「血が」
「大丈夫よ、桃」
雪麗の声は静かだった。
だが、心の中で、何かが、変わっていた。
亡国の姫として宮中で生きてきた二十数年。
いま、彼女は、初めて自分の手で、人を、討った。
守るべき子供たちのために。
守るべき桃のために。
守るべき林徳の村のために。
心の中で、林徳に、もう一度、約束した。
──「あなたさまは、私が、守る」。
その時、神社の、外で、激しい、音が、聞こえた。
李と、新参の十名が、西の防御陣に、駆けつけた音。
戦の続きが始まった。
◇ ◇ ◇
西の防御陣。
李と、新参の十名、計十一名が、西から、突破された、敵の隊、約三十名と、対峙した。
張が、先頭で、戦った。
元・反乱兵としての戦の経験。
彼の、棒は、敵の、剣を、巧みに、捌いた。
だが敵の数は三倍。
徐々に押された。
その時、敵の中から、一人の、剣士が、張に、突っ込んだ。
張の、棒が、敵の剣を、払った。
だが、敵の、二の太刀を、捌けなかった。
張の、腹に、剣が、深く入った。
「張!」
李の、声が、響いた。
張が、地面に、倒れた。
血が流れた。
彼の、顔は、わずかに笑っていた。
「李の兄ちゃん」
「張、しっかりしろ」
「俺、村人に、なれて、よかった。──林徳どのに、ありがとう、と」
張の、目が、閉じた。
息が止まった。
李の、手が、震えた。
三人目。
徐、陳、張。
三人の、男手が、死んだ。
夜の田家村は、いま、本物の、戦場と、化していた。
◇ ◇ ◇
その同じ刻、街道。
林徳、関、蓮の、三頭の早馬は、二日目の、夜を、駆けていた。
夏明国王の名で、すべての宿駅が、最速で、馬を、用意してくれた。
だが、林徳の十歳の体は、もう限界を、超えていた。
馬上で、何度も、意識が、飛びそうに、なった。
関が、横で、林徳の体を、支えていた。
「主、お休みを」
「いえ、関どの。──駆けます」
「主」
「縁の能力が、また発動しています」
林徳の声が震えていた。
「……どなたが」
「分かりません。──ですが、もう一人、亡くなりました。そして、雪麗さまが、戦に、立たれています」
関と蓮が息を呑んだ。
「雪麗さまが、戦に?」
「左様でございます。──私の、縁が、告げています」
林徳の十歳の手が、馬の手綱を、強く、握った。
涙が、頬を、伝った。
四十年の社畜の、心が、軋んでいた。
──「俺は間に合わない」。
その、絶望の中で、彼は、初めて自分の能力の、本当の限界を、味わっていた。
戦盤も万書の眼も距離の前では、無力だった。
◇ ◇ ◇
夜明け前の田家村。
西の防御陣はようやく、立て直された。
張の死。陳の死。徐の死。
三人の、男手を、失った。
だが、神社の、丘は、辛うじて、守られていた。
趙、李、男手二十六名。
計二十九名で、なんとか、敵を、押し返していた。
その時、神社の、奥で、雪麗が、子供たちを、抱えていた。
桃と、四人の、子供たち。
お年寄りたちは、神社の、最奥に、避難していた。
「皆さま、もう少しの辛抱でございます」
雪麗の声は穏やかだった。
だが、その時、神社の、表の戸が、激しく、叩かれた。
雪麗の、心臓が、跳ねた。
「雪麗さま!!」
柳の、声だった。
「敵が、神社の、表に、! 男手の、防御陣が、突破されました!」
雪麗の体が固まった。
神社の表の防御陣が突破された。
趙と、李の、防御陣の、奥が、抜かれた、ということ。
雪麗は立ち上がった。
簪を、もう一度、握った。
「桃、子供たち。──神社の最奥へ。お年寄りたちと共に」
「ゆきねえさま」
「私は、戸の前に、立ちます。──大丈夫」
◇ ◇ ◇
神社の表の戸が開いた。
武装した頭領が入ってきた。
四十代の、男。
冷たい目。
彼は、神社の、中央に、立つ、雪麗を、見た。
「……あなたが、雪麗さま、か」
「左様でございます」
雪麗の声は震えていなかった。
亡国の姫の矜持。
頭領の、目が、わずかに変わった。
彼は、雪麗の、覚悟を、見抜いた。
「お抵抗、なされるな。──我が主のお命じは、生け捕り」
「……」
「お主の村人の命が惜しいならお従いください」
雪麗の、目が、わずかに見開かれた。
頭領の、言葉。
──「お主の、村人の、命が、惜しい、なら」。
すでに三人の、男手が、死んでいた。
これ以上、誰かが、死ぬのは、彼女には、耐えられなかった。
雪麗は、しばらく頭領の顔を、見ていた。
そして、ゆっくり簪を、地面に、置いた。
「……承知しました」
「賢明でいらっしゃる」
頭領が、雪麗の、手を、取った。
冷たい、手だった。
雪麗は抗わなかった。
頭領の、後ろに、四人の、武装した、男たちが、控えていた。
彼らが、雪麗を、囲んだ。
◇ ◇ ◇
桃が、神社の、最奥から、走ってきた。
「ゆきねえさま!」
「桃」
「ゆきねえさま、行かないで!」
雪麗は、しゃがんで、桃の、頭を撫でた。
「桃」
「……」
「徳殿に、お伝えくださいませ。──雪麗は皆さまを守るために参りました、と」
「……」
「桃、強く、生きなさい。徳殿は、必ず私を、迎えに、来てくださいます。それまで、待っていなさい」
桃の、目から、涙が、ぽろぽろと、零れた。
雪麗は、桃の、頬を、両手で、包んだ。
最後に、額に、口づけを、した。
「徳殿に、伝えて。──私は、信じています、と」
「……はい」
頭領が、雪麗を、引いた。
雪麗は、立ち上がり、頭領と共に、神社を、出た。
桃は、神社の中で、ぐっと、握り拳を、作っていた。
涙はこぼれていた。
だが、声は、上げなかった。
五歳の女の子が、亡国の姫の、最後の、覚悟を、受け取っていた。
◇ ◇ ◇
夜明け。
田家村の、外で、頭領が、配下の四つの隊に、撤退を、命じた。
目的は達成された。
雪麗を生け捕りにした。
村人を、皆殺しに、する必要は、なかった。
季雲の指示はそこまでだった。
武装集団は、北の街道を、ゆっくり去っていった。
雪麗を、馬車に、乗せて。
趙、李、男手たちは、丘の麓で、敵を、追えなかった。
徐、陳、張の死。
負傷者は十数名。
男手は、もう戦える状態ではなかった。
雪麗が、連れ去られたことを、知ったのは、敵が、村を、出てから、半刻、経った後だった。
◇ ◇ ◇
その時、街道。
林徳の、縁が、激しく、発動した。
彼は、馬上で、胸を、押さえた。
息が、止まりそうに、なった。
「主!?」
「……関どの」
「いかがされましたか」
「……雪麗さまが」
林徳の声に、初めて絶望が、滲んだ。
「雪麗さまが、奪われました」
「……」
「縁が、告げています。──彼女は、いま、誰かに、連れ去られています」
関と、蓮の、顔色が、瞬時に変わった。
「主、お急ぎを」
「……」
「もう少しでございます。──あと半日」
林徳は深く頷いた。
涙は、もう出なかった。
代わりに深い覚悟が、彼の中で固まっていた。
戦盤も、万書の眼も、人を、信じる力も、雪麗を、守れなかった。
彼は、初めて本物の、敗北を、味わっていた。
◇ ◇ ◇
午後の早い時間、林徳ら三頭の早馬は田家村の入り口に、辿り着いた。
村は静かだった。
いつもの活気はなかった。
神社の丘の上に、村人たちが集まっていた。
趙が林徳を迎えた。
彼の目は赤く腫れていた。
「主」
「趙さま」
「……申し訳ございません」
趙は、深く頭を、地面に、つけた。
「徐、陳、張。三人の男手を失いました。──そして、雪麗さまをお守りできませんでした」
林徳はしばらく、立ち尽くした。
関と蓮も、馬から降りた。
桃が神社から走ってきた。
「とくにいさま!!」
桃の声が、林徳の心を貫いた。
桃が、林徳の腰に抱きついた。
雪麗の伝言を伝えた。
「ゆきねえさま、徳殿にお伝え、と。──『私は信じています』と」
林徳の十歳の体がわずかに、震えた。
四十年の社畜の、心が、ようやく、ゆっくり崩れ始めた。
涙は出なかった。
代わりに彼の心の中である決意が、固まっていた。
(季雲どの)
(あなたを追います)
(雪麗さまを取り戻します)
(私の能力の限界を超えてでも)
◇ ◇ ◇
まだ林徳は、知らない。
雪麗を乗せた馬車が向かう先は、明都ではなく北の玄朝の領内であることを。
季雲が玄朝・袁派と連携した最終の、手。
雪麗を玄朝に人質として引き渡し、林徳を明国から引き剥がす、計画。
林徳の、戦いは、まだ終わっていなかった。
むしろここから本当の戦いが、始まろうとしていた。
徐、陳、張の死。
雪麗の誘拐。
すべては季雲の覚え書き通りだった。
──「彼の最大の武器は人を信じる力。その力を潰すには彼が信じている人を、奪うしかない」。
その通りになっていた。
─ 第二十八話 了 ─
次回、第二十九話「立ち直る時、新たな仲間」




