第二十七話 ─ 街道を、駆ける
【前回までのあらすじ】
明都の改革会議の最中、田家村から急報が届いた。武装集団五十名以上が村に接近。林徳は即座に夏明国王に「離れる」と告げ、最速の早馬三頭で関と蓮と共に出立。同じ刻、田家村の北の山では、玄朝・袁派と真明会の連合二百名が、雪麗を生け捕りにするべく集結を完了していた。銭弼が指揮を執り、籠城戦の準備が始まる。五歳の桃も役目を引き受け、雪麗は心の中で林徳に約束した。──「あなたさまは、私が守る」。明都と田家村の二つの戦が、同時に動き出していた。
【主な登場人物】
林徳 主人公。十歳。中身は四十歳の元法人営業マン
関明慶 主人公の最初の家臣。一騎当千
蓮 北方民の女猟師。半径二百歩の弓
銭弼 田家村の留守番役、初の指揮を執る
趙 元山賊の頭領、男手の頭
徐 趙の元手下、村の男手(今回、運命の岐路)
陳・李 徐の盟友、元・山賊の仲間
雪麗 亡国の姫、戦に立つ覚悟
桃 趙の五歳の娘
柳 雪麗とともに女手を率いる
季雲 もう一人の転生者(影として)
武装集団の頭領 四十代の冷たい目の男
明都から田家村への街道。
午後の光が傾き始めていた。
三頭の早馬が土埃を巻き上げて駆けていた。
林徳、関、蓮。
三人は、ほとんど、口を、利かなかった。
馬の蹄の音だけが、街道を、響いていた。
林徳の十歳の体は馬上で揺れていた。
子供の体は四日の道のりを馬上で駆け続けることに耐えられない。
関が、何度も、林徳を、横目で、見ていた。
「主、お休みを」
「いえ、関どの。──まだ駆けます」
「主、体がもちません」
「もたせます」
林徳の声は低かった。
四十年の社畜の頭が、いま、十歳の体を、強引に、動かしていた。
──「人の命が係わっている時、自分の体は二の次だ」。
社畜時代、彼は客先の急な要請で徹夜で駆けつけたことが何度もあった。
今はその比ではない。
◇ ◇ ◇
田家村、午後。
神社の丘の上に村人たちが集まり始めていた。
雪麗が、柳と、女手たちを、指揮していた。
「食料、水、薬、布。すべて丘の上の神社の中に」
「はい、雪麗さま」
女手たちはすでに走っていた。
田家村の、家々から、必要な物資を、神社へ、運んでいた。
桃は、神社の入口で、お年寄りたちに、座る場所を、案内していた。
五歳の小さな声がお年寄りたちを、落ち着かせていた。
「おばあちゃま、こっち。おじいちゃま、こっち」
お年寄りたちは桃の声にわずかに笑った。
戦の前の緊張の中で、五歳の女の子の声が不思議な温もりを生んでいた。
雪麗は、その光景を、わずかに振り返って、見た。
心の中で深く頷いた。
──「桃。あなたは、本当によくやっている」。
◇ ◇ ◇
その時、村の北、街道の方角から、銭弼が、走ってきた。
顔色は青ざめていた。
「雪麗さま!」
「銭弼さま、いかが」
「敵の先遣隊二十名ほどが、村の北五百歩まで接近しております。──趙さまたちが応戦の配置につきました」
雪麗の心臓が止まった。
すでに敵が、目前まで、来ていた。
林徳が、明都を出てから、まだ半日。
彼の到着まで最速で二日半。
その間、村は自力で持ちこたえねばならない。
「銭弼さま、私はここにおります。──皆さまのご指揮よろしくお願いいたします」
「承知いたしました」
銭弼は深く頭を下げ、走り去った。
雪麗の指が、わずかに震えていた。
亡国の姫として、宮中で、政の駆け引きを、見てきた。
だが本物の戦の経験はなかった。
いま、彼女は、初めて戦の中に、立っていた。
◇ ◇ ◇
村の北。
趙、徐、陳、李、新参の二十六人、計三十名が、街道の手前に、防御陣を、組んでいた。
手には農具を改造した棒と鎌。
長弓は村に二張しかなかった。
それを陳と李が握っていた。
趙は、街道の彼方を、見ていた。
二十名の武装集団が、ゆっくり村に、近づいていた。
黒い装束。顔を、布で、覆っていた。
明らかに訓練された兵。
「徐」
「兄貴」
「先頭の五人を長弓で落とす。残り十五人を白兵で止める。──行けるか」
「やる。──昔の山賊の時よりずっとまし。今は守るべき村と女子供がいる」
趙がわずかに、笑った。
元・山賊の頭領とその手下。
二人は何年も共に危険な橋を渡ってきた、仲だった。
いま、二人は、もう山賊では、なかった。
村を、守る、男だった。
◇ ◇ ◇
長弓が引き絞られた。
ぎりっと、二発、放たれた。
先頭の二人が倒れた。
次の瞬間、敵の十八人が、一斉に、駆け出した。
趙が、棒を、振り上げた。
「来やがれ!」
趙の声が響いた。
元・山賊の頭領の迫力ある、声。
最初の敵が、趙の棒を、剣で、払った。
趙は敵の足を棒の先ですくった。
倒れた敵を、徐が、後ろから、組み伏せた。
陳と李は、長弓を、続けて、引いていた。
敵の数を、徐々に、減らしていた。
──そう見えた、その時。
趙の背後から、別の、敵の剣が、襲ってきた。
趙はそれに気づいていなかった。
戦の興奮の中で、視界が、狭く、なっていた。
◇ ◇ ◇
「兄貴!!」
徐の声が響いた。
徐は、組み伏せていた敵を、放り投げ、趙の前に、飛び込んだ。
趙を突こうとした敵の剣が徐の腹に、突き刺さった。
深く入った。
徐の体がわずかに、止まった。
──「俺、最後まで兄貴の手下でいられたな」。
徐は、にやりと、笑った。
四十年の元・山賊。
最後の最後に、自分の命を、兄貴の盾に、する選択を、した。
趙は振り返った。
徐の腹から、血が、流れていた。
赤い血。
「徐!!!」
趙が、敵の剣を、奪い、その敵を、二の太刀で、倒した。
徐は、ゆっくり地面に、崩れた。
趙が徐の体を、抱き起こした。
「徐! しっかりしろ!」
「兄貴」
「徐」
「俺、もう走れねえ」
「徐、お前は走らなくていい」
徐は笑った。
血が、口から、流れていた。
「兄貴。──桃と雪麗さまを、頼む」
「徐、お前──」
「俺の分まで生きてくれ。──ありがてえ四年だった。山賊から村人になれた、四年だった」
徐の手が、ゆっくり地面に、落ちた。
目は、空を、見ていた。
明るい午後の光。
徐は、最後に、その光を、見て、息を止めた。
◇ ◇ ◇
趙の体が震えていた。
元・山賊の頭領。
数えきれぬ、戦を、見てきた。
だが、自分の手下の死を、これほど、近くで、味わったのは、初めてだった。
徐の体を、ゆっくり地面に、寝かせた。
立ち上がった。
目には、もう涙は、ない。
代わりに、深い、怒りが、宿っていた。
「皆!」
趙の声が、村人たちに、響いた。
「徐の仇を討つ! 一人も村に入れるな!」
陳と、李、新参の二十六人が、声を、合わせた。
戦の続きが始まった。
残りの敵、十二名が、最後まで、戦った。
だが、趙たちの、怒りの前に、一人ずつ、倒れていった。
最終的に敵は全滅。
味方の死者、徐、一名。
味方の負傷、五名。
第一波は撃退した。
だが、まだ本隊、百八十名が、北の山に、残っていた。
◇ ◇ ◇
その同じ刻、街道。
馬上の林徳が、突然、馬の手綱を、引いた。
「主!?」
関と蓮が振り返った。
林徳の顔が青ざめていた。
胸に、手を、当てていた。
「主、いかがされましたか」
「……関どの」
「……」
「誰かが死にました」
「……何を、仰います」
「私の村の誰かが死にました。──いま、たったいま」
林徳の声に確信があった。
戦盤では、ない。
万書の眼でも、ない。
縁の能力。
林徳の、運命に、深く関わる者の死を、彼は、感じ取っていた。
関と蓮の顔色が瞬時に変わった。
「主、誰かお分かりになられますか」
「……分かりません。ですが、村の、戦が、すでに始まっています」
林徳の十歳の手がわずかに、震えていた。
「行きましょう。──もう止まれません」
三頭の早馬は再び走り始めた。
今度はさらに、速く。
◇ ◇ ◇
田家村、夕方。
趙が、徐の遺体を、神社の丘の上に、運んだ。
女手たちが、徐の体を、清めた。
桃が、それを、見ていた。
五歳の女の子が、初めて人の死を、間近で、見た。
涙は、ぽろぽろと、頬を、伝っていた。
声は出なかった。
雪麗が、桃の前に、しゃがんだ。
「桃」
「……ゆきねえさま」
「徐おじさまは村を守ってお亡くなりになりました。──立派なお方でいらっしゃいました」
「……」
「桃、泣いてもよいのです。たくさん泣きなさい。徐おじさまは桃の涙が嬉しいのです」
桃の小さな手が、雪麗の衣を、握った。
ぐっと、握った。
そして、声を、上げて、泣いた。
五歳の女の子の本物の、悲しみの声。
神社の丘の上に、その声が、響いた。
趙、陳、李、新参の二十六人、村人たち、全員が、その声を、聞いた。
誰もが頭を下げた。
徐への最初の、弔いだった。
◇ ◇ ◇
その時、村の北、街道の方角から、銭弼が、走ってきた。
「雪麗さま、ご報告でございます」
「銭弼さま」
「敵の本隊百八十名、夜半に村に攻め寄せて参ります。──第二波でございます」
「分かりました」
雪麗の声に、震えは、なかった。
徐の死が、彼女の中の、何かを、固めていた。
「銭弼さま」
「はい」
「私も、丘の上で、お手伝いいたします。──女手と、子供たちの、士気を、保ちます」
「ありがたく」
銭弼は深く頭を下げた。
四十六歳の戸部の役人。
彼の中で、初めて雪麗が「亡国の姫」ではなく、村の指揮官の一人として、見えた。
◇ ◇ ◇
夜、街道。
林徳、関、蓮は、最初の宿駅に、辿り着いた。
夏明国王の名で、すべての宿駅が、最速で、馬の交換を、行ってくれた。
新しい馬に跨った。
もう林徳の体は、限界に、達していた。
「主、せめてひと刻お休みを」
「いえ、関どの。──駆け続けます」
「主、体が」
「徐おじさまが死にました」
「……主?」
「いま、分かりました。──徐おじさま、です。村人の、誰かが、死んだと、感じた時、私の頭の中で、笑顔が、見えました。徐おじさまの、笑顔でした」
関と蓮が息を呑んだ。
「徐おじさまは私が最初に向き合った悪党の一人でした。──贖罪の労働を引き受けてくれた、最初の村の男手」
「主」
「私が、明都に行く時、徐おじさまは、村の入口で、深く頭を、下げてくれました。──『徳殿、村は、俺たちで、守る』、と」
林徳の十歳の頬を、涙が、伝った。
四十年の社畜の心。
初めて彼の手下が、死んだ。
◇ ◇ ◇
関はしばらく答えなかった。
彼もまた父・関子陽の死を思い出していた。
大切な者を失う痛み。
武人として二十年。
彼はその痛みを誰よりも知っていた。
「主」
「関どの」
「徐どのは立派な武人として亡くなったのです」
「……」
「徐どのの、命を、無駄にせぬよう、私たちは、必ず村に、辿り着きます」
林徳は深く頷いた。
涙を拭いた。
馬上で、もう一度、姿勢を、正した。
四十年の社畜の頭が、最後の力を振り絞っていた。
──「悲しみは後で味わう。今は、駆ける」。
社畜時代、彼は、葬式に出る時間も、惜しんで、客先に、向かったことが、あった。
今はその時の比ではなかった。
「関どの、蓮、参りましょう」
三人の早馬は、夜の街道を、再び、駆け始めた。
月が、薄く、空に、出ていた。
到着まで、あと一日半。
その間に田家村で何人が死ぬのか。
誰も分からなかった。
◇ ◇ ◇
田家村、夜。
神社の丘の上で籠城の準備が整っていた。
二百名の敵の第二波が近づいていた。
趙が、男手の前で、大声を、上げた。
「皆! 徐の仇を討つ! 一人も丘の上に入れるな!」
男手たちが、声を、合わせた。
戦の第二幕が開いた。
夜の田家村は、いま、本物の、戦場に、なっていた。
まだ林徳は、知らない。
その夜、田家村で、さらに、二人の男手が、命を、落とすことを。
そして、雪麗が、初めて自分の手で、敵を、討つことを。
亡国の姫が本物の戦士に変わる夜だった。
─ 第二十七話 了 ─
次回、第二十八話「夜の田家村、雪麗の覚悟」




