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おっさん、三国志の世界で軍師をやる 〜200回読んだ知識と計略で気づけば英傑が集まっていた〜  作者: ライディーンたけ


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第二話 ─ 北の街、薬師の娘

【前回までのあらすじ】

神から三つの能力──戦場の盤面を読む『戦盤(せんばん)』、前世で読んだ書を脳内参照する『万書の(ばんしょのめ)』、運命の人を引き寄せる『(えにし)』──を授かり、明国の南で十歳の少年に転生した林徳(中身は四十歳の元法人営業マン・林健一)。母の薬を求めて街道に出た彼は、五人の山賊と出会うも、刀を抜かずに人徳と頭脳で味方化した。(ちょう)ら四人の元農夫と、訳ありの流れ者「(かん)」を伴い、北の街へ向かう。


北の街、「淮陽わいよう」が見えてきたのは、出発から三日目の昼だった。

城壁は古いが堅牢で、城門の上には色褪せた旗が風に揺れている。林徳の知る前世の街並みでいえば、京都と上海を足して二で割ったような、土と石の混じった東洋の街だ。

城門の前には、入街料を取る兵が二人。


「……まずいな」


趙が、隣で小声で呟いた。


「俺たちには、入街料を払う銭がねえ」


「ご心配なく」


林徳は、懐から銅銭を二枚取り出した。一人一枚。六人分で六枚。母の薬代から逆算した、ぎりぎりの計算だ。

『戦盤』と『万書の眼』──頭の中で戦場を展開し、前世で読んだ書を参照する二つの能力は、移動中も休まず働いていた。明国の貨幣価値、淮陽の物価、薬草の相場、人足の日当──すべて、関や趙との会話の断片から推定し直していた。営業の見積もり感覚は、異世界でも生きていた。


「四人さまは、私の小者ということで通します。私一人の入街料で、お通しいただけることがあるそうです」


「……お前さん、そんなことまで」


「商家のせがれであれば、それくらいは。私の家は、没落しても士族でございますので」


関だけが、横で、わずかに笑っていた。あの男は、林徳の所作の一つ一つに、何かを読み取っているようだった。



◇ ◇ ◇



城門の兵は、案の定、林徳を一目見て、商家の坊ちゃんだと判断した。

育ちのよい言葉遣い、汚れているが擦り切れていない衣、礼儀正しい所作。それらが、十歳の体格と合わさって、「貧しい主家の使い」という説明を、自然に成立させた。

兵が、銅銭二枚を受け取り、関たち四人を「下働き」として通した。


「……信じられねえな」


城壁の中へ入ってから、趙が、また呟いた。


「お前さん、本当に何者だよ、徳坊」


「貧しい村の、ただの子供でございます」


「嘘つけ」


林徳は、ただ、笑った。

城門をくぐった瞬間から、『戦盤』と『万書の眼』は、淮陽の街そのものを読み始めていた。戦場の盤面を読む能力は、こうして街の経済の盤面を読むのにも転用できる──四十年生きた林健一の頭が、神から授かった能力を、貪欲に応用していた。


(人通りは多い。だが、半数は流民だ。市場の物価が、表示価格と取引価格で乖離している。米が、表向きは公定価格だが、実際には三倍で取引されている。──買い占めが起きている)

(兵の姿が、街の北側に集中している。南は手薄。北に何かある。役所か、税の徴収場か)

(子供の物乞いが多い。前世のニュースで見たどこかの紛争地域に近い。明国は、見た目より、ずっと末期に近い)


(……これが、後漢末か)


林徳は、ふと、悲しくなった。

歴史で知っていた光景は、文字の上では「黄巾の乱前夜」だが、生身の人間が立つと、これほどまでに、重い。


関が、横で、低く言った。


「徳殿。──いま、何を見ている」


徳殿、と呼ばれた。

関は、もう「坊や」とは呼ばなかった。趙たちの前では距離を保ちつつ、二人になると敬称を使い始めていた。


「……街の、つくりを、見ております」


「ふむ」


「関さま。一つ、お尋ねしてもよろしいですか」


「何だ」


「北の方角に、役所が、ございますか」


関の眉が、わずかに動いた。


「……何故、わかった」


「兵の配置が、偏っております。守るべきものが、北にあるのだと」


関は、しばらく沈黙したあと、静かに言った。


「徳殿。今宵、宿で、私の話を、聞いていただきたい」


「承知いたしました」



◇ ◇ ◇



市場の片隅に、薬師の店があった。

楓堂ふうどう」と書かれた、墨字の古びた看板。引き戸の前には、乾いた薬草が無造作に積まれている。前世の感覚でいえば、町中の、地元密着型の漢方薬局、といった構えだった。

『戦盤』が、この店を選んだ。

通りに面した派手な大店おおだなではなく、奥まった所にひっそりと構えるこの店。『万書の眼』が、過去に読んだ商売の本の一節を運んできた──「目立たぬ店ほど、本物が多い」。

引き戸を開けると、薬草の濃厚な匂いが、押し寄せた。

店内には、棚に並んだ無数の薬の包み、天井から吊られた乾燥薬草、奥の卓では、白髪の老人が薬研やげんを回していた。

その横で、若い娘が、ひとり、帳面に何かを書き込んでいた。


「ごめんください」


林徳が、丁寧に声をかけた。

娘が、顔を上げた。

十六、七歳。動きやすい紺の衣、黒髪を後ろで一つに束ねている。色白で、目が大きい。賢そうな目だ。


「いらっしゃいませ。──あら、お一人?」


娘は、林徳の小さな姿を見て、わずかに眉を寄せた。


「母の薬を、お願いに参りました。母は明国の南、私の村にて、伏せっております」


「お母さまが」


「症状を、お伝えします。──冬を越えるたびに、頬がこけ、息が浅くなります。咳は、出ません。ただ、力が、抜けてゆくのです。三年、変わらず、徐々に悪く」


林徳は、母の症状を、できるだけ正確に、丁寧に伝えた。

前世で母を病で看取った経験、そして『万書の眼』が引っ張ってきた東洋医学の知識が、自然に言葉に乗った。


「……それは」


娘の表情が、変わった。

奥の老人が、薬研を回す手を止めた。

白髪の老薬師が、立ち上がり、ゆっくりと、林徳の前に来た。


「坊や。──いまの説明、誰から教わった」


「教わってはおりません。母を、見て、感じたことを、申し上げただけです」


「……ふむ」


老薬師は、林徳の目を、じっと見た。

その目に、奇妙な、深い驚きが浮かんでいた。


「お前さん、いくつだ」


「十歳でございます」


「十歳の口から、出る言葉ではない」


林徳は、答えなかった。

関が、入口から、その様子をじっと見ていた。



◇ ◇ ◇



老薬師は、ふうと名乗った。淮陽で薬師を四十年。

娘は、れい。楓の孫だった。

楓が、母の病を、いくつかの問いで絞り込み、ある薬草の名を告げた。


春枸しゅんく、と申す」


「……春枸」


「明国の南では、まず手に入らぬ。淮陽でも、扱う店は、わしの所くらいだろう。年に、三月だけ採れる、希少な薬草でな」


「お値段は」


「銀、一両」


林徳の手元には、銅銭が二十八枚。母の家の全財産で、銀一両には、まるで届かない。

『戦盤』の上で、いくつもの選択肢が瞬時に展開した。──頭を下げて分割払いを乞う、別の薬で代用する、薬師の店で働かせてもらって対価とする、関に頼んで一時的に借りる、北の街で他に金策を考える……。


(だが、何より優先すべきは)


林徳は、深々と、頭を下げた。


「申し訳ございません。今、銀一両は、お支払いできません」


「ふむ」


「ただ、母には、その薬が必要だと、御老師のお見立てを、信じます。──ご相談がございます。私を、この店で、働かせていただけませんか」


楓が、わずかに眉を上げた。


「……働く?」


「私にできることは、限られております。ですが、帳面、計算、薬の仕分け、客への応対──十のうち、いくつかは、お役に立てるかと存じます。一月、ここで働かせていただき、その対価で、薬代の半分を、お支払いいたします。残り半分は、村に戻ったあと、必ず、お送りいたします」


「……」


「もし、それでも、御老師がご心配でしたら、私の村の所在、家の名、すべてお伝え申し上げます。逃げ隠れは、いたしません」


林徳は、頭を下げたままだった。

長い沈黙が、店の中に降りた。

乾燥薬草の匂いと、薬研の止まった静けさだけが、空間を満たした。

やがて、楓が、ゆっくりと、笑った。


「……玲」


「はい」


「この坊や、十日でいい。店を手伝わせてやれ」


「お祖父さま、よろしいのですか」


「銀一両のうち、九分は、まけてやろう。残り一分を、十日の働きで返せ」


林徳は、顔を上げた。


「御老師。それでは、私のために、御老師が損を……」


「損ではない」


楓は、ゆっくりと、首を振った。


「お前さん、何者か知らんが、いずれ、わしの店に、もっと大きなものを、運んでくる気がするでな。──老人の勘だ。気にするな」


林徳は、もう一度、深く頭を下げた。

頭の中の『戦盤』の上で、薬師「楓」「玲」の二つの駒が、白い味方として、新しく置かれた。



◇ ◇ ◇



その夜、林徳は、淮陽の場末の宿に泊まった。

四人の元山賊たちは、林徳が薬師の楓に頼んで、街の倉庫業者を紹介してもらい、明日から日雇いの仕事に入ることになっていた。趙の娘も、楓が呼び寄せの手配を引き受けてくれた。

関だけが、林徳と同じ部屋に、残った。


行灯あんどんの微かな光の下で、関は、しばらく沈黙していた。

やがて、ゆっくりと、口を開いた。


「徳殿。私は、関明慶かん めいけいと申す。──玄朝、近衛将軍家、関氏の三男だ」


林徳は、黙って、聞いた。


「父は、三年前まで、玄朝皇帝陛下の近衛を統べていた。陛下は今や、宦官どもに囲まれ、まつりごとは十常侍が握っている。父は、それを諫めた。──それで、毒殺された」


「……」


「私は、父の遺志を継ぎ、宮中の腐敗を、地方の有志に告発する書状を回した。発覚した。家は取り潰され、兄二人は処刑され、私だけが、辛うじて、逃れた。半年、追われ続けて、ここまで流れた」


関の声は、淡々としていた。

その淡々さが、かえって、彼が背負ってきたものの重さを、雄弁に物語っていた。


「私は、徳殿。あなたに恩がある。あの街道で、私を見抜きながら、何も問わず、ただ、自分の傍に置いてくれた」


「……」


「あなたに、お仕えしたい。私の刀を、あなたの傍に、置かせていただきたい」


林徳は、すぐには答えなかった。

『戦盤』が、瞬時に、未来の何百という分岐を展開した。

関明慶を傍に置けば、追手が来る。だが、関の武と知略は、林徳の弱さを補って余りある。何より、関の正義感は、林徳の生き方と、響き合うものだった。


(……『縁』が、すでに動いていたんだな)


神から授かった三つ目の能力──運命の人を引き寄せる『縁』。あの街道で、五人の山賊の中に関が紛れていたのは、偶然ではなかった。能力が、静かに、彼を運んできていたのだ。

林徳は、ゆっくりと、関の前で、座り直した。

そして、十歳の体で、四十歳の魂で、頭を、深く下げた。


「関明慶どの。──不肖、林徳。あなたさまをお迎えできること、身に余る光栄でございます」


関の目に、初めて、はっきりとした、温かい光が、宿った。


「……あるじ。これより、私の刀は、あなたのものです」


行灯の炎が、揺れた。

淮陽の、貧しい宿の、薄い壁の向こうで、夜は深まっていた。

まだ、林徳は、知らない。

翌朝、街に、関を追う者たちが──玄朝の暗部、影の者が、足音もなく、近づいていることを。





─ 第二話 了 ─


次回、第三話「影、淮陽に至る」

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