第二十三話 ─ 明都の宮中、夏明国王との謁見
【前回までのあらすじ】
明都の城壁の手前で、夏明国王の侍読・許明が林徳を出迎えた。許明が明かした機密──夏明国王自身は転生者ではないが、その祖父・先代明王の夏景明が、五十年前の転生者だった。現在の明国の繁栄は、その知識の礎。そして明都には、もう一人の転生者がいる。三年前に夏明国王と袂を分かち、「真明会」という第四勢力を率いる人物。表向きの代表は崔泰だが、真の中枢は別人。その名は季雲、宮中の典礼を司る四十代の女官。夏明国王が林徳に望むのは、能力ではなく「祖父がもたらした知識の限界の共有」だった。林徳は城門を潜った。
【主な登場人物】
林徳 主人公。十歳。中身は四十歳の元法人営業マン
関明慶 主人公の最初の家臣。一騎当千
藤 明国中央・戸部・尚書補佐
許明 夏明国王の侍読、若き学者
夏明国王 明国の若き君主、二十代後半(今回、本格登場)
夏景明 夏明国王の祖父、先代明王(故人、転生者)
季雲 真明会の中枢、もう一人の転生者(影として)
明都の城門を潜ると、別の世界が広がっていた。
石畳の大通り。両側に整然と並ぶ、瓦屋根の家々。
市場の喧騒。商人の呼び声。馬車の往来。
林徳が育った田家村とは、何もかも違っていた。
人の数だけでも、田家村の百倍はいた。
林徳は、馬上で、その光景を、ぼう然と、眺めていた。
(……これが、明都か)
四十年の社畜の頭の中で、ある記憶が蘇った。
地方の小さな営業所から初めて、東京の本社に出張した日。
駅を出た瞬間の人の波。ビルの高さ。空気の密度。
あの時の、圧倒される感覚を、彼は、十歳の体で、もう一度、味わっていた。
「主」
関が、低く、声をかけた。
「お気を確かに」
「……はい、関どの。ありがとうございます」
林徳は深く、息を吐いた。
圧倒されている場合ではなかった。
ここから、彼の本当の戦いが始まる。
◇ ◇ ◇
約束通り、蓮は、明都の街中の、宿に、留まった。
宮中の外の、最後の防壁。
林徳と、関、そして藤と許明の四人が、宮中へと、向かった。
宮中は明都の、最も北。
高い塀に囲まれた、広大な区域。
幾重もの門を、潜るたびに、衛兵が、書状を、確認した。
最後の門を、潜ると、巨大な、宮殿が、現れた。
白い石の基壇。朱塗りの柱。瑠璃色の瓦。
すべてが、林徳の、想像を、超えていた。
「林徳どの」
許明が横で、静かに告げた。
「謁見の間まで、私がご案内いたします。──関どのと藤どのは控えの間で、お待ちいただきます」
「関どのも、ですか」
「左様でございます。──夏明国王さまは林徳どのと、お二人だけでお話しになりたいとのこと」
関の眉がわずかに、動いた。
「主のお側を離れることは」
「関どの」
林徳は、静かに関を、制した。
「夏明国王さまの、お心遣いでございます。──私は大丈夫です」
関は、しばらく林徳の顔を、見ていた。
そして深く、頭を下げた。
「……承知いたしました。控えの間でお待ちいたします」
◇ ◇ ◇
謁見の間は広大だった。
高い天井。長い朱塗りの廊下の、先。
玉座が一段高い場所に、置かれていた。
まだ誰も、いなかった。
許明が、林徳を、玉座の、手前まで、案内した。
「林徳どの。ここでお待ちください。──夏明国王さまが、まもなくおいでになります」
「ありがとうございます」
許明は、深く頭を下げ、間を、去った。
林徳は、一人で、謁見の間に、残された。
戦盤がわずかに、ざわついた。
半径百歩以内に人の気配。──謁見の間の四方の柱の陰に衛兵が数名。そして玉座の奥、扉の向こうに複数の人。
林徳は、戦盤を、使わなかった。
頭痛のリスク。そしてここで能力を使えば、見られている可能性。
彼は、ただ待った。
四十年の社畜の経験で、彼は知っていた。
──「待つことも、交渉の一部だ」。
◇ ◇ ◇
しばらくして、玉座の、奥の、扉が、開いた。
一人の、男が、現れた。
若かった。
二十代後半。痩せた長身。
絹の紫の衣。頭に金の冠。
顔は整っていた。だがその目には、年齢に似合わぬ深い疲れがあった。
長く孤独な戦いを続けてきた者の目。
四十年の社畜の感覚で、林徳は瞬時に悟った。
──「この方は孤独だ」。
男は、ゆっくりと玉座に、向かって、歩いた。
だが玉座には、座らなかった。
玉座の手前で立ち止まり、林徳を見下ろした。
「……あなたが、林徳どのか」
声は静かだった。
だがその奥に、抑えきれぬ何かが、あった。
「左様でございます。お初にお目にかかります。林徳にございます」
林徳は深く、頭を下げた。
男は、しばらく林徳を、見ていた。
そしてゆっくりと、口を開いた。
「私が、夏明である」
◇ ◇ ◇
夏明国王は玉座に、座らなかった。
代わりに、謁見の間の階を降りてきた。
林徳の、目の前まで。
君主が、十歳の少年の、前に、立った。
戦盤が、警戒の盤面を、開いた。
──だが夏明国王の所作に、敵意はなかった。
ただ深い、渇望が、あった。
「林徳どの。──許明から、話は聞いたか」
「左様でございます。──先代明王・夏景明さまが転生者であられたこと。明都にもう一人の転生者がおられること。すべて伺いました」
「そうか」
夏明国王は深く、息を吐いた。
その吐息に、長年の重荷が滲んでいた。
「林徳どの。──私は転生者では、ない」
「左様でございます」
「私は、ただの、人だ。祖父のような、別の世界の知識も、ない。ただ祖父が、遺した、明国を、守るだけの、ただの、孫だ」
林徳は、夏明国王の、目を、見た。
その目には、深い劣等感があった。
偉大な祖父の、影。
その影の下で必死にもがく若い君主。
「夏明国王さま」
「うむ」
「お一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「申せ」
「あなたさまは、なぜ私をお招きになったのですか」
◇ ◇ ◇
夏明国王は、しばらく答えなかった。
謁見の間に、沈黙が流れた。
やがて彼はゆっくりと、口を開いた。
「……祖父は、偉大だった」
「……」
「祖父は別の世界の知識で、明国を貧しい小国からいまの繁栄に導いた。農業、医療、建築。──だが祖父にも限界があった」
「限界、と申しますと」
「祖父は、晩年、こう、言っていた。──『わしの、知識は、もう底をついた。わしは、農夫でも、医者でも、技師でも、なかった。ただ本を、読むのが、好きな、商人だった。だから、わしの、もたらせる知識には、限りがある』、と」
林徳の心臓が、波打った。
──「本を読むのが好きな、商人」。
それはまさに林徳自身の、ことだった。
「祖父は最後まで悔やんでいた。──『もう一人、別の転生者がいれば。わしの知らぬことを知る者がいれば。明国はもっと先へ進めたのに』、と」
「……」
「私は祖父のその言葉をずっと覚えていた。だから即位してからずっと探していた。──祖父と同じ、別の世界の知識を持つ者を」
◇ ◇ ◇
「そして五年前、一人、見つけた」
夏明国王の声が、低くなった。
「季雲という女官だった。彼女は祖父と同じ別の世界の知識を持っていた。私は喜んだ。──祖父の悔いを晴らせる、と」
「……」
「だが、季雲は、変わっていった。彼女の、知識は、祖父より、はるかに、深くそして、冷たかった。彼女は、言った。──『明国の、改革は、緩慢すぎる。古い、貴族も、腐った、役人も、すべて、力で、排除すべきだ』、と」
「夏明国王さまは、それをお断りになった」
「当然だ」
夏明国王の、声に、初めて強い、感情が、こもった。
「人を力で排除する改革など、祖父の望んだものではない。祖父はいつも言っていた。──『国を変えるのは力ではない。人の心だ』、と」
林徳の戦盤の上で、夏明国王の駒が、白く強く輝いた。
──「人の心だ」。
それは林徳が田家村でずっと実践してきた、ことだった。
偉大な転生者の祖父も、同じ結論に辿り着いていた。
◇ ◇ ◇
「夏明国王さま」
「うむ」
「私はあなたさまに、嘘をつきたくございません。──正直に申し上げます」
「申せ」
「私もまた別の世界から、転生した者でございます」
夏明国王の目がわずかに、見開かれた。
「ですが、私は、英雄でも、賢者でも、ございません。──ご祖父さまと、同じ、ただ本を、読むのが、好きな、商人でございました」
「……」
「火薬の正確な配合。蒸気の機関。電気の利用。──存在は知っております。ですが作り方は知りません。私は技術書を読んでいないのです」
夏明国王は、しばらく林徳を、見ていた。
そして深く、頷いた。
「……やはり、そうか」
「がっかり、なさいましたか」
「いや」
夏明国王は、初めてわずかに笑った。
その笑みには深い安堵が、あった。
「むしろ安心した。──季雲は、自分が、何でも、知っていると、思っている。だが、あなたは、自分の、限界を、知っている。──祖父と、同じだ」
◇ ◇ ◇
「林徳どの」
「はい」
「私はあなたに明国の改革を手伝ってほしい。──力ではなく人の心で国を変える、その方法を」
林徳は深く、息を吐いた。
戦盤の上で、明都の盤面が一気に、広がっていた。
──田家村の采配から、明国の改革へ。
スケールが、桁違いに大きくなる。
四十年の社畜の頭が、わずかに震えた。
(……これは課長から、いきなり役員に抜擢される、ようなものだな)
(社畜時代、私はそれを何度も断ってきた。荷が重すぎる、と)
だが、いまは違った。
彼は、村六十人の命を、すでに背負っている。その重みに、もう、慣れていた。一段、荷が重くなっても、もう、逃げる理由は、なかった。
林徳はゆっくりと、口を開いた。
「夏明国王さま。──謹んで、お引き受けいたします」
「……よいのか」
「ただし、お一つ、条件がございます」
「申せ」
「私は明国の役人には、なりません。──私は田家村の采配を任された者。村に戻る義務が、ございます」
「……」
「ですから私は、明都と田家村を行き来する立場で、あなたさまにお仕えしたく存じます。──明都に縛られず、村にも縛られず、両方を見る立場で」
夏明国王は、しばらく考えた。
そして深く、頷いた。
「……よかろう。あなたの望む通りに」
◇ ◇ ◇
謁見が終わった。
夏明国王は、玉座に、戻らず、林徳を、間の、入口まで、見送った。
君主が客人を見送る。
異例のことだった。
「林徳どの」
「はい」
「季雲には、気をつけよ。──彼女は、あなたの、能力を、すでに知っている。そして、あなたを、味方に、引き入れようと、するだろう」
「……心得ております」
「彼女の言葉は巧みだ。──祖父の遺志を語り、明国の未来を語る。だがその先にあるのは、血の粛清だ」
「……」
「あなたの信じる『人の心』で、彼女に抗ってくれ」
林徳は深く、頭を下げた。
「お約束、いたします」
◇ ◇ ◇
謁見の間を出た。
控えの間で、関と藤が待っていた。
林徳の表情を見て、関が立ち上がった。
「主、いかがでございましたか」
「関どの。──明国の改革を、手伝うことになりました」
関の目が、見開かれた。
藤も、息を呑んだ。
「主、それは──」
「ええ。──田家村の采配から、明国の改革へ。私の、役目が、一段、大きく、なりました」
林徳は、わずかに笑った。
苦労人の、四十歳の笑み。
だがその笑みには、もう社畜時代の、ような、諦めは、なかった。
自分で選んだ道を進む、人間の笑みだった。
◇ ◇ ◇
その時、控えの間の外の廊下を一人の女官が、通り過ぎた。
四十代。落ち着いた藍色の衣。髪をきっちりまとめていた。
彼女は、控えの間の、前で、わずかに足を、止めた。
そして、林徳の方を、見た。
目が、合った。
その目は、冷たくはなかった。
むしろ深い、知性と、慈愛に、満ちていた。
だがその奥に何か、底知れぬものがあった。
戦盤が、瞬時に警告を、発した。
(……この人物。──ただ者ではない)
(衣の所作、佇まい。──宮中の高位の女官)
(そして、この視線。──私のことを知っている)
女官は、わずかに微笑んだ。
そして何も言わず、廊下を去っていった。
林徳は、その背中を見送った。
体が、わずかに震えていた。
「許明さま」
林徳は、横の、許明に、低く、尋ねた。
「いま通られた、女官は」
許明の、表情が、硬く、なった。
「……季雲さま、でございます」
林徳の戦盤が、凍りついた。
まだ林徳は、知らない。
季雲が、すでに林徳の、すべてを、調べ上げていることを。
そして彼女が近いうちに、林徳にある誘いを持ちかけることを。
──「共に明国を、根本から作り変えよう」と。
明都での、本当の戦いは、このすれ違いの、瞬間から、すでに始まっていた。
─ 第二十三話 了 ─
次回、第二十四話「季雲の誘い、二人の転生者」




