表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おっさん、三国志の世界で軍師をやる 〜200回読んだ知識と計略で気づけば英傑が集まっていた〜  作者: ライディーンたけ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/45

第二十話 ─ 街道の風、第二の罠




 四日目の朝。

 馬隊は別の街道を進んでいた。

 藤の判断で、本来の旅程を放棄した。明国南東の主街道ではなく、東に大きく迂回する商隊が時折通る道。

 二日分の遠回りになる。だが敵の予想を、ずらす。

 空は青く晴れていた。

 風は北西から南東へ、緩やかに流れていた。

 林徳は馬上で、頭の中の戦盤に地形を入れ直していた。


(敵は私たちが旅程を変えたことを、いつ気づくか)

(おそらく今日の夕方。明日の朝には、新しい刺客の配置が、組まれる)


 戦盤はまだ使わなかった。

 昨日の二回の代償。頭痛は明け方には、ようやく消えていた。

 今日からの三日、戦盤の使用回数は極限まで節約する。

 四十年の社畜の経験から、彼はある事実を知っていた。

 ──「リソースは最重要の局面のために、温存する」。



   ◇  ◇  ◇



 昼前、馬隊は街道脇の小さな茶屋に、立ち寄った。

 茶屋の老婆が、煎じ茶を運んできた。

 藤と護衛たちは店の中で、休んでいた。

 林徳と関と蓮は、店の前の小さな床几(しょうぎ)に座った。

 茶を一口、飲んだ。

 その時、街道の南から一台の馬車が走ってきた。

 立派な馬車だった。

 黒漆塗りの車体。明国貴族の家紋が、扉に刻まれていた。

 戦盤がわずかに、ざわついた。


(……明国の貴族。──偶然ここを通るとは思えぬ)


 馬車は茶屋の前で、止まった。

 扉が開いた。

 降りてきたのは、四十代後半の長身の男だった。

 絹の上等な衣。金の帯。手には扇子。

 顔つきは品があるが、目には独特の冷たさがあった。

 ──知識人の目。冷徹な計算者の目。

 関の手が刀の柄に、わずかに触れた。

 蓮の目が男を、無言で観察していた。

 戦盤が告げた。


(来た。──敵の本隊の中枢)


 男は林徳を、しばらく見ていた。

 そしてゆっくりと、頭を下げた。


「お初にお目にかかる。──明都の貴族、崔泰(さい たい)と申す」


 林徳は深く頭を下げた。


「林徳にございます」



   ◇  ◇  ◇



 崔泰は林徳の隣の床几に、ゆっくりと座った。

 茶屋の老婆が、もう一杯の茶を運んできた。

 崔泰はその茶を、両手で丁寧に受け取った。

 所作が上品だった。


「林徳どの。──奇遇でいらっしゃるな」


「左様でございますか」


「私は明都から南の領地に、所用で参っておる。帰路、この茶屋で休んでおったところ、馬車の中から馬隊が見えた」


「……」


「ご一行が明国中央の藤どのとご同行されておる、と。──聞き及び、御目通りの機会を頂戴したく」


 林徳の戦盤が、瞬時に崔泰の駒を、分析した。


(嘘だ。──偶然ではない。彼は私たちを待っていた)

(馬車の中で、私たちの旅程変更を、すでに把握していた。──情報源が、明都中央に、ある)


 戦盤はそこまでしか、読めなかった。

 崔泰の所属、地位、目的の細部までは見えない。

 半径百歩以内の状況分析の限界。


「崔泰さま、お会いできて光栄でございます」


 林徳は深く頭を下げた。

 社畜時代の四十年の経験が、頭を押し下げていた。

 ──「相手の正体が分からない時は、まず丁寧に頭を下げる」。

 崔泰はわずかに、笑った。


「林徳どの。──お若いのに、礼儀正しい」


「過分なお言葉でございます」


「お聞きしてもよろしいか」


「何でしょうか」


「ご年齢は」


「……十歳でございます」



   ◇  ◇  ◇



 崔泰の表情は変わらなかった。

 驚きも感心も、見せなかった。

 ただわずかに目を細めただけ。

 その目に、林徳は、初めて自分と同じ種類の人間を、見た気がした。

 ──「相手の値踏みを表に出さない人」。

 社畜時代に、何度も客先の最強の交渉者と向き合った時の感覚。

 崔泰は本物の知略家だった。


「林徳どの。──私の屋敷が、ここから馬で半日の距離にございます」


「左様でございますか」


「ご一行を私の屋敷で、お休みいただきたい。──明都までの残りの旅程、私がご案内申し上げる」


 林徳の戦盤が、警戒の盤面を一気に開いた。


(罠だ。──完全に)

(崔泰の屋敷は彼の支配領域。そこに入れば、私たちは彼の手の中)

(だが断れば、彼は別の手で私たちを潰そうとする)


 断ることも受けることも、できない状況。

 社畜時代に何度も味わった、最悪の交渉局面。

 藤が、店の中から出てきた。

 崔泰の姿を見て、わずかに足を、止めた。

 その表情に、林徳は答えを見た。

 ──藤は崔泰を知っている。

 ──そして警戒している。


「藤どの。──お久しゅう」


「崔泰さま。──ご無沙汰いたしております」


 二人の声は、丁寧だった。だが、その奥に、明らかに敵意があった。

 藤の手が、わずかに震えた。



   ◇  ◇  ◇



 林徳は戦盤を使うと決めた。

 今日の一回目。

 崔泰の表情、藤の表情、二人の関係、それぞれの心の動きを戦盤に入れた。


(藤さまの恐れ、崔泰さまの余裕。──二人は宮中で、長年の宿敵)

(崔泰の派閥は藤よりも宮中の影響力が強い。藤は表向き、丁寧に応じるしかない)

(崔泰の招待を、私たちが藤の判断で断ることは、できない)

(つまり崔泰は、藤を利用して私たちを、自分の屋敷に引き込もうとしている)


 頭痛が、わずかに走り始めた。

 戦盤一回目の代償。

 だが、林徳は、得た情報で、すぐに次の一手を、組み立てた。


「崔泰さま」


「はい」


「ご丁寧なお招き、誠にありがたく」


 崔泰の口元が、わずかに緩んだ。

 ──彼は林徳が罠と気づいて、断れない状況に追い込まれた、と理解した。

 しかし林徳の言葉は、続いた。


「ですがお招きを、お受けすることはできません」


 崔泰の表情が、初めて動いた。

 わずかな、驚き。


「……ほう」


「夏明国王さまの招請をお受けしての旅でございます。途中、私的なお招きを受けることは、招請の主旨に反すると存じます」


「……」


「お気持ちは、ありがたく頂戴いたします。──ですが私たちは、まっすぐ明都に参らねばなりません」



   ◇  ◇  ◇



 崔泰は、しばらく林徳の顔を、見ていた。

 その目には、もう冷たさだけではない。

 わずかな興味が、滲んでいた。


「林徳どの。──聞いていた通りのお方らしい」


「過分なお言葉でございます」


「お一つ、お尋ねしてもよろしいか」


「何でしょうか」


「あなたは夏明国王さまの何を、ご存知でいらっしゃる」


 林徳の戦盤が、警戒を強めた。

 崔泰の質問は表面的には、軽い問い。

 だがその奥に、深い計算があった。


(夏明国王の何を知っているかを、問うている)

(──つまり私が、改革派か、旧貴族派か、それとも独立派かを見極めようとしている)


 社畜時代に、客先の役員から似た質問を、何度も受けた。

 「うちの会社の、何をご存知ですか」。

 その問いの答えで、相手は自分の派閥への忠誠度を測る。

 林徳はゆっくりと、答えた。


「夏明国王さまはお若く、明国の改革にお心を砕いておられる。──私が存じておりますのは、それだけでございます」


「ほう」


「私は、明国南の小さな村の、出身でございます。明都の派閥のこと、宮中の事情、何一つ、存じません。──ただ若き君主の招請に、応じて、明都に、参る、その一事のみでございます」


 崔泰の目が、わずかに深くなった。

 彼は林徳の答えが、計算された「政治的中立の表明」であることを見抜いた。

 しかしそれを、責めることはしなかった。


「……林徳どの。──ご賢明でいらっしゃる」


「……」


「明都で、改めてお会いいたしましょう」



   ◇  ◇  ◇



 崔泰は、ゆっくりと立ち上がった。

 扇子を軽く、開いた。

 その所作は優雅で、隙がなかった。

 馬車に戻る前、彼は振り返って林徳に、もう一言告げた。


「林徳どの。──お忠告申し上げる」


「お聞かせください」


「明都の宮中は地方の村より、はるかに複雑でございます。──戦盤も万書の眼も、宮中では通用しないことが多うございます」


 林徳の心臓が止まった。

 戦盤が、瞬時に警戒の盤面を、最大に、開いた。


(……戦盤と万書の眼の名前を、知っている)

(明国の貴族が私の能力を、知っているはずがない)

(──彼は誰から聞いた)

(一つの可能性。──彼は私と同じ転生者の一人と、繋がっている)


 崔泰は林徳の表情の変化を、見ていなかった。

 ただ扇子を、ゆっくりと閉じた。


「明都で、お会いいたしましょう」


 馬車の扉が閉まった。

 馬車は、街道を北へ、ゆっくりと走り出した。

 その背中を、林徳は馬隊の前で立ったまま、見送っていた。

 体が、わずかに震えていた。



   ◇  ◇  ◇



「主」


 関が低く、声をかけた。


「お顔色が、よくありません」


「……関どの」


「いかがされましたか」


「彼は私の能力を、知っております」


 関と蓮が同時に、息を呑んだ。


「……どこから知り得たのですか」


「分かりません。──ですが明都には、私と同じ転生者がもう一人、いる可能性がございます」


 藤が横で、聞いていた。

 彼は林徳の言う「転生者」の意味を、理解していなかった。

 だが林徳の表情の深刻さは、伝わっていた。


「林徳どの、ご無事で何より」


「藤さま、ありがとうございます。──崔泰さまは敵で、ございますね」


「左様でございます。──彼は、明都の貴族の中で、最も、危険なお方の一人。袁派と、最も、深く内通している」


「……」


「林徳どの。──彼の招きをお断りになったのは、賢明でいらっしゃいました」



   ◇  ◇  ◇



 馬隊は街道を、北へ進んだ。

 林徳は馬上で、頭の中の戦盤を回し続けていた。


(崔泰の言葉、「戦盤も万書の眼も、宮中では通用しないことが多うございます」)

(つまり彼は、私の能力の制限を知っている)

(──私が半径百歩以内しか読めないこと、一日三回しか使えないこと、これらの情報を誰かが彼に教えた)


 頭の中で、可能性を一つずつ検討した。


(一つ。明国の貴族の中に、転生者がいる。彼は神から、私と似た能力を授かっている)

(二つ。神そのものが、複数の転生者にお互いの情報を提供している)

(三つ。私の能力を、第三者が外から観察できる仕組みがある)


 戦盤はこれ以上、何も教えてくれなかった。

 四十年の社畜の頭が、ふと震えた。

 社畜時代、彼は自分の弱みを、握られている時の感覚を知っていた。

 ──「相手がこちらの手の内を知っている。こちらは相手の手の内を知らない」。

 その状況は商談で、最も不利。

 いま、林徳はその最悪の状況に踏み込んでいた。



   ◇  ◇  ◇



 その夜、宿で林徳は、関と蓮、藤を小部屋に集めた。


「皆さま」


「主」


「今日、私は、初めて戦の中で、相手より、不利な位置に、立たされました」


 全員が、林徳の顔を見た。


「これまで私は、相手の手の内を知り、相手は私の手の内を知らない、その優位で勝ってきました。──しかし今日、その優位が崩れました」


「主、それは──」


「関どの。私たちはこれからの三日、戦盤を極力使わず進まねばなりません。崔泰どのは、私が戦盤を何回使ったかすら、知っている可能性がございます」


「……」


「明都に着くまで、私たちの能力は、敵に、見られていると、想定して、動きます」


 蓮が低く、口を開いた。


「徳殿。──では明都に着いたら」


「明都に着いてからは、別の戦になります。私の能力が通用しない場所で、私は何を武器にするか。──それをこれから、考えねばなりません」


 藤が、深く頭を下げた。


「林徳どの。──私にできることがございましたら、何なりと」


「藤さま、ありがとうございます」



   ◇  ◇  ◇



 その夜、林徳は夜具の中で、長く目を開けていた。

 頭痛は、まだ続いていた。

 戦盤は明日からも、使わねばならない。

 だが、能力を敵に見抜かれているなら、何を信じればいいのか。

 四十年の社畜の頭の中で、ある言葉が響いていた。

 ──「能力で勝てない時は、心で勝つしかない」。

 社畜時代、彼は若い同僚たちに、しばしば負けた。

 頭の回転、体力、最新の知識、すべて若手の方が上だった。

 ただ一つだけ、彼が、勝てる場所が、あった。

 ──「人を信じる力」。

 若手はしばしば、自分の能力に頼り切る。だが林健一は、自分の能力では足りないことを知っていた。だから人を信じる。仲間を頼る。

 その「信じる力」だけは、彼が四十年で磨いた、唯一の本物の武器だった。


(崔泰どのに、能力では勝てないかもしれない)

(だが人を信じる力では、私は誰にも負けない)


 林徳は、ゆっくりと目を閉じた。

 まだ彼は、知らない。

 崔泰が、明都に戻る馬車の中で、ある人物に報告を書いていることを。

 その報告書の宛先は、明都の宮中のある高官。

 そして、その高官の机の、引き出しの中には、林徳の能力の詳細を、記した、一枚の絹の薄紙が、すでに入っていることを。

 明都に着く前に、林徳にはもう一つの戦が、待っていた。



─ 第二十話 了 ─


次回、第二十一話「最後の街道、信じる力」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ