第十七話 ─ 狭道の後、村の朝
【前回までのあらすじ】
林徳は北方民の女猟師・蓮と共に、田家村に迫る山賊三十人を、火攻めと時間差攻撃の奇襲で撃退した。蓮の矢で頭領を即死させ、関の白兵戦で十人、趙ら四人の元農夫で残党を制圧。味方の死者ゼロ、山賊側は頭領のみ。蓮の仇だった二人は両方とも生きており、彼女の三年の復讐は別の形で終わった。戦の後、五歳の桃が蓮に花を差し出し、三年凍り付いた何かが、ゆっくりと溶け始める。──そして街道の彼方では、明都の使者が、田家村に向けて、すでに南下を始めていた。
【主な登場人物】
林徳 主人公。十歳。中身は四十歳の元法人営業マン
関明慶 主人公の最初の家臣。元・玄朝近衛将軍家の三男
雪麗 亡国の姫。村の女手で布を織る、戦では医療担当
銭弼 元・玄朝戸部の三等官。村の収支・行政を担う
趙 元山賊の頭領。今は村の男手の頭
徐・陳・李 趙の元手下。村の男手
柳 趙の同僚だった女。布作りで雪麗を支える
桃 趙の五歳の娘
蓮 北方民の女猟師。今回、村に正式加入
田の翁 田家村の長老
夏明国王 明国の若き君主
戦の翌朝。
田家村の北、戦場となった狭道の手前には、まだ煙の匂いが残っていた。
関明慶は夜のうちに、村人たちの避難所だった神社の中を何度も巡回していた。捕らえた山賊たちは神社の裏手の物置小屋に、縛って横たわらせていた。
雪麗は医術の心得を活かして、火傷を負った五人の手当てをしていた。
軽い火傷だけで、重傷者は一人もいなかった。
林徳は神社の縁側に、一人で座っていた。
眠れなかった。
戦盤が戦の細部を、何度も再生していた。──蓮の矢が頭領を射抜いた瞬間。関の刀が最初の山賊を払った瞬間。趙の声が響いた瞬間。
すべて計算通り。
なのに心の奥が、なぜかざわついていた。
「徳殿」
背中から声が聞こえた。
振り向くと蓮が立っていた。
戦の前と同じ、革の衣。背中の弓。
だが目だけがわずかに違っていた。
「眠れぬのか」
「……ええ」
「私もだ」
蓮は林徳の隣に、静かに腰を下ろした。
二人は、しばらく無言で、朝もやの中の村を、見ていた。
雀が神社の屋根の上で、鳴き始めていた。
◇ ◇ ◇
「徳殿」
「はい、蓮」
「昨日、私は、仇の二人を、討たなかった」
「……」
「物置の小屋に縛られて、二人ともまだ気絶している。──刀で首を切れば、一刻もかからずに終わる」
林徳は答えなかった。
ただ蓮の声を、聞いていた。
「だが私は、刀を握れなかった」
「……」
「徳殿。──あなたのせいだ」
蓮の声に、責めの色はなかった。
むしろ何か、戸惑いに近いものが滲んでいた。
「あなたは戦の前に、こう仰った。──『敵を止めて、生き残った者を改心させる。これが本当の勝利だ』、と」
「左様でございます」
「私はそれを聞いた時、複雑な気持ちだった。──私の三年は復讐のためだったのに、と」
「……」
「だが昨日の戦で、関どのが誰一人殺さずに、山賊を制圧した。趙どのたちが六人を投降させた。──それを見て、私は思った」
蓮はしばらく言葉を、止めた。
雀がもう一羽、屋根に止まった。
「『あの二人をここで殺せば、私は今日までの三年と何も変わらない』、と」
林徳は静かに頷いた。
「徳殿、私は、もう復讐者では、ありたくない」
「……」
「だが、では、私は、何者か。それも、まだ分からない」
◇ ◇ ◇
林徳は、しばらく答えなかった。
四十年の社畜の頭の中で、彼自身の十六年の営業人生が走馬灯のように流れていた。
彼もまた何者か分からないまま、十六年を、過ごした。
ただ客先で頭を下げ、社内で立ち回り、出世コースから外れ、気がつけば四十歳。
彼の人生は誰かに名付けられたものではなかった。
「蓮」
「うむ」
「人は自分を自分で、名付けるしかありません」
「……」
「私も四十……いえ、まあ、私の歳のうちの大半を、自分が何者か分からないまま過ごしてきました。ですがいま、ようやく見えてきたものがございます」
「何が、見えたのだ」
「私は村を栄えさせる者です。それは生まれた時からそうだったのではなく、いま自分で選んだ役目です」
蓮はしばらく林徳を見ていた。
そしてわずかに頷いた。
「……徳殿、私の役目をご一緒に、探していただけぬか」
「もちろんでございます」
林徳は深く頭を下げた。
戦盤の上で、蓮の駒がようやく白く確定した。
──彼女は今日から、田家村の正式な仲間になる。
◇ ◇ ◇
日が高く昇った頃、神社の裏手の物置小屋で、捕らえた山賊たちが目を覚まし始めた。
林徳は関、銭弼、趙の三人を伴って、物置小屋に向かった。
蓮も後ろからついてきた。彼女の目はもう「仇を見る目」ではなかった。
ただ人を見る目だった。
縛られた山賊たちは二十九人。
全員が林徳を見て、戸惑った顔をしていた。──十歳の少年が自分たちを率いる軍師だと、聞かされても信じられないという顔だった。
「皆さま」
林徳は静かに口を開いた。
「私は林徳と申します。田家村の采配を任されております、者でございます」
二十九人の山賊が互いに、顔を見合わせた。
その中には北方民の訛りを持つ者、明国南部の言葉を話す者、玄朝の中央風の言葉を話す者、様々だった。──流民として各地から集まった集団だった、ということがはっきりと見えた。
「皆さま、お話を伺います。お一人ずつ、いかがにしてこの一団に加わられたか、お聞かせください」
◇ ◇ ◇
林徳は二十九人、全員の話を聞いた。
半日かかった。
戦盤と万書の眼が、すべての話を記録した。
二十九人のうち十二人は、五年前の北方旱魃で家を失った元農夫。
八人は玄朝中央の重税で畑を捨てた者たち。
六人は各地の小規模な反乱で逃げてきた、元・反乱兵。
残り三人が本物の悪党だった。──盗み、強盗、殺しを生業にしてきた者たち。
その三人の中に、蓮の仇の二人が含まれていた。
「皆さま」
林徳は最後に、全員に向かって告げた。
「お話を確かに伺いました。──結論を申し上げます」
二十九人が姿勢を正した。
「元農夫、元・反乱兵、合わせて二十六人。──皆さま、田家村の男手としてお迎えしたく、存じます」
二十六人の目が見開かれた。
「ただし、条件がございます」
「……条件、と申しますと」
「一年間、私の村で誠心誠意、お働きいただきます。畑、水路、布、商取引、すべての作業にお力をお貸しください。──一年後、もし、もう村に留まりたくないと仰る方は、自由にお去りください。その時、銀一両を餞別として、お渡しいたします」
二十六人が深く頭を下げた。
その中には、涙を流している者もいた。
五年前の旱魃以降、誰一人として彼らに、人間として声をかけた者はいなかった。
いま、十歳の少年が彼らを「皆さま」と呼んだ。
◇ ◇ ◇
「そして、残り、三名」
林徳は本物の悪党だった三人に、視線を向けた。
三人の目には、開き直りと覚悟と、わずかな恐怖が入り混じっていた。
「皆さまは本物の悪党でいらっしゃいます。お話を伺いまして、私は確信いたしました」
「……」
「皆さまには、二つの選択肢がございます」
「……二つ、だと?」
「一つ。明国の役所に引き渡します。明国の法に従って、裁かれます。──罪状次第では、死刑の可能性もございます」
「……」
「もう一つ。──私の村で、贖罪の労働をお引き受けいただく」
三人の目がわずかに見開かれた。
「期間は三年。三年の間、村で最も辛い作業をお一人で、お引き受けいただきます。糞尿の処理、家畜の世話、夜の見張り。──そしてその三年の間、村の防衛のための新たな弓の弟子として、蓮さまから武術をお学びいただく」
三人が息を呑んだ。
蓮も横で、目を見開いた。
彼女は、まだ自分が「弓の弟子を取る」ことなど、考えていなかった。
「蓮さま」
「……はい」
「もしご同意いただけるなら、お頼みします。──この三人をあなたの弓の最初の弟子にして、いただけませんか」
蓮はしばらく答えなかった。
戦盤の上で、林徳は自分が彼女に、最も難しい役目をお願いしていることを自覚していた。
──仇だった二人を自分の手で、鍛え直す。
復讐の終わりが、別の形で訪れる。
それは彼女が、復讐者ではない自分を新しく作り直す、ということだった。
「……徳殿」
「はい」
「あなたはいつも私に、私自身が想像していなかった別の道を、お示しになる」
「……」
「分かった。──引き受ける」
蓮の声には、覚悟があった。
武人の覚悟ではなかった。
──人として新しい役目を引き受ける、人間の覚悟。
三人の悪党が、深く頭を下げた。
彼らの目に、初めて涙が、流れていた。
彼らは知っていた。──蓮が自分たちの過去をすべて知って、なお自分たちを弟子にしてくれる、その奇跡を。
◇ ◇ ◇
午後、田家村は奇妙な賑わいを見せていた。
二十六人の元・山賊たちが村のあちこちで、水路の最終整備、家屋の修繕、畑の手入れに加わっていた。
趙、徐、陳、李の四人がそれぞれ、新参者の指導役になっていた。
元・農夫だった彼らは五年ぶりに、土の上で人として働く喜びを味わっていた。
雪麗と柳は女手たちと一緒に、新参者たちに簡素な衣を縫って渡していた。
桃は神社の前で、新しい弓の弟子三人と蓮を、不思議そうに見ていた。
関は稽古を、新しい弟子三人の前で見せていた。
銭弼は家の縁側で、二十九人分の戸籍を書類に起こしていた。
林徳はその光景を、家の入口からぼう然と眺めていた。
(……村の人口、五十人を超えたな)
戦盤の上で、計算が終わっていた。
元の村人三十人、雪麗、銭弼、林徳と母、関、趙、徐、陳、李、柳、桃、蓮、新加入の悪党三人、元農夫・元反乱兵二十六人。
合計、六十人を超えていた。
(……これ、もう村じゃない。町だ。──いや、もう一段上、「集落」を超えて、何かに、なりつつある)
四十年の社畜の頭の中で、ある言葉が響いていた。
──「人が集まる場所には、必ず政が、必要だ」。
いままでは田の翁ら長老衆と林徳が、采配を決めてきた。
だが六十人を超える集団を、長老衆と林徳一人で動かすのは無理がある。
──組織が必要だ。
──役職が必要だ。
──そして何より、林徳自身の立場が必要だ。
(……俺、これいずれ「領主」と呼ばれる立場になるんだろうな)
林徳は深く息を吐いた。
社畜時代、彼は課長止まりだった。
いま、彼は十歳の体で領主になろうとしていた。
(出世する気なんて、ないんだけどな……)
彼は心の中で、いつものぼやきをもう一度、繰り返した。
だがその口元は、わずかに笑っていた。
◇ ◇ ◇
その時、村の入り口の方角から、また馬の足音が、聞こえてきた。
今度は複数。
しかも、足音の数からして十頭はいた。
林徳の戦盤が、瞬時に警戒の盤面を、開いた。
関が稽古を中断して、駆け寄ってきた。
趙が水路から駆け戻ってきた。
徐、陳、李もそれに続いた。
蓮が神社の屋根の上から、街道の彼方を見ていた。
「徳殿」
蓮が低く、報告した。
「馬上の十二人。先頭は明国中央の制服を着た、役人風の男。後ろに、武装した護衛が十一人」
「……武装?」
「重武装ではない。儀仗の構え。──正式な使者の護衛の編成だ」
林徳の戦盤が一気に、別の盤面を開いた。
(……来た。明都の使者の、本格的な来訪)
(前回の駅吏は単なる書状の運び手だった。──今回は別)
(馬上十二人。明国中央の役人を護衛十一人で囲む編成。──これは夏明国王さまの、正式な代理人の格)
林徳は、ゆっくりと家の前に進んだ。
昨日の戦の煙が、まだ村のどこかに、わずかに残っていた。
馬上の十二人が村の入り口に達した。
先頭の男は四十代後半。明国中央の上等な絹の衣。腰には夏明国王の直属の役人だけが許される、紫の帯。
馬上から、ゆっくりと林徳を見下ろした。
「……あなたが、林徳どのか」
「左様でございます。お初にお目にかかります」
男はわずかに目を細めた。
十歳の少年が、自分の前に、姿勢を正して、立っている、その光景を、しばらく確かめるように、見ていた。
「……噂は、まことであったか」
男は深く息を吐いた。
そして馬から、ゆっくりと降りた。
「私は明国中央、戸部・尚書補佐、藤と申す。──夏明国王さまの直属の代理として、参った」
林徳は深く頭を下げた。
戦盤の上で、新しい最も大きな駒が、盤面に置かれた。
「藤さま。──ようこそ、田家村へ」
◇ ◇ ◇
藤は、ゆっくりと村の中を、見渡した。
奇妙な光景だった。
昨日まで、貧しい村だったはずの田家村に、いま六十人を超える人々が、それぞれの作業に従事していた。
水路は完成寸前。
畑では、新しい輪作の準備が進んでいた。
女手たちは布を織っていた。
元・山賊たちは村の修繕に加わっていた。
藤の目が、わずかに見開かれていった。
「……林徳どの」
「はい、藤さま」
「これは、いったい、何の光景でいらっしゃるか」
「左様でございますね。──昨日まで山賊三十人の襲撃を、受けておりました。今日からは、降伏した二十九人を村の新しい仲間として、お迎えしております。村はこれまでより、一気に活発になりました」
「……山賊、三十人を、撃退、なされた、と」
「左様でございます」
「お味方の犠牲は、いかほどか」
「死者、ゼロ。負傷、一名。軽傷」
藤の足が、わずかに止まった。
彼は戸部の役人として、地方の戦の報告書を何百と見てきた。
味方の死者ゼロで山賊三十人を制圧した戦の報告は、数えるほどしか見たことがなかった。
しかも撃退した側の主将が、十歳の少年だ、という。
「……林徳どの」
「はい」
「夏明国王さまから、書状をお預かりしている」
藤は懐から、絹の薄紙に書かれた書状を取り出した。
紙の表面には、夏明国王の私印が押されていた。
戸部尚書の印ではない、王自身の私印。
銭弼が横で、息を呑んだ。
「林徳どの、お読みいただきたい」
林徳は両手で書状を、受け取った。
関、銭弼、雪麗、蓮、趙が後ろから、見守っていた。
書状を開いた。
書かれていた内容は短かった。
短かったが、田家村の運命を根本から変える内容だった。
『林徳どのへ。
黄家との取引、戸部にて確認。
田家村の改革、噂にて聞き及び申した。
近く、明都に、お越しいただきたい。
夏明国王、直々の、招請である。
藤、迎えに参らせる。
夏明』
林徳の手が、わずかに震えた。
戦盤の上で、新しい盤面が開かれた。
──明都行き。
──夏明国王、直々の招請。
──彼の物語は、村の中だけでは、もう収まらない。
藤は、深く頭を下げた。
「林徳どの。──三日後、御出立をお願い申し上げる」
─ 第十七話 了 ─
次回、第十八話「明都への、道」




