第十三話 ─ 豪族の使い、馬上より
【前回までのあらすじ】
淮陽から趙が四人の男手と柳・桃を連れて村に合流。田家村は一気に十人規模となり、水路工事と布作りが本格始動した。男手六人が水路を掘り、女手は雪麗と柳の指導で麻布を織り始める。銭弼の収支書類は「一年後に銀十両、明国王の目に入る規模」を示した。──だが貧しい村が栄えようとする時、必ず栄えさせまいとする者が現れる。水路工事が半分まで進んだ五日後の朝、村の入り口に馬に乗った男が五人現れた。
【主な登場人物】
林徳 主人公。十歳。中身は四十歳の元法人営業マン
関明慶 主人公の最初の家臣。元・玄朝近衛将軍家の三男
雪麗 亡国の姫。村の女手で布を織る
銭弼 元・玄朝戸部の三等官。村の収支・行政を担う
趙 元山賊の頭領。水路工事の現場頭
徐 趙の元手下。村の男手
桃 趙の五歳の娘
柳 趙の同僚だった女。布作りで雪麗を支える
田の翁 田家村の長老
黄善 近隣の豪族「黄家」の使い(今回登場)
黄家 明国南部最大の豪族。淮陽と田家村の中間に拠点
水路工事の六日目の朝。
林徳は家の前でいつものように薪を割っていた。
すでに腕にははっきりとした筋肉がついていた。十歳の体に四十歳の意志が、毎日の労働を刻みつけていた。
関が稽古から戻ってきたところだった。趙、徐、陳、李の四人はすでに丘の北で、その日の水路工事を始めていた。
その時、街道の方角から土埃が立った。
「主」
関の手が刀の柄に触れた。
戦盤が林徳の頭の中で、瞬時に展開した。
(馬五頭。武装した男五人。──軍ではない。豪族の私兵だ)
(街道からまっすぐ村に向かっている。偶然の通行人ではない。明確に田家村を目指している)
(五人で武装。──村を力で押さえつけるには少ない。だが威圧して何かを要求するには十分な数)
「関どの、お話を聞きに行きましょう」
「主、危のうございます」
「関どのと銭弼さまがご一緒に来てくだされば、危なくはございません」
林徳は薪を置き、家の中の銭弼を呼んだ。
銭弼は書類仕事の途中だった。だが林徳の声を聞き、すぐに墨と筆を片付けて外へ出てきた。
三人で村の入り口に向かった。
◇ ◇ ◇
馬上の五人はいずれも、革の鎧を身につけていた。
先頭の男は四十代半ば。痩せていたが、目には鋭さがあった。腰にはしっかりとした剣を佩いていた。
戦盤が瞬時に男の人物像を組み立てた。
(豪族の上席家臣。家令か外交担当か。──少なくともただの武力要員ではない。話をする役の男だ)
(武装五人は威圧のため。本気で攻めるなら五十人は連れてくる)
(つまりこれは第一次接触の使い。要求を突きつけに来た男たち)
「失礼。──こちらが田家村か」
先頭の男が馬上から声をかけた。
林徳は深く頭を下げた。
「左様でございます。田家村にて村の采配を任されております、林徳と申します。──失礼ながらどちらさまでいらっしゃいますか」
男はわずかに眉を上げた。
十歳の少年が「村の采配」と名乗ったことに、戸惑った顔だった。
「……黄家の使い、黄善と申す。今日はご主君・黄世杰さまのお言葉を、お伝えに参った」
林徳の戦盤が瞬時に状況を整理した。
(黄家。──明国南部、淮陽と田家村の中間に本拠地を持つ最大の豪族。土地の半分近くを領有していると言われる。明国の若き君主ともつかず離れずの関係を保っている老獪な勢力)
(黄家の使いがなぜ、いま田家村に? ──答えは明白だ。村の改革の動きがもう、黄家の耳に届いている)
「黄善さま、よろしければ家の中でお話を伺わせていただけませんか。立ったままでは失礼でございます」
「……いや、馬の上から伝えさせてもらおう」
黄善はわずかに見下した口調で続けた。
「ご主君・黄世杰さまのお言葉である。──田家村が近頃、新しい水路を引き、新しい畑を開いておると聞き及んだ。さらに女手を集めて、布を織り始めているとも」
「左様でございます」
「これらの新しい営みはすべて、黄家の領内の慣わしに反する」
林徳の眉がわずかに動いた。
頭の中で戦盤が新しい盤面を開いた。
◇ ◇ ◇
「黄善さま、お伺いいたします。田家村は黄家のご領内、ということでよろしいでしょうか」
「左様だ」
「……失礼ながら田家村は明国の南部に位置し、明国の若き君主・夏明国王さまの直轄領、と承知しておりましたが」
黄善の目がわずかに揺れた。
林徳の隣で銭弼がわずかに頷いた。
──戸部の元三等官として、銭弼は明国の地方行政を知り尽くしていた。林徳の発言は行政上の事実だった。
「……明国の直轄、とは形の上のことだ。実質的には黄家が長年、この地域を束ねておる」
黄善は声を荒げた。
「徳坊──いや、林徳どの。新しい水路、新しい畑、新しい布。これらの利益から、毎年定められた『お納め物』を黄家にお納めいただかねばならぬ。それが長年の慣わしである」
林徳の戦盤が瞬時に答えを出した。
(来たな。──「お納め物」、つまり上納金。これが本当の要求だ)
(武力での攻撃ではなく、税の二重取り。これは明国南部の豪族が長年、地方の村から巻き上げ続けてきた典型的な手口)
(だがこれは法的に不正だ。直轄領の村が私的な豪族に税を納める義務はない。──ただし断れば、武力で攻めてくる)
林徳は一拍置いた。
頭の中の『万書の眼』が、前世で読んだある経営書の頁を運んできた。
──「不当な要求には即答せず、相手の根拠をまず引き出せ」
「黄善さま」
「うむ」
「『お納め物』の具体的な額は、どのように定めればよろしゅうございますか」
林徳は即答せず、まず相手の根拠を問うた。
黄善がわずかに口ごもった。
「……それはご主君・黄世杰さまが、改めてお決めになる。ひとまず初年度は、銀三両」
林徳の隣で銭弼がわずかに息を呑んだ。
銀三両。──いまの田家村の年間収入の全額に相当する。
◇ ◇ ◇
(……うわ、これ容赦ない要求だな)
林徳は内心で苦笑した。
社畜時代、客先で似た要求を何度も見たことがあった。「初年度は特別にお安く」と言いつつ、年間予算の全額を要求してくる業者。一度払えば、毎年増額していくのが彼らの常套手段だった。
(だがこちらにも武器はある。──法、戸部、そして若き君主)
林徳はゆっくりと口を開いた。
「黄善さま。お言葉、確かに承りました。──ですが、ひとつご確認させてください」
「何だ」
「田家村は明国の直轄領でございます。直轄領の村が、黄家のような私的な豪族に、銀三両もの『お納め物』を毎年納める法的根拠は、何でございましょうか。お教えくださいませ」
黄善の顔がわずかに固まった。
「……法的根拠、だと?」
「左様でございます。明国の戸部の規定、または夏明国王さまの勅令、いずれかに根拠がございますでしょうか」
黄善はしばらく答えなかった。
彼はただの取り立て役だった。法的根拠を考えたことはなかった。黄家の慣わし、というだけで、長年村々から銭を取り続けてきた。
「……法、というのは文字に書かれたものだけが、法ではない。慣わしもまた法だ」
「左様でいらっしゃいますね」
林徳はわずかに笑った。
苦労人の四十歳の達観した笑みだった。
「ですが慣わしは、文字の法に優先することはございません。──こちらは戸部に四年勤められた銭弼さまでいらっしゃいます。銭弼さま、お教えくださいませ」
銭弼が一歩前に出た。
黄善が初めて、銭弼の存在にしっかりと目を留めた。
「お初にお目にかかります。私は玄朝中央、戸部の元三等官、銭弼にございます」
「げ……玄朝、中央の」
「左様でございます。明国の地方行政は戸部の規定に準拠しております。明国の直轄領にある村が、私的な豪族に毎年定額の銭を納める制度は、戸部の規定にはございません。──黄善さまのご主張は、慣わしのみの根拠でいらっしゃいます」
黄善の額にわずかに汗が滲んだ。
◇ ◇ ◇
(……ああ、銭弼さまの威光、効くなぁ)
林徳は内心で感心していた。
社畜時代、客先で「ウチの上司が」と一言出すだけで、相手の態度が変わる場面を何度も見てきた。立場の威光は論理よりも、しばしば効く。
今まさに、それが起きていた。
黄家の使いは明国南部の豪族の権威を背負ってきた。だがその権威の上に、玄朝中央の戸部という、もう一つ上の権威が立っていた。
黄善は構造的に引かざるを得ない。
「林徳どの。──そこまで戸部の権威を振りかざされるか」
「振りかざしてはおりません」
林徳は淡々と答えた。
「ただ法的な根拠をお尋ね申し上げただけでございます」
「……」
「黄善さま、ご主君・黄世杰さまに、私からのご提案をお伝えいただけますか」
「……提案、だと?」
「左様でございます。──黄家と田家村は、長く近隣で共に栄えてまいりました。これからも共に栄えるための新しい関係を、作らせていただきたく存じます」
林徳は一拍置いた。
「お納め物としてではなく、商取引として、田家村の布や麦の余剰を、黄家にも適正な価格でお買い上げいただきたい。それと引き換えに街道の安全、つまり淮陽との交易路の安全を、黄家のお力で守っていただく。──これは双方に利のあるお話でございます」
黄善が目を見開いた。
◇ ◇ ◇
(……これが俺の本当の武器だな)
林徳は内心でひとつ深く息を吐いた。
社畜時代、十六年間、彼が磨き続けてきた最大のスキル。
──「対立を商取引に転換する」。
客先からの理不尽な要求を断りながら、その代わりに別の商売の話を持ちかける。すると客先の機嫌は不思議と収まる。要求を通せなかった代わりに、別の商売で儲ければよい、と相手が納得するからだ。
いま、それを彼は十歳の体で、豪族の使いにやっていた。
黄善はしばらく馬上で考えていた。
そしてゆっくりと口を開いた。
「……林徳どの。──そのご提案、私からはお答えできません。ご主君・黄世杰さまにお伝え申し上げる」
「ありがとうございます」
「ただし」
黄善の声がわずかに低くなった。
「ご主君がお納め物の要求をお引き下げにならぬ可能性も、十分にございます。その場合、田家村は覚悟をなさることだ」
「……覚悟、と申しますと」
「黄家には私兵が二百人ある。武力での説得もありえる、ということだ」
関の手が刀の柄を強く握った。
林徳はしかしわずかに笑った。
「黄善さま。──お言葉、確かに承りました。ですがひとつだけ、ご記憶いただきたく」
「……何だ」
「田家村に二百人の私兵を武力行使する、ということは、明国の直轄領を私的に攻撃するということでございます。──明国の戸部、明国の若き君主、そして玄朝中央への報告が上がります」
「……」
「銭弼さまは戸部の元三等官でいらっしゃいます。銭弼さまから玄朝中央への書状一通で、黄家の二百人の私兵は、玄朝の軍事的調査の対象になります」
黄善の顔が青ざめた。
彼はその瞬間に悟った。
目の前の十歳の少年は、ただの貧しい村の代表ではない。──玄朝中央への回線を持っている男なのだ。
◇ ◇ ◇
「ご主君にお伝えいたしますが」
黄善は馬上で深く頭を下げた。
武装した豪族の使いが、十歳の少年に頭を下げた。
「お伝えするまでもなく、武力行使はまずございません」
「ありがとうございます」
「林徳どの。──申し訳ない。失礼をお赦しいただきたい」
「いえ、お役目を果たされただけでございます」
黄善は馬の手綱を引いた。
五人は来た時と同じく、土埃を立てて街道を北へ去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、関が深く息を吐いた。
「主。──危ないところでした」
「いえ、関どの。危なくはありませんでした」
「主、もし銭弼さまの戸部の威光がなければ、どうなさるおつもりでしたか」
林徳はしばらく考えた。
そしてゆっくりと答えた。
「……たぶん、何度も頭を下げて、お納め物を五分の一に値切る交渉から入ったでしょう。社畜時代、私はそれだけは得意でしたので」
「主」
関がわずかに笑った。
「あなたは本当に十歳ですか」
「……関どの、もうその問いには答えませんよ」
◇ ◇ ◇
その夜、家の囲炉裏端で、林徳は銭弼に深く頭を下げた。
「銭弼さま、本日はありがとうございました。あなたさまの戸部の威光がなければ、今日の対応は成り立ちませんでした」
「いえ、林徳どの。私の威光ではなく、あなたの計略のうちでございます」
銭弼はわずかに笑った。
「あなたは私の戸部の経歴を、最初から計算に入れてお話を進めていらっしゃった。私はただ、駒として動いただけでございます」
「銭弼さま、それは──」
「ご心配なく、林徳どの。──私は嬉しゅうございます」
銭弼の声に嘘のない温かさが滲んでいた。
「四年の戸部の経験が悪事のためではなく、村のために使われた。──これほど嬉しいことはございません」
林徳はもう一度深く頭を下げた。
戦盤の上で銭弼の駒が、また一段強く白く輝いた。
雪麗が横で温かい茶を注いだ。
桃が土間の隅で、すでに雪麗の膝で眠っていた。
趙が家の外から戻ってきて報告した。
「徳殿、本日の水路工事、無事終了。明日で六割の完成だ」
「ありがとうございます、趙さま」
「黄家の使いの話、雪麗さまから聞いた。──徳殿、見事だ」
「いえ、皆さまのお力でございます」
関は入口で刀の柄を撫でながら、外の夜の闇を見ていた。
まだ林徳は知らない。
黄家の本拠地で黄善が、ご主君・黄世杰に本日の報告をした時、黄世杰がある重大な決断を下すことを。
──「林徳という十歳の少年を、自分の目で確かめねばならぬ」、と。
黄世杰は近いうちに、自ら田家村を訪れる。
そしてその来訪が、林徳の物語を明国南部の豪族世界へと、本格的に引きずり込むことを。
─ 第十三話 了 ─
次回、第十四話「黄世杰、田家村を訪う」




