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海煙の審判  作者: 水前寺鯉太郎


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第4話

堺の残照、偽りの再会


 職人が巻き上げたばかりの葉巻を、レクトールが受け取り、その香りを深く吸い込んだ。

 大統領は、空いたグラスに少しだけ強めの蒸留酒を注ぎ、レクトールの語りに合わせて小さく揺らす。

「……再会か。一番残酷で、一番美しい瞬間だな」

 大統領の声は、どこか遠い過去を懐かしむようだった。

「十五年。男は地獄を見たが、女もまた、地獄を生きていたのかもしれん」

「さあ、どうでしょうな」

 レクトールは静かに微笑み、物語の続きへと声を滑らせた。

「女の瞳に映ったのが、かつての恋人の面影か、あるいは見知らぬ死神の影か……それは、堺の夕暮れだけが知っているのです」

 堺の町は、潮の香りと、南蛮から届いた香料の匂いが混じり合い、むせ返るような活気に満ちていた。

 鯉三郎は、上質な絹の羽織をまとい、腰には南蛮製の細工が施された見事な脇差を差していた。かつての泥にまみれた囚人の姿はどこにもない。整えられた髭と、十五年の歳月が刻んだ深い眼光。いまや彼は、誰が見ても「異国で巨万の富を築いた謎の豪商」であった。

 人混みをかき分け、朱塗りの門をくぐろうとしたその時だった。

 ふわりと、懐かしい沈丁花の香りが鼻をくすぐった。

 鯉三郎の足が、根が生えたように止まる。

 十数歩先、高級な呉服店の店先で、供を連れた一人の貴婦人が立ち止まっていた。

 

 おおつゆ

 かつて、鯉三郎と生涯を共にすると誓い、監獄へ連行される彼を泣きながら追いかけた、あの娘だった。

 十五年の月日は、彼女を可憐な少女から、落ち着きと気品を湛えた成熟した女へと変えていた。しかし、その白いうなじや、伏せられた睫毛の震えは、鯉三郎が夢の中で幾度となく愛でた、あの頃のままだった。

 お露は今、仇敵である蔵人の正室となり、「水軍大名の妻」としてこの街を歩いている。

 お露がふと、視線を感じたのか、鯉三郎の方を振り向いた。

 

 視線が、静かに交差する。

 鯉三郎の心臓が、十五年分の鼓動を一度に刻むかのように激しく跳ねた。

 お露の美しい瞳が、驚きに見開かれる。彼女の唇が、音もなく「鯉……」と動きかけた。

 だが、鯉三郎は動かなかった。眉一つ動かさず、ただの通りすがりの見知らぬ商人の如く、冷ややかな視線を彼女に投げ返した。

 いま、ここで名乗るわけにはいかない。それは復讐の計画を台無しにするだけでなく、彼女を再び地獄へ引きずり込むことを意味していた。

 

「……奥様、いかがなさいましたか?」

 供の者の声に、お露はハッと我に返った。

 彼女はもう一度、鯉三郎を凝視した。しかし、目の前に立つ男の佇まいは、あまりに高貴で、あまりに冷酷で、かつての優しかった恋人の面影は霧のように消えていた。

「……いいえ。人違いだったようですわ」

 お露の声は微かに震えていた。彼女は寂しげに目を伏せ、ゆっくりと歩き出した。

 すれ違う瞬間、鯉三郎の鼻を、再びあの沈丁花の香りが通り過ぎていく。

 

 鯉三郎は、彼女が角を曲がり、その姿が見えなくなるまで、一度も振り返らなかった。

 握りしめた拳の中で、爪が掌に食い込み、鮮血が滲む。

 十五年という月日の残酷さを、彼は今、脱獄した時以上に強く実感していた。

 彼女は、蔵人の妻として生きている。ならば、復讐の刃は、彼女の生活すべてを切り裂くことになる。

「……さらばだ、お露」

 鯉三郎は、独り言のように呟くと、暗く冷たい瞳で、蔵人の城がそびえる方向を見据えた。

 男の心の中で、復讐の炎が、より一層静かに、そして激しく青く燃え上がった。

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