第5話
黄金の罠、沈黙の杯
職人が、太い葉巻の先端をカッターで鮮やかに切り落とした。
大統領は、差し出されたその一本を受け取り、レクトールに向かって顎をしゃくった。
「……いよいよだな。裏切り者との再会だ」
大統領の目が、獲物を狙う鷹のように鋭くなる。
「富を築き、名を変え、死の淵から戻った男が、仇の前に立つ。レクトール、その酒の味はどうだった?」
「ええ、大統領。それは、十五年寝かせたどの酒よりも、冷たく、そして甘美な毒の味でした」
レクトールは、静かに物語の続きを紡ぎ始めた。
堺でも一、二を争う高級料亭『千鳥』。
格式高い離れの一室には、最高級の香木が焚かれ、床の間には南蛮渡来の珍しい花瓶が飾られていた。
上座に座るのは、いまや一国の水軍を統べる大名、蔵人である。十五年の歳月は彼を傲慢な権力者へと変えていたが、その眼光の奥には、常に何かを恐れるような落ち着きのなさが潜んでいた。
そこへ、静かに襖が開いた。
「……お初にお目にかかります。海煙と申します」
鯉三郎が、優雅に一礼して入ってきた。
かつての泥にまみれた若者の面影は、完璧に消し去られている。豪奢な南蛮裂の羽織をまとい、肌は日焼けしながらも手入れが行き届き、何よりその立ち居振る舞いには、莫大な富を持つ者特有の余裕が漂っていた。
「ほう。貴殿が噂の、南蛮銀を山ほど積み積んできたという大商人か」
蔵人が、値踏みするように鯉三郎を凝視した。
鯉三郎の心臓は、激しく脈打っていた。目の前にいるのは、自分の人生を奪い、両親を殺し、婚約者を奪った男だ。今すぐその喉笛を掻き切りたいという衝動を、彼は鋼のような意志で押さえ込んだ。
「左様にございます。この度は、私の持ち得た『至宝』を、日の本一の水軍大名である貴方様に是非ともご覧いただきたく……」
鯉三郎は、傍らに置いた漆塗りの箱から、一枚の巨大な図面を取り出した。
蔵人の目が、瞬時に見開かれた。
「……これは、鉄甲船の図面か!?」
「いかにも。船体を厚い鉄板で覆い、南蛮の新型大砲を二十門搭載する。これ一隻あれば、毛利も、織田も、この海の覇権を貴方様から奪うことは叶いますまい」
鯉三郎の声は、甘い蜜のように蔵人の耳に響いた。
蔵人は身を乗り出し、図面を貪るように見つめた。権力への渇望が、彼を盲目にさせていた。彼は目の前の「商人」が、十五年前に自らが奈落へ突き落とした親友であることなど、微塵も疑っていなかった。
「……素晴らしい。これを、我が水軍で建造したい。条件は何だ?」
鯉三郎は、静かに杯を手に取った。
「条件など、ございません。私はただ、この最強の船が実際に海を駆ける姿が見たいだけなのです。費用も、材料となる鉄も、すべて私が用意いたしましょう」
蔵人は、あまりに好都合な申し出に一瞬だけ警戒の目を向けたが、鯉三郎が差し出した南蛮製の金貨の輝きを見て、その疑念は消し飛んだ。
「はっはっは! 見事な度量だ、海煙殿! 気に入った、今宵は飲もうではないか!」
蔵人が、上機嫌で自ら杯に酒を注ぐ。
鯉三郎はその杯を受け、蔵人の顔をじっと見つめながら、静かに飲み干した。
(飲め、蔵人。それがお前の、最後の晩餐の始まりだ……)
料亭の廊下を、沈丁花の香りがかすかに通り過ぎた。
ふと視線を向けると、襖の隙間から、こちらを不安げに見つめるお露の姿があった。
蔵人の妻として紹介される彼女。鯉三郎は、彼女と目が合っても、ただの商人の愛想笑いを浮かべるだけだった。
復讐の第一手は、完璧に決まった。
大統領が吐き出した紫煙が、部屋を重く、暗く満たしていく。
「……罠は仕掛けられた。あとは、獲物が自ら首を突っ込むのを待つだけか」
大統領が低く笑い、レクトールは静かに頷いた。




